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ハリウッド映画で考えた安保法案と孫子

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ラグビーの鮮やかな勝利による爽快感はまだ冷めやらず、それには

もう一つ理由があって、性奴隷なる汚らしい嘘で傷つき、海外の学校で

虐めにあっている日本人の子供が立ち直るきっかけになったであろうからです。

本当に‥‥・彼らを守れぬのは日本人の大人全ての責任です。

人生の晩年に、嘘をついてまわる自称慰安婦たちは、自ら放つ嘘の

刃が、罪もない子供たちの心臓をえぐっていることを知るべきでしょう。

脚本家のブログなのにそれらしい文章が少ないのでたまには

映画の話などを。

遅ればせながら、クリント・イーストウッド監督、レオナルド・ディカプリオ主演

「J・エドガー」を見ました。二人の天才が組んで、重厚な傑作を創りあげました。

アメリカでの評価は半々だそうで、評価しないほうの意見を見てみましたが、

腑に落ちる内容ではなく、映画が目指した世界を解っていないように

思いました。

FBIの創始者の話です。エドガーの異性装(transvestite)や、

バイセクシャルについては漠然と知っていましたが、映画はそこを

深追いはしません。

私が脚本を書いても、そこはさして描写しないと思います。

テーマと関係ない部分だからです。しかしながら彼という人物を描くのに、

そこを隠すのも違うし、人間像が見えません。

ダスティン・ランス・ブラックによる脚本は、そこの塩梅が上手でした。

彼は、エドガーの女装志向を母の死の直後、慟哭しながら母の形見の

ドレスを着るという形で表現しました。

支配的な母への、エドガーの依存的愛をも暗示して、これは上手な

手法でした。口はばったいですが、私もそうすると思います。

一石二鳥な描き方なので。エドガーに不似合いな女装をさせることで、

人物像を損なうこともありません。

生涯にわたって、秘密であった同性のパートナーとの関係も隠しはしません。

ディカプリオ演じるエドガーが、タクシーの中でアーミー・ハマー演じる

同性のパートナーであるクライド・トルソンの手にそっと重ねるのが、せいぜい。

アーミー・ハマーはディズニー映画の別バージョン白雪姫「白雪姫と鏡の女王」

で王子を演じた美男俳優なのですが、ディカプリオと共に老いて、老人性振戦(震え)と共に老醜をさらすまできちっと演じていました。

そういう意味では、ラブストーリーでもあれば変化球の「夫婦もの」でもあります。

世をはばかるので、別居したままなのですが。

母親はカミングアウトしかけるエドガーに「そういう息子がいたら死んでくれた

ほうがいい」と残酷に言い放ち、溺愛と憎悪と相反する感情を見事に

演じたのはジュディ・デンチでした。

ケネディの暗殺、リンドバーグの愛息誘拐なども描かれて、アメリカの

裏面史としても興味深く、またエドガーという一人の人間の中の聖性と悪魔、

無邪気と狡猾、美と醜、強気と弱気との同居なども合わせて描かれ、

陰影の深い名品に仕上がりました。

男二人のシーンは、手を重ねる以外はエドガーがトルソンの額に

軽くキスするぐらいなのですが、1回だけ濃厚な接吻があります。

女優と結婚することを告げられたトルソンが、荒れ狂い去ろうとするのを

去らないでくれと懇願するエドガー。

言葉のやり取りがいつしか愛憎となり、殴り合いとなって床に倒れ込んだ

二人。そこでトルソンがエドガーに噛みつくようなキスをする。ほとんど

悲鳴のようなキスで、セクシュアルな要素は何もありません。

ここでも、脚本は巧みでエドガーを仰向けにして下に、トルソンを覆いかぶらせ

二人の性的ポジションを暗示します。

エドガーは、昼の世界では人々に恐れられる男の中の男なのですが

夜の帳の陰では抱かれる男だったのかもしれません。

西部劇に代表される一時代前のアメリカのマッチョ主義の陰には、こういう

屈折もあったのだということをも映画は提示します。

絵に描いたような男らしい男が、実は女性性を内に秘めている複雑さ。

世の中に実は稀有というほどではありません。一枚昼の皮をめくると、

逆転した夜の素顔がそこに、あったりします。

エドガーは女優と結婚しそうになる以前にも女性にプロポーズして断られて

いるのですが、その彼女が生涯のエドガーの忠実な秘書となり、エドガーの

同性の恋人の存在を打ち明けられる間柄になっています。

エドガーのセリフに「国家の安全を保つには法を曲げることも必要だ」というのが

あり、これは危険思想ですが判断を誤らないかぎり実は真実で

あったりもします。

私は安保法制案をとっさに思い浮かべていました。

法を曲げるというレベルではありませんが、憲法の枝葉論に走り過ぎると、

国益を損なうこともある、という意味での連想ではあったのですが、私は

軍事アナリスト小川 和久氏の招致されて出向いた国会の場での

言葉が安保法案問題への、答案としては正解であると思っています。

小川氏は孫子の兵法を例に上げます。即ち「巧遅は拙速にしかず」と。

ゆっくり過ぎては、いかに正しい策を得ようともそれは国を損なう、と。

法案は急ぎ過ぎると批判を浴びますが、まず安全の枠組みを作ってしまい、

細かいところはそこから整合性をつけていけばよい、という論理です。

法案は、国連憲章、日本国憲法、条約と3つと照らしあわせ、鑑みた結果

であればよい、と。現在の枝葉末節論議は日本でしか通用しないという

小川氏の言葉は正しいと思います。世界の言語に変換した発想で考えよ、と。

以上記憶にのみ頼って書いているので、正確な言葉遣いではなく、私の

主観混じりの意訳です。

映画の話が、結局政治になってしまいましたが、ディカプリオが

メイキングで、作品について語るのですが、アメリカ史にも触れ、

その勉強ぶりと知識に瞠目しました。ディカプリオの頭のいいこと。

最近、安保法制案についてタレント・俳優が語り始めていますが

何も勉強していません。なぜ彼らに政治を語らせるのか、という

レベルです。タレントが情緒言語で語っても、世の中をミスリード

するばかりです。

困ったものだと何気なく見ていたテレビに大写しになったのは、知り合いの

某古株役者さん。「国民が理解するまで説明せよ」ともはや定番化した

批判をしているのですが、説明はもうさんざんされています。

というより、テレビで一瞬一瞬流れ去る空間で学ぼうと思うのが間違い、

かといって、一般人が国会に出向いて最初から最後まで、説明を

聴いている訳にはいきません。となると、自分で勉強するしかないのです。

私の場合数時間程度はかかりましたが、法案を俯瞰で眺めるにさして

困難はありませんでした。メリット・デメリット双方を見比べれば

自ずと結論は出ます、誰に言われなくとも自分の頭で出した結論が。

もっともらしいお仕着せ論ではなく、自分の言葉で語るにさして難しい

内容でもありません。

審議不足も言われますが、衆院で116時間、参院でも100時間前後

やってます。その事実を知って、足りないと言っているのでしょうか。

これで解らなければ、そもそも理解する気が最初からなく、

反対のための反対をしていると言わざるを

得ません。上述の国会における小川氏の説明などは短時間ですが

安保の真髄を語り尽くしていて、ネットで動画も拾えます。

しかしこれすら見ずに「説明が足りない」と言っているのです。

勉強せぬ者が軽々に語るべき問題ではありません。

今度の法案は、海外のほうが理解しているようです。

日本だけ、何とも不思議な現象です。

いえ、原因は解っています。海外では「いかに自国民と自国の領土、

領海、領空を守るか」とそこに議論はシンプルに集中するのですが、

日本では憲法、国際法とこれまでの

答弁の積み重ねの議論から始まるので、素人が解りづらいのは当然

なのです。そこを前提に自ら学べ、というのが正解なのです。

本来は、新聞や活字媒体の情報誌が批判も賛成もいっさい抜きに、

淡々とメリット・デメリットを箇条書きしてくればよいことです。

でも、やらないのですよね。かくして煽り立てるような感情論、心情論ばかりが

世の中を飛び交い、それに影響される人たちがかくも多いのです。

更にそこに九条を、ゆえなく信頼する九条信者がいることが

物事を複雑にします。これもことは簡単で、九条が果たして

日本の安全を守ってくれるのかどうか、自らの頭で学び

考えれば、世の中に喧しい九条神話など砂上の楼閣に過ぎぬことに

気づくはずです。九条など他国の善意を当てにしないと成立しないのに、

なぜ素朴に信じられるのでしょうね。中国、ロシア、北朝鮮、と話し合いも

良識も機能しない国が現実にあるのに?

福島みずほさんが「戦争法案」というレッテル貼りをしてそれが、最後まで

はがれずにいますが、何をもって戦争法案と言うのかさっぱり

解りません。少なくとも日本から仕掛ける戦争はあり得ないし、

徴兵制も必然性に欠けます。自衛隊員の命ということも、言われますが、

九条に縛られている現在のほうが、実はもっと危険だと、小川氏は

具体的に説明しています。

と今日もまた政治の話が結局結びになってしまいました。

 


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