市川雷蔵さんの「眠狂四郎」にはまって、どっぷり狂四郎ワールドに
浸って、さあもう何作品を見たことか。
ある作品の特典映像に、メーク師の方が出ていらしてそのお話が
めっぽう面白かった。高齢の男性である。
昔はスターが自分の顔はやっていたそうで、だからどの男スターも
役柄に関係なく、自分が一番美しい顔に仕上げていたのだと、
口ぶりに批判が滲んだ。
その方が大映に入社した時は、メーク専門の職域がなく、
随分、いじめられたそうだ。
どうも、裏方の世界にはいじめがつきもので、男の世界でもある。
そのメーク師さんが市川雷蔵さんと出会って、花開く。
役柄により顔を変える役者がそれ以降、当たり前になった。
市川雷蔵さんが普段はまるで目立たない地味な人で、街を
メガネをかけて歩いていると誰も気づかなかった、と十人が
十人口を揃えるのだが、私は即解った。たまたま新宿の街で
お見かけしたのが、私が二十代初期の頃である。
視線が引き寄せられるように、雷蔵さんのほうに行った。
ひっそりとした中にも、何かのオーラを感知したのかもしれない。
メーク映えのするお顔だった、とこれも誰もが言う。
次に書く作品で某男優さんに舞台の女形をちょっとやっていただきたく
思っているのだが、その方の女形の顔と佇まいが、まるで
想像できないのだ。綺麗な男が即、綺麗な女形になるとは
限らないのが、悩ましいところである。
梅沢富美男さんには何度か、お目にかかっているがあの方の
落差は有名だ。気性も男っぽく、某劇場で幽霊に頭を
叩かれて(劇場の奈落には出ることがある)キッと、そちらを
睨み、「このやろ、2度死にてえか、ぶっ殺すぞ!」と
怒鳴りつけたというお話は奥様からうかがった。
美輪明宏さんも素顔は男っぽい顔で、性格も女っぽくはない。
楽屋でずっと、メークするところも拝見しているがとりわけ
時間をかけるわけでもなく、「キャンバスに絵を描くのと同じ」
「客観的に描くので、うっとり見入って顔を作ることなんかない」
鏡に向かった姿は、あぐらであった。
共演の踊り子さんに、メークの指導をしているのを私も
興味深く見ていた。眉の描き方の伝授であったが。
そういえば化粧を全くせず、Tシャツにコットンパンツの美輪さんを
知っている人はそういないのではあるまいか。
私は初対面がそういうお姿の時で、古武士みたいな人、
という印象だった。一瞬、物すさまじい目で射抜くように
見られたが、(あ、これは試験されてるな)と直感で解ったので、
目を逸らさず、静かに真っ直ぐ見つめ返していた。
その間、6秒ほど。私の心の中にやましいものがあれば、
目を逸らしていただろう、そんな目の恐さだった。
ふっと美輪さんの表情がなごみ、それ以来、
何十年、とりわけ親しいというわけでもない、元々
「人付き合いは腹六分」がモットーの方なので、つかず離れずで
いつしか時が経った。今でもあの人間離れして強烈であった視線はよく
覚えていて、あの時試験に合格したので、つかずつかず離れず
ながらもまだ、ご縁を頂いているのだと思う。
美輪さんの思想的なことを挙げて、不審がる人もいるが
それも解らなくはないが、普通ある人と付き合うときいちいち
思想チェックしますか、自分とは違う思想だからといって
それまでのお付き合いを捨てますか、と問うことにしている。
美輪さんに初めてお目にかかった時、私はまだ二十代
前半で、思想のかけらも持ってはいず、ただ物知らずの
阿呆であった。思想の如きものを持ち始めたのは
ここ数年のこと、というていたらく。
新成年に対して、「大人になるのは幾つから?」という
問いに、それぞれが21とか26だとか答えているのを
テレビで見たが、私は50歳からだと思う。
世の中も人も俯瞰で眺められるのは、その頃であろうかと
思うが、中には図抜けて優秀な人は勿論いる。
18歳からの投票権に危うげなものを感じもするが、
しかしネットで見ている限り、なまじの大人より
しっかりしているのは、若者ではないかと
思うこともある。身の回り見ても最悪なのは、よくいわれるように
団塊の世代の人たちである。敗戦後の自虐史観の毒に
しこたまやられている人たち。
彼らが投票権を持つ危うさに比べれば、若者のほうが
まだしもであろう、とそう思う。
ところで、化粧男子にはもう驚かなくなったのだが、最近の若者は
化粧ポーチを持ち歩いているそうで、これにはコケた。
男女差が近づき、男女兼用化しているのだろうか。
恋人が欲しくない、面倒くさいが男女ともに50%前後、で
これにも驚いたが性本能も淡くなっているようである。