黒の扇子と、黒の帯、黒の足袋を手に入れた。
葬儀にも和服で行こうと、ふと思い立ったので。
黒い扇子は珍しいので、どなたかに差し上げようと余分に一本買ったのだが、はて不祝儀の扇子をもらってくださる方はいらっしゃるだろうかと思ったのだが、即手を上げて下さった方がいらした。
思えば黒だから不祝儀と決まったわけでもない。
男物の、不祝儀の時の着物の決め事を知らないし、調べるのも面倒だが・・・・
黒い着物に、黒い帯、黒い扇子で何とか勘弁していただこうと思っている。
おそらく正式には紋付きなのであろうが?
草履はいずれ黒を手に入れるとして、とりあえず白の草履でOKだろう。
正式にはどうかこれも知らぬ。記憶によると、草履が白で鼻緒が黒だったような気がする。足袋も白でよかったかもしれない。
黒の帯は、居合をなさる方がお使いだとのことである。
羽織は黒の合せを持たぬので、いずれ誂えねば。
いずれにしても紋付きに羽織袴ではないので、略式である。
死を常に思って生きると生き方が鮮明になる。
明日、10日後に、1年後に死ぬとして何をするか?
死を忌む人も多いけれど、私個人には大いなる祝福、開放、卒業の時である。
斎藤ひとりさんという、漢方を商い納税日本一だか、楽観教みたいな説法で
人気のあるお方のテープを人が聴いているのが、耳に入った。
「この世には、遊びに来てるんだよ、神様からのプレゼントなんだよ」
・・・・・というのは、この世にあってさまざま地獄を味わっている人々を見れば、
首肯はしづらいがとりあえず、普通に暮らしている人にはあてはまる考え方ではあろう。
仕事も遊びも真剣にしなさい、と説いているよう・・・・な気がした。漏れ聞くテープの声なので正確な趣旨は違うかもしれない。
斎藤一人さんの声は、ややかすれ気味でセクシーである。そういえば、色っぽい男の声という見地で人を観察したことがない。今後は意識して脳裏にファイリングしてみたい。
遊びをせんとや生まれけむ。
これは平安時代末期の歌謡集「梁塵秘抄」にある一節である。