「合縁奇縁」という言葉も、もはや死語でしょうか。人の縁の
不可思議を言った言葉です。
最近、やっとビールを飲むようになったのですが、それまで
私は燗酒しか飲んではいませんでした。
それはある時、横綱審議会の方に「健康でいたかったら、冷たい酒を
飲まぬよう。飲むなら温かい酒を」と教わり、高齢で肌ツヤのいい
その方の言葉に説得力があり、それ以来私は「まずビール」という
皆さんにはさからって、いきなり燗酒から始めるようになったのでした。
それから随分歳月が過ぎ・・・・・
友人がつい最近、「昭和34年内閣委員会議事録」のコピーを見せてくれました。
ご成婚の直前、正田美智子さん入内に関して、宮内庁に対してこちらがたじろぐほど厳しい質問を矢継ぎ早にしている議員の発言と、対する宮内庁長官の回答で、議員の気迫に・・・凄いなこの方とびっくりしたのでした。
私も当時の、ちょっと不思議な諸状況を考えていて、だから友人が
その国会記録の存在を知らせてくれたのでしたが。
不思議というのは、まずご婚約を政府すら知らぬ時に、アメリカが先に掴んでいてNEWS WEEKで報道された、という事実。ということは、何らかの
形でアメリカがご婚約に関しては、日本政府を置き去りに、噛んでいたのだろうか、と当然思ったわけです。
その他私が幾つか不思議に感じていた点を、その議員さんは
舌鋒鋭く突っ込んでいて、昭和34年という時代に皇室に関することを
これほど、ずばずば発言する人がいたことに一驚・・・・・その反面、
当時のほうが実は皇室に関しては発言の自由があったのではないか、
とも。現代のほうが厳しくなっているかもしれません。
その国会議事録の内容については、触れません。
興味のある人は探してみると良いでしょう。議事録は残っています。
議事録を前段に振ったのは、内容について触れたかったわけではなく、合縁奇縁を述べたかったからです。
唐突に、ふと感じたことがありその議員さんのお名前を再度見てみたら、
記憶の底で揺曳するものがあります。
ひょっとしたら、この方?・・・・・横審の委員というその議員の経歴も
記憶の引き金になったようで、あっと思い出したのは、私は
その方に一度お会いしたことがあるのです。
知人に寿司屋に招待して頂き、出かけたらそこに横審の委員を
名乗る方がいらっしゃり、プロレス界から芸能界の裏話まで
のけぞるようなことを語られ、洒脱な物腰の老紳士なのでした。
国会で舌鋒鋭かった議員さんのお名前は平井義一氏です。
私は寿司屋で名刺を頂き、後日お電話まで頂戴しているのに、
そのお名前と国会でのお名前が一緒であることに、しばらく
気が付かなかったのでした。
写真で確かめて見ると、初代水戸黄門を演じていらした東野英治郎に
似た風貌です。訳知りで、酸いも甘いも噛み分けた方でした。
調べたらすでに逝去されていましたが、長寿でした。
私がお目にかかった時は、赤坂に所有のマンションの一室で暮らされ、
奥様の介護をなさっていたようです。タクシーでお送りした車中で
うかがった話です。
こんなことなら、もっと突っ込んだお話を聞いておけばよかった、と
思うのです。随分各分野に事情通であり、いずれもしかし
表に出せる話ではありません。昔はこういう人が政界に
いたのでしょう。今もいるのかな?
ひょうひょうと、さばけていて老いの色気がある人でした。
もっとも、当時の私はもの思わず、考えずのパーでしたから、
さして質問する内容も持ってはいませんでした。
今ならいくつか確かめたいことがあるのですが、もう
あちらの岸にお渡りの方、言っても詮ないことです。