韓国で、日本の災害があたかもお祭りのように祝われることは
東北大震災以来の慣れっこでもはや、さして驚かぬのですが、
今回イ・ジュンギ という韓国スター男優のブログで、熊本への哀悼の意を評した
その内容に対してすら、ブーイングという現実を見せつけられるに至っては
反日教育がもたらした、国民性というより以前に個々の
人間性の問題ではないかと思われます。
イ・ジュンギの名を知らなくても韓国でメガヒット、日本でも高評価だった
「王の男」の出演者であると言えば、韓国特有の切れ長一重の目の、
美少年の顔は知っているかもしれません。
旅芸人の少年ながら、その美貌と才能ゆえにいつしか、暴君の心を奪いキーセン上がりの側室の女の妬みを買い、様々の波乱万丈・・・・・という作劇で
元々は舞台劇だったようですが、映画も秀作として仕上がっています。
ht tp://ameblo.jp/jgtogether/
以上のURLにあるイ・ジュンギのブログは日本語で綴られた日本人ファン向けで、被災者への見舞いの意であり、おそらく韓国人の翻訳者による
たどたどしい日本語なので、よくわからないのですがしかも
イ・ジュンギは熊本(か日本)を訪れて、会ったばかりの人々が
災難に遭っていることに心を痛めている、とそう書かれているのです。
日本語で書かれた文言にすら目を光らせていて、バッシングの対象とする
その粘着性にも驚かされますが、通常そのような哀悼の意を
叩くごとき動きがあれば、一方にそれをたしなめる声があるものです。
中国ではそうでした。熊本の災害を心から祝う、祝意の印に
夜間来店の皆様には、ビールを無料でふるまう、とでかでかと
横断幕を掲げたレストランの店主は、激しい批判にさらされ、
普段は南京大虐殺の、と嘘八百で日本を貶めている国も、
さすが天災にからめての反日を許容するほど異常では
ありません。
しかしイ・ジュンギのブログへの非難をたしなめる声は、さして
ありません。
これはもう隣国としても、よく言われるように関わらず、関わらせずを
基礎に置くのがお互い、余計な摩擦が起きず済むであろうと
改めて思った矢先、借りていた韓国映画を見たのです。
「光州5・18 韓国国家が隠した真実」という旧作ですが、
現大統領である朴槿恵大統領の父上でいらした、朴正煕大統領が
暗殺され、台頭した軍事政権軍と、民主化を望む民衆党の
壮絶な抗争を描いた、史実に基づいた映画です。
私には不得手なジャンルで、借りたのは韓国の戦後史の一端をフィクションの
形であれ、ある種「実感」してみたかったのです。
ところが映画は秀作で大変な出来栄えでしたが・・・・
それよりその共時性に驚いたのは、予告編でいきなり
イ・ジュンギが現れ、予告3作品ともイ・ジュンギ、そして
本編でもイ・ジュンギ出演という、イ・ジュンギづくし。
私にはこのてのシンクロニシティが多いのですが、こういう場合の
それはこれをきっかけに「学びなさい」というサインです。
「光州5・18 韓国国家が隠した真実」を通して私が学んだのは、
お互い思い込んでいるほどには、隔絶した価値観や心情の持ち主ではない、
人間として全く、解り合えぬ存在ではない、というそのことです。
映画を見ている間、終始私は光州にある韓国人の一市民の
心情に託して、軍事政権の独裁と加虐とに相対してい、
人物たちと恐怖と怒り、絶望を共有していました。
まず学びはそれが一つ。永劫に解り合えぬという相手でも
お互いなかろうということです。といって、千年恨みを
忘れぬと言っている相手、一朝一夕に歩み寄りがあろうなどと
甘くは思っていません。千年先か、1億年先かわからぬけれど、
お互い歩み寄るにはとにかく真実を伝え続けねばならぬということです。
元凶はGHQの日本弱体化施策が創り出した、韓国人被害者、日本人
加害者という構図です。その偽りの構図の粉砕からこつこつ始めねば
なりません。
「名前も言葉も日帝は奪った」などという、基礎的大嘘が
いまだ韓国では信じこまれていて、それどころか日本ですら
自虐史観の人たちは、固くそう思い込んでいて驚かされます。
自虐史観の人たちは相当数身近にもいて、とりわけ団塊の世代に
多いというのが実感で、話していても本当にどうしようもありません。
自らが教えこまれた嘘を信じこみ、疑おうともしないのです。
まして、その史観がGHQの奸計発であるということに思いが
行くこともありません。人から刷り込まれた思想を、自らの
自発的な考えだと錯覚しているのです。
挙句「あなたと私とは思想が違う」と言うのですが、違うのは実は
思想ではなく「勉強量と、情報量」の相違なのです。
イ・ジュンギを発端に私が学んだのは、人間の心情として決して
解り合えぬというほど絶望的な相手ではないこと。
それと同時に、解り合うには真実を見据える事が必要である、
ということで、日本ですら歪められている事実が、韓国で
そうやすやすと、客観的俯瞰視野を持ち得る状況は
ないであろう、ということ。
しかし、日本が真実の発信を止めてはたとえ千年後であっても
相互理解は不可能であろうこと。
ああこういうことかと思い至ったのは、光州の市民に対する
軍事政権権力は苛烈であり、無造作に殺戮します。おそらく・・・・
韓国の国民は幼い頃から日帝もまた、そのような圧政を
敷いていた、と叩き込まれるのだな、と。それなら消えやらぬ憎悪も
当然のこと。
しかし、日本は圧政や恐怖統治をしてはいません。
あちらの官憲の殆どが現地の人々なのです。もともと血の熱い人達ですから
日本人が年端もいかぬ少女を拉致して性奴隷として使った、などということが
事実なら、彼らが黙っていず、また証拠が具体的にこれでもかと
残っていたでしょう。
と言うと、日本が証拠を破棄したと言われるのですが、人の口に
戸は立てられません。証言が当時これでもかとあったはずです。
数十万人も被害者がいて、一件たりと「こんな酷いことが目の前で
行われた」という証言が皆無なのです。
日韓条約の話し合いの場ですら、慰安婦のイの字も話題には
出ていません。南京大虐殺とやらと同様の後出しジャンケンです。
満州を日本が植民地統治したことはありませんが、影響力の多い
関与をしていたことは事実です。中国のそれに対しては、
怒りしかモンゴルの人たちは持っていませんが、「日本の統治は
良かった」というのです。厳密には統治ではないのですが彼らの
意識内ではそのようです。その上で「日本は、よかった!」と。
台湾は統治しましたが、日本は敬愛をいまだ受けていますね。
満州でも台湾でも、やったことは同じなんです。ただ韓国が、
日本の統治を憎悪する。
それはGHQが仕掛けた日本弱体化の構図に、歴代の
大統領が乗っただけのこと。国を一本にまとめるには、
国民共通の敵があるのが手っ取り早く、GHQの目論見と
韓国の統治側と利害が一致したのです。
日本の統治時代にことさら、それを憎み反逆しようとした
動きはありません(少数例外は何事にも付き物ですが、事改めて
記すほどの反抗はありませんでした)
兵隊の募集に対しても、青年たちは日本の軍人になりたくて
多い時には競争率が50倍にも達しています。
朴槿恵大統領のお父さんもその一人で、日本政府に
血書までしたためて、日本帝国の軍人になりたいと熱望の
書簡を出しています。日本国民であることを誇りとして、日本を
愛していたと言わざるを得ません。
このところ、韓国にまつわる共時性は実は映画のみならず演劇にもあって
私は思わぬことで、在日の方が書かれた芝居を否応なく拝見する、率直に言えば避けようない成り行きで拝見させられることがあったのですが、これも大いなる学びにはなりました。
心情の一端は、理解できるところあり、しかし反論もあり、これについては後日記すかもしれません。
映画でもう一つ学んだのは、中国はとりわけその連続と言っても
いいのですが自国民大虐殺が歴史に頻繁であったこと。
天安門はさして遠い過去ではありません。
韓国の済州島での自国民粛清も半端無く、その殺戮を逃れて
日本に密入国、不法滞在のまま居着いた人たちも多いのです。
彼らはその多くが大阪に住み着き現在に至ります。
言えば日本は命の恩人なのですが、それをしも、もし強制連行されてきたと
言い換えるなら、道理に反するでしょう。
翻ってわが国を思えば、戦乱はありましたが、思想故に自国民を
無造作に大量に殺した歴史などかけらもありません。
やはり穏やかな国なのです。
末尾に簡略ながら記しておきますが・・・・・・
現在、蕁麻疹の治療のために漢方の先生のところに
通っていて、随分快方に向かっているのですが、その先生が
霊感が時折作動する人で、身体的不調が心因性であることを
ズバリ仰る方で、私の場合はお話をはじめてわずか3分後に
私の心の中の要因を端的に、指摘されたことは記しました。
近年西洋医学でも心因性の病気があることは、解明の
端緒につきましたが、しかし私はおそらく西洋医学が捉えている
以上に心に原因がある病気や身体不調が、おびただしくあるであろう、
と直感しています。
そして、ふと思ったのが国家にも心因性の不調や歪みがあり
それが国家を病ませてはいないか、と。
国家や国民性を形成するのは、ひとりひとりの国民です。
長年の中国の冊封国としての、奴隷的扱いによる
国家規模の被虐の歴史が、国民一人ひとりの意識を歪めてはいないかと。
また国内では白丁という奴隷階級が多く、一握りの両班(リャンパン)という
貴族以外は国民規模で虐げられていた長きに渡る環境も
人の心を病ませた可能性があるかもしれません。
国家として虐待され、また国内では国家による虐待の長きに
渡る歴史が作り上げた心因性の病み。
これを追求すれば、新しい角度からの韓国論、日韓論が書物として存在し得るかもしれず、とすればタイトルは「母を憎む 心因性としての韓国病理論」として、
日韓関係を前向きに探る端緒とも成り得るか・・・などと。
タイトルとしては、文言自体が齟齬を来しているのですが、いまだ未整理のままの提示であり、物書きの楽屋裏の公開ですね、めったに致しませんが。
親子関係の歪みが、いかに人の性格と人生に影響をふるい、また
体調を狂わせ、病気まで作り出すか・・・・・このところ
私の呼びかけに応じて非公開でいただく体験を読ませて頂きながら
考えます。
それら個人的親子関係と、韓国という一国を「心の傷」という
一語をキーワードに結び合わせられれば
新しい切り口の韓国論、日韓論になり得るかと、ふとまだ妄想段階です。
直の結びつけは難しいな、と思いつつ。
心因性の病気を抱え込んでいては、韓国の国家としての成長は
頭打ちであり、ひょっとしたら衰退の基ではないかと思うのですが、
余計なお世話と怒鳴り返されるのがおちでしょう。
お前の国はどうなんだ、とも。