尾崎財団「政経懇談会」に呼んで頂いたのが、金曜日の夜のこと。
テーマは「拉致問題」で講師が参議院議員の中山恭子先生である。
少人数の勉強会である。
まず各国大使に信任状を渡すのは天皇陛下であらせられるので、
実質国家元首なのであり、海外でもそう捉えられている、という
お話に興味を抱いた。
そう言えば海外で「象徴」という言葉を聞いたことない。
いずれ、お立ちになる位置をもっと明確にせねばならないのかもしれない。
とはいえ、昨今の政治的言動を拝見するにいささかの懸念は
畏れながら抱く。皇后陛下の「A級戦犯」というご発言にも
肝を冷やしたが。
話が逸れた。以下井沢の私感を含めつつの記述で、主観も混じるから全てが中山先生がお話になったことではない。従って分析は全て井沢にある。
拉致問題に関して中山先生のお話の前ぶりは「海外で日本人の身に何か生じた時、日本は相手国にお任せする方針」ということで、のっけからへたるようなお話である。そんな国世界のどこにもない。日本が敗戦時に負ったトラウマがまだ
こんな形で癒えてはいないのかもしれない。
13歳の少女が、いきなり袋詰にされ担がれて船に押し込められ、着いた先は
見知らぬ貧しく暗い国。どれほどの恐怖であったろう。
憲法護持論者は、平和憲法ゆえに日本は戦争に巻き込まれず来たと言うが、
正確に言えば、やられてもやり返せない国になったのである。
拉致問題然り。竹島問題然り。竹島問題でも4千人近い日本人が半島に
拉致されたではないか。「強制連行」をやられたのは日本人なので、
そこは間違えないようにしたい。
ひとまず国民全員が国土内で巻き込まれる形での戦争は起きていないが、
情報戦という戦争はその只中にあり、領土侵略、拉致という形での
戦争にはまだ決着がついていない。
平和と安全を米国頼みにしている限り、日本の平和と安全とは
その程度である。
国民が拉致され、領土を占領され何が平和だ。何が平和憲法のおかげだ。
日米同盟がなければ、とうに日本は侵略されていたかもしれない。
自前で軍隊を持つか、国防を米国を後ろ盾として頼るかその
いずれかの選択肢しかない。
国境正常化が先か、拉致問題解決が先かという主張が2つに
分かれているというそのことに、まず驚く。
同胞が半島に拉致され、虐待されているのに国交正常化が先だと
主張する人たちがいるとは。
拉致被害者は、一定地域に隔離され指導員という名の監視人がつき、
買い物にも付いて来るという。日本人同士会うことも許されてはいないそうだ。
自分の国の領土は自分で守る。自国民は国家が守るぞ、という
意志を見せない国は、海外では軽蔑されるという。
現在の日本がそうであろう。拉致問題に対してなんと腰の退けて
いることか。ブルーリボンなど虚しい。
自国民救うに闘うことも辞さずという構えを見せずに、拉致被害者が
帰ってくることもないのに、リボンを付けて免罪符のつもりか。
私はある場所である方から、関係者は拉致被害者のご両親が
亡くなるのを待っているとしか思えない、解決する気はない
・・・・というのを聞いて、ぞっとしたがこの膠着した状況を見るに、
そうかもしれないと私は頷いてしまっていた。
日本人の国家観の無さは政治家も一般国民も同じレベルにあると思うが、
中山先生のお話だと、13年前まではおおやけには「国家」という
言葉すら使えなかったそうだ。
中山先生は一度日本に来た被害者の方々を北朝鮮に戻すということは、
拉致犯という犯罪者に、わざわざ渡してしまうということである、と
述べられ、これはその通りだと思う。
北朝鮮は、遺骨ビジネスを始めたそうでアメリカに対しての遺骨引き渡しに
北朝鮮が要求する金額は2万ドル、2百数十万円だという。
その金額を米国が払っても、戻ってくるのはわずか腕一本分の
お骨だったりするのだという。
拉致被害者の方々と、日本人のご遺骨が全部日本に帰るまで、
私は国交正常化はしてはならぬと思う。
中山先生とは名刺交換をさせて頂いただけで、個人的なお話を出来るほどの時間はありませんでした。
勉強会には父の形見の対の大島、それとカシミヤのブランケットです。
むさいので顔はカットしましたが、着物も相当着崩れてますね。