「バンキシャ!」に出演した時のある回が、某殺人事件に関するトピックで
あったので、出演する前にある程度のことは調べた。
そして、これは作家的直感と、それから想像力でこの男が
犯人と、自分の中では確信した。
打ち合わせの時、プロデューサーと同行のマネージャー氏に
それを話したのだが、二人共「いずれ真相がわかりますね」
と気乗り薄の表情。
というのも、放送でそれを言う訳にはいかないので、無駄といえば無駄な
私の犯人特定話である。
本番で私は何を喋ったのか記憶していない。
その回に限らず「真実はこうなのに、しかし諸状況でこれは言えぬ」と
腹の中で歯ぎしりしている時の常で、
毒にも薬にもならない腑抜けコメントを発しただけなのかもしれない。
それから時が経ち、有罪判決が出た。
ところが逆転無罪。
あり得ない・・・・
だが、素人の私がうかつなことは言えぬ。
ただ、私は物書きとしての視点と感性から特有のアプローチをする。
捜査側のおっちゃんたちの誰が、女子高生の心理に身を寄せて
彼女の行動ラインから検証して行く能力を有しよう。
少女漫画をたとえばオンタイムで読んで、理解という以上に
多少は共有できるセンスを持たないと不可能である。
被害者の心理を探りながら彼女の動きを追うだけで
くっきり見えて来るものがあったのだ。
プラス物書き的霊感の作動があった。(常にスイッチが入るわけではない)
だが、所詮素人。
うかつなことは書けないな・・・・と思っていた矢先、
元容疑者が殺人未遂でまた逮捕されたというので、書く気になった。
過去、殺人罪や強姦罪を背負った男で、特殊エリアの住人である、と
初期の調べの段階で把握していたことを、また思い出した。
相当数の凶悪犯罪が、あの事件もこの事件も、日本名で報道されることをかねがね理不尽なことに思っている。
ルーシー・ブラックマンさん殺害の犯人が、元々の日本人ではないことを
知ったのは英国紙によってだった。
犯人もさることながら、政治家も含めてどの分野でも、○○系と
元々の出自を示すことを習慣づけたい。
それは差別のためではなく、帰化する際の日本国と出身国への
けじめの示しかた、責任の持ち方という意味で。
日韓・韓日議員連盟合同総会に出席して、強制慰安婦の存在を認める如き
ことに加担する議員がいたり、「北星大学(植村隆氏)を攻撃する卑劣な脅迫を
許さない決議」と称するものが、札幌市議会で可決されそうな動きを
見ていると、あなた方は日本人なのですか? と問いかけてみたい衝動に
駆られる。
むろん、大学への脅迫を肯定はしないが、犯人はいったい誰なんだ?
市議会の人たちが思い浮かべているような人物像が犯人だろうか。
脅迫の否定は結構だが、それが植村隆氏個人を守ろうという動きへ向くのは
違うのではないか。
植村氏は覚悟しておやりになったことであろうに。
あれだけ大きく長期に渡った日本毀損と、日本人侮蔑の記事を発信されたのだから。
一人の日本の男として、全てを受けて立つ気概がなかったのなら、お書きになるべきではなかった。
言論の自由とは異なる地平に、上村氏の捏造記事問題はある。