MBS特設サイト「わが家」へ寄せる作者の言葉を書いたのが7日なのだが
多分準備の都合で(私の写真など)まだ載らないようなので、先にこちらに転記しておきたい。
なぜなら、人の命が関わることで・・・・まだこの世に息をとどめていらっしゃる間に
外に向かって発しておきたい言葉であるので・・・・。
今日「わが家」のオンエア日時が決まって、真っ先にメールしたEさんは私が以前暮らしていた土地でご近所であった。犬の飼い主同士としてのお付き合いであったが、たまたま私が書くドラマのファンでもいてくださった。
お知らせすると、打てば響くようなお返事をくださる方が、珍しく携帯が鳴らないな、と思っていたら別の方からメールが入り、Eさんが心肺停止で救急治療室にいるという。言葉を失くした。
人は大切な存在を失うまでその価値を思い知らぬ事が多いのだが、私もその愚かな人間の一人である。最も身近な視聴者の一人であった方に、今回のドラマを見ていただけぬかもしれぬと思ったら、なんとも言えぬ喪失感と寂寥、そして悲しみが来た。
ドラマを見て頂く、というのもご縁なのだと、年々(としどし)にその思いは深くなっている。
脚本を書く時には、誠実でありたい。楽しんで頂けることに心血を注ぎたい。
見てくださる方もそして私も、いずれこの世を去る。
世の中のあらゆる関わりと同じく、ドラマの作り手とそれを見てくださる方、というご縁も、この人生のつかの間の火花であろう。ドラマを見て頂いている間は、命と命のスパークでありたい。
新春ドラマへの一言としては、いささか場違いかもしれないが、これが目下この瞬間の私の率直な気持ちである。
肝心のドラマについての記述が末尾になった。
向井理さんとは二度目だが、役者と作家として、とびきり相性がいい。あちらはどのように思われているのか解らないが、漏れ聞こえる言葉の端々からたぶん、思いは同じくしてくださっている気はしている。
こちらが脚本に込めた思いと狙いを寸分たがわず正確に受け止めて表現してくれる。
余計なことはせず潔い演じ方。長く役者と関わって来た経験則で言えることなのだが、このタイプの役者が大成する。その場で上手いなと思わせても、小器用な向かい方をする人はそこそこで終わる。おそらく演じ手としての心ばえと品格に関わることなのであろう。
さらに言えば、99%脚本家が込めたことを正確に演じて、1%思わぬ良い裏切りをしてくれる役者はいずれ頂点に立つ。向井さんに期待している。
長塚京三さんとは初めてだが、スタジオでの演技を拝見していて、凄い。ほとほと凄い。向井さんとの殴り合いに至るまでの、セリフのテンションの上げ方が難しかったのだが、長塚さんは向井さんの「はあ?」という口癖を上手くリピートして、向井さんが殴りかかれるように感情をそそり立て、鮮やかであった。1秒間ほどのこの箇所は、脚本には書いていないのだが、これは小器用とは言わない。脚本の行間から掬い取った役者の霊感のごときものであり、1%の良き裏切りである。
田中裕子さんとは、たぶん30年ぶりぐらいの再会である。田中さん主演で書いた時は、田中さんに社会からドロップアウトした若いOLを演じて頂き、内外の賞を得て田中さんはモンテカルロの国際テレビ祭でシルバーニンフ賞(主演女優賞)を得られた。
大成功したコンビであるのに、その後全く仕事の機会がなかったことも、これもまたご縁なのであろう。
時は経ち、今度は老いを意識し始める母親の役どころで出て頂く。そのことに感慨がある。
村川絵梨さんには、「なんで、若いこのセリフが書けるんですか!?」と言って頂き、若い村川さんに「いい子いい子」してもらったような気分であった。
「採れたてピチピチの野菜」という田中さんに書いたセリフも絶賛してもらい、この歳になると手放しで褒めてくれる人もいないので、私は無邪気に嬉しかったのである。
この種の文章での定番美文は好まない。掛け値なしで、これほど全部適役を頂いたドラマは初めて。4人の役者さん以外の方々も適材適所。向井さんのガールフレンド的役を演じてもらう市川実日子さんは意外だったが、これはいい驚きで納得。脚本に続き、小説版を書く際にはむしろ市川さんのイメージで書いた。
小説は竹書房さんから12月の初旬に出て、脚本は映人社の「ドラマ」誌新春号(12月発売)に掲載される。
スタッフはプロデューサー・監督の竹園元さんはじめ、「花嫁の父」「母、わが子へ」「命」を送り出してきた安定のスタッフで、これもまた有り難い「ご縁」である。
(2014年11月7日。最も身近な視聴者Eさんの奇跡的回復を祈りつつ記す)
「わが家」特設サイト http://www.mbs.jp/wagaya/
Eさんがタクシーの中で心肺停止され、救急治療室に入られてから
今日で10日め。もう意識が戻ることはないそうで、送り込む栄養が
ストップされてから、たぶん5日間ぐらい経っている。
いつ「お知らせ」が来るか落ち着かなく過ごしている。
滅入ってはいたが冷静に淡々と受け止めていたつもりだったのだが、気を許した知人に
「Eさんにもう、私が書いたドラマを、見てもらえないよ」そう口にしたとたん、
涙が噴き上げ、うろたえた。