韓国では、現在のハングルに漢字を交ぜ書きすることが始められているようですが、それを覚えたくないといって児童が、教えるのが面倒だと教師が反対しているそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150905-00021833-hankyoreh-kr
昨日、憲政記念館における咢堂塾で、言葉に関してお話をさせて頂いたばかりで、この報道に余計「おやおや」と思ったのです。
ごっちゃにする人も多いのですが、ハングルというのは「朝鮮文字」のことであって「朝鮮語」ではありません。
そのハングルについては過去述べたことがあります。
言葉が形成する脳http://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/61e85446d5632270d9a8aabbe2bdfcde
一言で言えば、ハングルというのは表音文字なので「平仮名だけで書かれた文字」と似たようなものといえば、それを読む際の非効率性が想像できるでしょう。しかも、上記の過去の拙文でも触れたように、朝鮮語にはやたら同音異義が多いのです。
ひとことでいえば、はんぐるというのはひょうおんもじのようなもので「ひらがなだけでかかれたもじ」とにたようなものといえば、それをよむさいのひこうりつせいがそうぞうできるでしょう。
こんな感じですね。たぶん、ちょっとオーバーなような気もしますが朝鮮語もハングルも知らないので、この程度の説明しか出来ません。
使い勝手の悪い文字で、科学論文など書くときには英語を交えると聞いています。日本語でも、より正確な意味に近づけるために英語、ドイツ語など用いることはありますが、韓国の場合はハングルでは表しきれない概念を外国語で代用するというごときことなのでしょうか。
いちいち、他国の言語をあげつらうこともないのですが、ことあるごとに韓国ではハングルの優秀性を述べるのに、日本語をいちいち貶めるのが片腹痛く、また言葉の簡素化がいかに精神と感性をやせ細らせるか、他山の石としたいからです。
日本語も本気で歯止めを考えないと、日々言葉が失われあたかも絶滅種の鳥のようです。安保法制案に反対を叫ぶのは、思想信条の自由でよろしいのですが、先頭に立った若者たちの言葉の貧しさに慄然としています。
思いを心情的にも、論理的にも伝える言葉を彼らは持ちません。
だから、汚い言葉で「罵る」ことに終止する。せいぜいポスターの標語的文言を「叫ぶ」。
彼らが何を言いたいのか耳を澄まそうとしても、鼓膜に荒々しく突き立つ罵りに辟易として、耳を結局覆ってしまいます。
罵倒文体とでも名付けたい、雑駁な言語しか彼らが持っていないことを憂えます。
さて、韓国の人々が誇ってやまないハングルで、ハン「偉大な」グル「文字」と自称するぐらいですが、作られた当座は「知識のない女や子供が使う卑しい文字」として「アククル(女文字)」、「アヘグル(아해글、子供文字の意)」とも呼び習わされて来ました。諺文とも言われ、これも卑下した呼称であったようです。
朝鮮半島では15世紀半ばまで、自民族の言葉を表記する文字を持たず、知識層は漢字を使用していたのです。
世界最初の長編小説「源氏物語」の文献初出は1008年です。このこと1つとっても、彼我の言葉と文字の優劣を論ずるすら問題外でしょう。
ハングルも、いずれは後の施政者に禁じられ使用したものは処刑されました。
施政者が変わる時、言葉を奪いがちで、だからこそ戦後GHQも日本語のローマ字化などを画策したわけです。
ただし、朝鮮半島を日本が合邦した時、言葉を奪ったというのはデマゴーグです。それまで貴族が寡占していたハングルを一般庶民にまで広め、半島の識字率を一気に上げたのは、日本です。文字の普及は教育水準の上昇でもあります。言葉は、教養のバロメーターでもあります。
19世紀に日本と朝鮮を旅したイザベラ・バードは日本の文化や生活水準を褒め称え、朝鮮のそれに鼻をつまんだ旅行記を書き記していて、これは日韓双方に利害関係のない、イギリス婦人の書いたことであり、日本が我田引水で自国を讃えているわけではありません。そもそも、韓国が日本をことあるごとにあげつらい比較の対象にしなければ、日本人の脳裏にさほど存在感の強い国ではありませんでしたね。近年の激しい反日言動にすっかり、存在感を増しましたが。
下記は李氏朝鮮時代を旅したイザベラ・バードのハングル論です。
朝鮮の言語は二言語が入り混じっている。知識階級は会話の中に漢語を極力まじえ、いささかでも重要な文書は漢語で記されている。とはいえそれは一〇〇〇年も昔の古い漢語であって、現在清で話されている言語とは発音がまるで異なっている。朝鮮文字である諺文(ハングル)は、教養とは漢籍からえられるもののみとする知識層から、まったく軽視されている。朝鮮語は東アジアで唯一、独自の文字を持つ言語である点が特色である。もともと諺文は女性、子供、無学な者のみに用いられていた。
— イザベラ・バード『朝鮮紀行』
こういう、歴史を持つハングルですが自国のあれこれを自慢するのに、他者を貶めるのが韓国メンタリティで、その対象にされるのが圧倒的に日本が多く、迷惑なのでついこちらも言い返すため比較してしまうのですが。 長年言い返すことを日本人がしなかったこともあり、あちらの言い立てることのあれこれが事実として定着しつつもあり、やっと言い返すようになったのが最近です。 ひところ、日本のネットでは「言い返して、相手と同じレベルになるな」ということが、もっともらしく盛んに言われましたが、やっと影を潜めたようで、言わねばまずいことが解ったのでしょう。 韓国人の平仮名や片仮名への認識は「漢字の劣化コピー」ですが、無論これは浅い誤認識です。日本語を知らない人たちが言うこと。日本語をより正確にきめ細かく表現したいという願いから生まれたのが、平仮名と片仮名です。それに引き換え、ハングルは漢文を読むための発音記号のようなものです。 片仮名が漢文を読むためのツールとして作られたのは朝鮮とさして変わりませんが、そのうち平仮名は「やまとことば」を片仮名は「外来語」を表すように進化して、草書体なども生まれ書として見た目の美を追求するようになり、現在に至ります。字そのものが、かくも美術的価値を帯びて存在するのは日本語が嚆矢かと思われます。漢詩の書はありますが、やわらかな流線型の平仮名を交えた日本の書の優美はありません。 漢文を今、読みこなせるのは日本人だと言われています。中国は簡易体を使い始め、日本は律儀にそのままレ点を用いたりしながら、大切に保存して来ました。 日本製の熟語は、中国に逆輸入されています。 服務、組織、紀律、政治、革命、政府、方針、政策、申請、解決、理論、哲学、原則、経済、科学、商業、健康、社会、資本、主義、法律、封建、共和、美学、文学、美術、抽象など、まだあったと思います。
言葉に対する敬意はまだ、日本に残っています。これを大切に保ちたいと思うのです。なぜなら、思考も発想も、感性も全部言語を土壌に花開くものだからです。
言葉がやせ細れば、脳も感性も貧弱になります。
日々喪われていく日本語を護りたいと思うのです。