山田洋次監督の「小さなおうち」という作品を、今頃見た。
原作としての小説があるようだが、そちらは未読である。
実は山田洋次監督の作風が生理的に苦手で、かなり迷いながら
DVDを借りた。
独特の美意識に満ちた画面作りにまず驚かされた。
出だしの焼き場の煙突の煙に、小津安二郎監督の影響をふと感じた。
いつもの山田作品とトーンがぜんぜん違う。一人の演出家がこうも
画然と作風を変えることが出来ることが、興味深かった。
外出した人妻(松たか子さん)の、一本独鈷の帯が出掛けと逆になっていることに
気づく女中(黒木華さん)の視点が、上手で唸る。なるほど。
これは小説にあるくだりがどうか知らないのだが、ここは圧倒的に
映像の世界。映像の説得力。
要するに、出かけるときにはお太鼓の左側にあった線の模様が、帰って来た時は、
右側になっていた、という説明で伝わるだろうか。
いかにも女の視線であり、男はこういうのに気がつかない。
映画は、人妻の情事をいっさい見せないが、出掛けの帯と帰宅後の
帯の締め方が逆になっていることで、解かれた帯の衣擦れの音まで
連想させて、かえって隠微なのだ。
山田洋次監督がこれほど、女のしぐさを色っぽく撮ることができるとは
失礼ながら存じあげなかった。
松さんが、出かける前に帯締めを締めるその手つき、青年との逢瀬の後帰宅して
鏡の前で帯を解いていく時の仕草など、ドキドキするほどの、色っぽさ。
着物ならでは。
洋服に衣擦れはない。裾をさばくときのあの、絹の音も。
以前、深町幸雄さん(夢千代日記)にドラマを書いたことがあるのだが、
女が着物を脱ぐその過程で、鏡に腰紐をだらりとかけるト書きを書いたのに、
帯締めの硬いのを鏡にかけていて、すると腰紐のしどけなくまつわる
さまが出ず、ト書きにもっと詳しく書き込んでおくのだった、と後悔したことがある。
杉田久女の「花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ」という句を具象化したシーンであった。
演出家がそのシーンの意図を読みきれてなかったくだりであり、
そこはプロデューサー(女性だった)と共に、悔いた。ここ決定的に違うよねえ、と。
深町さんにはお伝えしたかしないか、忘れた。
作品が仕上がった後で、言っても虚しいとお伝えしなかったかもしれない。
女性の演出家でない場合、こういう「女感覚」のシーン指定の時は、
噛み砕いたト書きでないと、伝わらないようだ。
擬古文でト書きを書き、これを試みた人は余りいないと思うが、
これも深町さんは、私が奇をてらったと思っていらしたようだが、
そうではなく、現代ものの連ドラを書いている最中、よんどころなく
突っ込まれた単発であり、頭を切り替えるための工夫だった。
それも説明するのが面倒くさくて誤解のままに放置してしまった。
お伝えすべきであったかもしれない。
深町さんも、この世から去られてしまった。
山田洋次監督は着物をよくご存知でいらっしゃる。
監督作品で初めて見る、耽美性と色っぽさを楽しみながら、
1つセリフで、気になったのがあった。
老いた元女中(倍賞千恵子さん)が、「南京陥落の戦勝セールが楽しかった」と追想記に
書くのだが、その孫(妻夫木聡)が「南京じゃあ、大虐殺が起こってたのに」と、批判するのである。
これは、そう教えこまれた若者がいかにも言いそうなことではあり、脚本のせいではない、
監督のせいでもないのだが、私などは小骨のようにひっかかる思いを味わう。
だからと言って、私がもしその脚本を書いても、そのくだりはカットするか、
「大虐殺なんて支那がついた大嘘だよ」と元女中に言わせるしか策はない。
しかしその女中が、そういうこというセリフかなあ、と考えこみ
悩ましいのである。
しかし、妻夫木聡くんって、こんなにいい役者だったっけ。
以前、人を殺して女と逃げる青年の役を演った時から見なおしてはいたのだが、
今回、これといった見せ場もない役を、さらっとしかし丹念に演じていて
好感の持てる芝居を見せてもらった。
これから見る人のために詳述はしないが、どうも女中が美しい奥様に対しても
憧れをやや超えたある恋情を抱きつつ、また相手の若い男にも揺らいでいなくもない、
という万華鏡みたいな恋心も繊細で面白かった。
青年のほうも一途に奥様に焦がれながら、女中も憎からずは思っている、
と、その描写もなかなか、大人っぽい恋愛映画なのだった。
著作権上、難ありと知りつつもスチル写真をアップする誘惑に抗しかねる。
まだDVDも発売されていて、宣伝に協力という言い訳でお見せしたい。
映画では、男も着物を着るシーンがあり、それが長襦袢をまとうシーンから見せて、珍しい
シーンではあった。