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Channel: 井沢満ブログ
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再び加藤治子さんのこと  土俵の外のハッケヨイ

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訃報を聞いてしきりに、治子さんのことが偲ばれる。

樹木希林さんが国技館の桝席をご用意くださって、治子さんと私が招待して
頂いた。

「まあ、久しぶりに会ったらあなた、垢抜けたじゃないの」と治子さんは
私を見てそういい、その頃やっと経済的ゆとりもできた頃、私の
身なりもよくなっていた。

初めての国技館。相撲取りの鬢付け油の匂いにまず驚かされた。
内館牧子という、後に相撲の何とか委員になる女が
友達なのに、私は相撲について全く知らず。
鬢付け油の何と淫蕩的なことであったろう。
大相撲というのはやはり特殊だ。スポーツではない。
神事であるのも一側面だが、歌舞伎の役者はその昔、春をひさいでいたが相撲はどうであったろう。

桟敷席で酒がふるまわれるのも初めて知った。
三人で盛り上がっていると、NHKの中継の人が来て、
「お三方、映させて頂きました」

はぁ? と思わず私。何かの作品をNHKに書いている最中のことで、
締め切りをほっぽっての大相撲観戦だったのに、ばれちゃったじゃないか。

と、それも思い出である。

私も相撲音痴だが、治子さんもめちゃめちゃで「勝て勝て、どっちも負けるな、
がんばれー!」とあの、おっとりしたお声で声援されるのである。

希林さんが「あなた、次に何書くの」というので、某有名原作の名を
上げたら、「そんな、つまらない仕事するの?」といきなり思いがけないことを言われ、私が口ごもっていると「そうよ、まあ何でそんな仕事を引き受けたの」と
治子さん。
追い打ちをかけるように希林さんが、「年収いくらなの」と訊く。
普通訊かない。でも希林さんは普通ではない。
正直に答えたら「そんなに稼いでるの。だったら、なぜそんな仕事
引き受けるの」脇から治子さんが、「そうよ。私もそう思うわ」

そう言われるほど、つまらない原作でもなかったと思うのだが、今にして思うと井沢満がやるたぐいの仕事ではないだろう、という意味であったと思う。
業界名うてのうるさ型お姉さまがたとの取り組みに、私が勝てるわけもなく、
土俵の外でのハッケヨイは、あっさり、私の黒星。
そういうズケズケ言いを私にして下さる女優さんたちも、他にはもういない。
藤真利子も相当言ってくれる方だったが、お互いに仕事量が減り、
会う機会もなくなった。

どんな流れでそういう顔ぶれになったのか、加藤治子さん宅で
佐藤慶さんと一緒にいた。会話の内容はまるで、憶えてないのだが
治子さんが「私は、うまい役者じゃないですけどね」と、淡々とおっしゃった
その一言だけが記憶に残っている。

NHKの連ドラ「家族あわせ」 朝ドラ「青春家族」 「君の名は」 NTV「外科医有森冴子」とひんぱんにお付き合い頂いた。

書きながら、まるで私自身がその役者さん自身であるかのように感じる
人がいて、ここのセリフをこう書いたらこう演じてくださる、ときっちり
読める役者さんがいて、現在では向井理くんだが、つまりは
相性の良さなのである。ひところ「井沢組」とご本人が名乗っていた高嶋政宏くんもそうである。三田佳子さんも、あたかも私自身であると感じる女優さんである。
作品で描いた世界を100%理解してくださる。
なまなかの演出家より、読みは正確なのである。

そういう‥‥・相性のいい役者さんが治子さんだったのだが、私が寡作になり、
治子さんも出られることが少なくなりしているうちに、作品でご一緒する
機会もなくなり、私にしてみれば唐突に去られた。

また一人、あちらの世界に一人知り合いが増えた。おそらく、こちらの世界より
あちらの世界に知りあい友人が増えた時、人は逝くのであろう。

生きている手持ち時間が、砂のように手のひらからこぼれ落ちて行く。
さらさらと、その音が心地よい。あと少し。今日一日だけの命。
去った人が親しければ親しいほどに、こちらの世界にある私の
足場が一つ、天空へ向けて消え去るような感覚。
その日は近づきつつある実感。

治子さん、清順先生とまた3人で飲んで盛り上がろうか。
清順先生、治子さんに少年のようにときめいていたね。
もう時効だから言っちゃうけど。何十年口をつぐんでいたのだから、
もう漏らしてもいいでしょ。


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