昨夜はセッティングしてくださる方がいらして、明治神宮至誠館、荒谷卓館長と
会食でした。
荒谷館長は自衛隊のご出身で、特殊部隊の創設者でいらっしゃいます。
特殊部隊を立ち上げる時のご苦労話の中で、電話でやりあう時、
受話器は耳に当てず怒鳴るだけ怒鳴っていらしたことなど、
興味深く伺いました。
怒鳴った言葉の剣呑さなど、その内容の剣呑さゆえに惚れぼれと致しました。
私は温和な佇まいしかお見かけしたことがないのですが、
怒るとこれはもう、本当に怖いだろうなあ、と思っていましたが、
その片鱗を伺ったような思いでした。
日本の武道の心構えなど、興味深かったのですが私に素地が全くないので、
言葉を再現できません。またお立場がお立場なので、耳にした言葉の
全てを表で語るのも礼儀に背くでしょう。
話は拉致問題にも及びました。なるほど、と経緯の曖昧さが腑に落ちるお話でした。
生きた侍を拝見しているようで、私など軟弱な人間とは合わないようでいて、でも
そうでも(たぶん)ないのが人間の面白さかもしれません。
形而上の見識を持たぬ人間、国民とは相容れぬ、という意味の言葉が
一番、印象的に耳に残っています。それと市ヶ谷へ乱入した三島由紀夫の
自刃について語られたことと。
生前何の個人的接触もなかった文豪ですが、二度間近にお姿を拝見していることと、交流深かった美輪明宏さんからその名と逸話を「三島さん」という
呼び名で聞いているので、呼び捨てし辛い感覚があります。
文豪をさん付けで呼ぶほうが、むしろ一般的には傲慢なのだとは
思うのですが。たとえば夏目漱石を夏目さんと、呼ぶようなものでしょう。
ただ、美輪さんという人を介して同時代を生きた三島さんを私は
やはりさん付けで呼びたい思いがあります。市ヶ谷乱入をオンタイムで
見てもいます。
「先生」でもないのです。三島さんは多面体の方であり、私は
先生と呼ぶには、ある意味あれこれ知り過ぎています。
「この方には死しか帰結がないだろう」と若い愛読者として思っていたので、
驚きより、こういう形で来たか・・・・という思いでした。
三島さんの文芸の部分から入った私はその武、その憂国の領域に関しては
長いこと無理解でありむしろ、文学者としての質が落ちた部分だと
思いなしていたのですが、ここ数年です、三島さんが何を
おっしゃりたかったのか、解ったのは。
言葉の一つ一つ、胸にストーレートに落ちてきます。嫌う人がなぜ嫌うかも、解りました。
雨の一夜、そこにはいない三島由紀夫が揺曳していたかのような
荒谷館長との会席でした。