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Channel: 井沢満ブログ
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楽に殺してはくれない

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こういうことを、真面目にいう人がいるんですね。

とりわけ、スピ系(精神世界)に、多そうです。

後述 《殺すぐらいなら殺されよう》というのは、【なりすまし】「殺すぐらいなら殺されよう」のアカウントはなりすましです(結局アカウント削除されたようです)

だそうで、どうしようかな‥‥・・と思ったのですが、集団的自衛権反対ということを煎じ詰めればこれになるし、実際こういう文言を使う人達はいるので、事前にお断りした上で、ポスターはこのまま、残しておきます。

パロディにしても秀逸だと思われるので。

 

2枚目のポスターは、1枚目へのパロディ(揶揄・皮肉)かな‥‥‥‥・?

自分が殺される自由はあります。

しかし、それを大人が選択すると当然、自分の子や孫を

侵略者の前に差し出すことになるという、ロジックはこじつけではありませんね?

「殺すぐらいなら、殺されよう」という文言を、家庭にあてはめると、中身がより、くっきり解ります。

家に強盗が押し入り、金品を奪った上に家族を次々に犯したり、刃物でいたぶった上に殺害して行っても無抵抗でいましょう、という主張ですね。

強盗にとっては、実に仕事しやすい一家、それが日本です。

殺すぐらいなら殺される、という選択は個人レベルではありでしょう。

ご自由にどうぞ。

しかし、国への侵略を前提にした時、それはエゴではないのでしょうか?

「殺すぐらいなら、殺されよう」といいますが、簡単に

銃で一発、急所を狙いすまして殺してくれると思ってないでしょうか?

それなら幸運。しかし、殺される前に、強姦、拷問がセットになっている場合も

多いのです。

チベット、ウィグルで何が行われているか、知らないのでしょうか?

あちらのメンタリティは日本人とは違います。皮膚を、薄造りのように

削いで行く方法など、処刑自体を娯楽にするようなお国柄です。

両手両足を切って、瓶詰めにするような国でもあります。

以下、残酷な話になります。嫌いな人はご注意。

漢に呂后という女性がいました。側室の戚(せき)夫人を憎み、ついに夫の心を

奪った復讐をします。あらくれの男たちを雇い、泣き叫ぶ戚夫人を輪姦させました。

ぐったりと横たわり、屈辱の涙を流す夫人。そこへ、ナタを振り上げ呂后は、

夫人の腕を2本とも切断します。

絶叫。

次に、足を一本ずつ。

それでも気が済まない呂后は、ヒクヒクと動く肉塊と化した夫人の目玉をくり抜きます。

そして漏れる声がうるさいと、毒薬で声帯を焼き、鼓膜を潰し、そして便所に

放置。蛆にまみれさせ「人豚」と呼ばせ、楽しみました。

史書にあるこれらの、どこからどこまでが事実か解りません。ただ、これでもか、

という憎しみの表現方法は、よく現れていると思います。

事実、通州で日本人がやられています。

彼らは、子供も容赦しません。手に穴をうがち、そこを針金で通し、人と人をつなぐようなことは平然とします。

対馬に来た元寇の朝鮮人兵士たちが同じことを、対馬の人たちにやってますね。

針金でつなぎ、船に吊るしたり、妊婦の腹を踏んだり。

通州事件は1937年(昭和12年)の事件ですが、チベットウィグルは現代です。

温順な四季の中、農耕民族として生きていた日本人など思いもよらない

感性です。

死体になってからも、なぶりものにします。

女性器への異物突き立ては、常套です。

九条というのは、性善説を信じて成り立っています。

いいえ、実は信じてなんぞいません。作ったのはGHQなんですから。

滅びよ、殺されよということです。

殺すぐらいなら、殺されるほうがいい、という人たちは、

まさしくGHQの「教育」の成果です。

そのGHQも今は無く、米国も日本を必要としています。

日米同盟はお互いの国防にとって、必須要件です。

鬼怒川の氾濫に際しては、米軍から兵隊たちが救護に駆けつけ、

体育館の床に寝泊まりしながら、地元の復旧に尽くしてくれました。

福島の時も、駆けつけてくれましたね。

しかし、GHQの亡霊は、いまだそこらじゅうをさまよい、

日本を呪詛してまわっています。

アメリカも、この憲法を日本に押し付けてからわずか数年で世界情勢が

激動、日本を無力にしておくことの危険性を思い知ることとなり、

朝鮮戦争をきっかけにGHQにより警察予備隊が、自衛隊へと格上げされたのでした。

しかし作ったアメリカ人が「まだ、あんな憲法を後生大事に持っているのか」

と呆れる憲法を日本は、改憲もできないまま現在にいたり、国の防人たる

海上保安庁の人々、自衛隊員たちの両手両足を縛り続けています。

わざわざハンディをつけ、侵略を受けた時の戦闘の場に送り出すようなことが九条なのです。

憲法がGHQの押し付け憲法であり、原文は英語であることを当時の英国外務省も豪州も承知していました。

そして九条がやがて日本を自縄自縛するであろうことは、英豪のみならず極東委員会は予測していました。

極東委員会=日本を管理するため設けられた政策機関。英・米・ソと中華民国、オランダ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、フランス、フィリピン、インドの11カ国代表で構成。

安保法制案に関して、国民が知らねばならないことがあります。

それは自衛隊が、国際法上では軍隊として扱われていることです。

軍隊なんです。従って自衛官は兵士です。

自衛隊を、Japan Self-Defense Forcesとして認識している国は、海外にはありません。日本国内だけなのです。

海外では、日本の国軍として扱っています。

従って「Japan Army(日本陸軍)」「Japan Navy(日本海軍)」「Japan Air Force(日本空軍)」と、表記されることも多いのです。

「自衛」のためだけの組織だ、と思い込んでいるのは日本だけ。

彼らにいかに日本の軍隊が、九条でがんじがらめにさせられているか話したら、crazy!!の一言でしょう。

安保法制案は、この呼称自衛隊、実質軍隊をより軍隊としての機能に近づけるための法案です。

と言うと、それみろ、やっぱり戦争法案じゃないか、と色めき立つのでしょうが、

違います。わざわざ戦争するために軍隊に近づけようとしているのではありません。

軍隊でなければ、国防が出来ないのです。国を十全には守れない。

アメリカは地政学的に防波堤としての日本列島を必要としていますから、日本が単独防衛が出来るよう自立するのは阻止しますが、しかしどのみち日本が中国を相手に、単独防衛は物理的・経済的に不可能です。

だから、米国に追随していると言われますが、日米同盟は最も対経済効果の高い防衛手段であり、米国も日本を痛切に必要としているのだから、追随などと卑屈になることはありません。

対等に近づくための、安保法案でもあります。

現在の九条だと、一番機が撃ち落とされるまで日本は攻撃が出来ません。常に受け身なのです。受け身の防衛では、負けます。

反対デモや反対論の知識人に対して、私は何を今更後追いで騒いでいるのだろう?

と書いてきましたが、工学者の武田 邦彦氏が同じようなことをおっしゃっていらっしゃるので、いささか心強かったのですが、自民党が集団的自衛権を言い出したのは何も最近のことではないわけですよ。

遡ればそもそも自民党の立党(1955年昭和30年)の目的が憲法改正だから、歴史は長いのです。

選挙は党を選ぶものではなく、人を選ぶものだ、とか自民党を選んでも党のすべてを肯定しているわけではない、ということなのでしょうが、

しかし、自民党がサンフランシスコ講和条約から60年として、憲法改正草案を日本国民に提示したのは、2012年(平成24年)の4月です。

それからずーっと自民党はそれを基礎に、政権奪還の際の選挙公約に集団的自衛権は謳われていたのですよ?

何を今さら初めて聞くような顔をして驚き、慌てふためいているのだ、という私の感想は的外れでもないと思うのですが。ことにもマスコミ。プロとしての情報網を備えているのだから、集団的自衛権が急に浮上したわけではないことは重々承知していたろうに、なにゆえそれまで無言であったのかということです。

国民に何も知らしめてないのは、マスコミのほうでしょう。

実感で言うと、安保法制案は説明されても解りませんけどね。自ら積極的に学ぼうとしない限りは。その程度に難しくはありますが、理解するのに数時間、長くて半日もあれば十分です。

アメリカで勝手に約束してきた、という言い方も変なので条約に先立ち、相手国の意志確認を先行するのは当然でしょう。条約は相手ありきなのですから。これも武田邦彦氏説によりかかっての発言なのですが。

審議が足りないという意見に関しては、衆議院で116時間(だったかな?)参議院議員で100時間前後・・・・これ以上やっても堂々巡りでしょう。国会を維持するのもただではないのです。

そういうわけで後出しジャンケン的反対があまりにも多いこと、肝心の法案の中身を精査せず、「戦争はしたくない」と、ただ印象だけで反対を叫んでいる人たちが私には不審です。だから何度も「戦争すべきではない」は賛成派も同じこと、方法論の違いである、と言い続けているわけですが。反対するなら、その方法論としての認識で対論なさい、と言っているのです。賛成派は戦争推進派であると頭ごなしに決めつけ、喚き罵るだけでは何も生まれません。

尖閣を、攻められてもこれまで自衛隊は即動けませんでした。警察、海上保安庁など中国の軍隊に、すぐやられてしまいます。それが解消されるということです。

それと何度も説明されているのに、反対派の耳を素通りしていることの一つが国連に参加しているということは、国連憲章により集団的自衛権は「あって当たり前」なのです。

次の選挙で政権が交代すれば、廃案にさせられるのでしょうが、その時は日本の終わりの始まり‥‥・・とまでは言いませんが、日本は相当酷いことになります。

 


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