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GHQの前身OSSの存在を知っていますか?

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日本の戦後70年間の、概ね負の歴史に属する事柄のその源流には
GHQによる日本弱体化政策があったことを、知っている人はいても、
その源流にOSSがあったことを知る人はまだ少ないようだ。

このところ、私淑(ししゅく)させて頂いている・・・・要するに直接教わるのではないが、
著書で学び私的に師匠と敬愛しているお方・・・・・である、東北大名誉教授
田中秀道先生が、OSSについては詳(つまび)らかに本に著されている。

田中秀道先生のHPはこちらである。

http://hidemichitanaka.net/activity/

著書を拝読せぬまでも、一度目を通して頂きたいと思う。美意識で日本を語れる数少ない方である。

さて、OSSの存在を知ることは先の大戦が、日本の一方的侵略戦争ではなかった、
と知ることでもある。というのは、OSSでは日本の敗戦を見越して(つまり開戦も
敗戦もシナリオは彼らの手の内にあった)、さまざま占領後の日本の支配を
どうするか、早々と計画が練られていたわけだ。

OSSについては田中先生のHPに詳しいが、概略述べてみる。

・・・・・文章、硬いですか? このところ、「ですます」と「だ」を交互に使って
試行錯誤しているのですが・・・・そういえば、皆さんに感想を問うたところ
「ですます」調が読みやすいと大方の意見を得たのでした。

まずOSSというのは、Office of Strategic Serviceの略称であり「米国戦略情報局」と
訳されます。ただしGHQ(連合軍総司令部)のような、定訳はありません。
Strategicは「戦略的な」というほどの意味合いであり、OSSは「特殊戦略部隊」など
いくつも訳語があります。

ということは、知識がGHQほど行き渡らず定着していないということでもありますね。
しかし、何事によらず問題の本質を掴むには、常に源流を辿ることが必要です。
GHQという日本の戦後70年間の進路を決定した組織の源がOSSなのです。

OSSを知ることが、日本の置かれた状況を理解することにつながります。
これが伏せられたままでは、日本の戦後史は解りません。
終戦直後の在日朝鮮の人々の「朝鮮進駐軍」を名乗った土地強奪などは、GHQの方針下で
行われましたが、その前身はOSSです。とかく日本が加害者、在日の方々が
被害者という図式でしか、戦後史は語られて来ませんでしたが、実はその
逆の視点もあるのだ、ということもOSSを学ぶことから視えて来ます。

どちらに偏るのでもない、事実を事実のままに見るという意味で、新たな
歴史の検証が、70年目を境になされて行くような気もしています。
自民党がやっと、見直しの方向へ立ち上がりつつありますのでね・・・・
随分、妨害も抵抗もあろうかと思います。

さて、有色人種差別主義者であるルーズベルトが日本占領を見据えて、計略を練り始めたのはつまりOSSを設置したのは早くも1942年、開戦の翌年、終戦の3年前です。

日本はアメリカの描いたシナリオ通り、動かされアメリカの掌で転がされていたに過ぎません。
開戦も終戦も、彼らの演出意図のまま。情けない話ではありますが、少なくとも日本が一方的な悪者ではなかった、という証明にはなるでしょう。

悪者と日本を断じているのは、中国韓国北朝鮮だけですけどね・・・・・。
ああ、それと村山富市、河野洋平氏らのごとき、マゾ史観愛好の
変態思想家たちがいましたっけ。鳩山由紀夫氏はどこへ消えられたのか。

OSSの戦略は日本だけではなく、ドイツ、イタリアにも及んでいます。使われていた
人数は3万人。大変な予算が割り当てられていました。諜報だけではなく、人材は
心理学、医学、地理、語学、科学・・・・・あらゆる分野の学者が招集されています。

勝てるわけないですね。世界は腹黒いほうが勝ち抜くように出来ています。
神の大きな視界で見れば解りませんが、政治も外交も正義や真理では
動いていません。こういう世界にまあ見事に下手なのが日本人です。
それは人間性としては不名誉なことではないのですが、海千山千の
ワルを相手の外交では、きれいではいられません。鬱陶しいことですが、現実ですのでね。

日本国憲法も、戦勝国側が「日本のため」を思って作ったかどうか、考えてみるまでもありませんね。新憲法を作るべくマッカーサが、近衛文麿に命じたのは1945年の10月でしたが、
近衛は戦犯として逮捕される直前に、自死を遂げてしまいます。
さまざまな憲法草案がその後出され、それに日本人が関わっていたことから、憲法は
GHQの押し付けではないというふうに話を持って行きたがるのが「護憲派」ですが、
しかし、現実はマッカーサーは日本人たちから提案される憲法のどれにも満足を示さず、結局
終戦の翌年1946年にGHQメンバー17人が、憲法作成に参加します。
皆、素人です。中には21歳(だったかな)の女性(ベアテ・シロタ・ゴードン)までいたことを思うと、私はその余りの茶番ぶりに、泣き笑いしそうです。

日本国憲法は素人の「外人」がよってたかって、わずか9日間(!)ででっちあげられました。
日本のその後70年近くを縛る「文言」の製作期間わずか1週間プラス3日間。

 


伏せられていますが、原文は英語なのですよ。憲法のあの醜い日本語は素人の
書いた英文を、また言葉の素人である誰かが訳したせいなのでしょう。
せめて、日本語を使いこなす言葉のプロをつけるべきでした。
あの、響きの悪い調子の乱れた日本語は苦痛です。あれは日本語への冒涜です。

 

占領国が相手国の憲法を作ることは国際法違反なのですが、それも日本では教えられませんね。
「憲法の存在自体が国際基準では違法である」という、そのような憲法の「解釈」を巡って国会では大真面目に波乱。茶番です。苦い茶番。

憲法第11条の「基本的人権の尊重」ですが、「人権」などという概念がそもそも、日本人のものではありません。

第20条の「いかなる宗教団体も国から特権を受け、又は政治上の権利を行使してはならない」は果たして守られているでしょうか。解釈を巡って紛争になるなら、そこも論じ合って欲しいところです。

 第25条の「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」も問題視されている条項ですね。権利の前の義務が抜け落ちている辺り、まさしく今のモンスターペアレントの登場やら、義務果たさず権利のみ要求する風潮の下地を憲法で作っているとも言えそうです。

 第26条の「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」も日本を知らぬ者が作ったことが如実ではないですか。寺子屋以来、明治期に至るまで日本は教育の機会を奪った歴史はありません。

識字率は江戸からこの方、世界のトップレベルにあったのではないですか?
万葉の時代にも名も無き庶民がポエムを詠んでいます。

共産主義者であったルーズベルトの作ったOSSの共産主義志向を考えると、農地改革や財閥解体、公職追放、学校の急速な左傾化(教育界ではまともな先生約20万人が公職追放)、戦後からしばらくの日本の動きが見えてくるのですが、いささか長くなり過ぎました。いずれかの機会にまた。

公職追放こそが、あらゆるジャンルを腐らしていく工作であり、その後方向転換した
アメリカによりレッド・パージが行われましたが、時すでに遅しであったのです。

冒頭に、田中秀道先生のお名前を出しましたが、その後の拙論はいまだ試行錯誤の
学びの段階にあるわたくしの、私的小論です。念のため。先生のお名前を汚すといけないので。


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