五輪招致については、お金が動くのであろうとは雪が満足に降らぬ
平昌開催決定の頃から想像はしていたのですが・・・・
大体、中国と韓国と団子になったエリアで連続開催自体が
不自然だし・・・・。
東京五輪に関しても、開催地のくっつき方他、幾つかの理由から
私は当初より招致そのものにうろんなものを感じ、疑念を表明して
来たのですが案の定というべきか、
蓋を開けた途端露呈した運営側のずさんさ、大金を
溝に捨てた競技場デザインの、次が決まればあろうことか
聖火台がないという・・・・
聖火台がないというのは、五輪の精神を置き去りに物事が
利欲と謀(はかりごと)で進んでいることの象徴のような気が
致します。
バルセロナを差し置いて条件が諸事整わぬ東京に来た、その
経緯は考える所あるのですが、ここへ来てフランスの検察当局は、
日本の銀行の口座から、国際陸連の前会長の息子に関係するとみられる会社にオリンピック招致目的とおぼしき、およそ2億2000万円が振り込まれた可能性があるとして、贈収賄などの疑いで捜査を開始しました。
捜査の結果を待たねばなんとも解らないことではあるのですが、
これほど、招致の段階から何やらじとじとと陰の気がつきまとう
祭典が果たして日本のためになるものなのでしょうか。
大きな災害続きであること、直下型地震への懸念などを理由に
返上できぬものかと、いまだ思っているのです。
いったん決まったもの、今更言ってもという考え方はありますが、しかし
「また」ということがあります。愚かしい道を将来再び進まぬためには、
疑念が残る点はきちんと検証しておきたいのです。
東京五輪にはパナマ文書にもその名前のある、某社が暗躍していることは
明白ですが、その暗躍ぶりにも気づかぬ国民が多いのでしょう。
報道されない部分ですから・・・・・・。某社は韓国とも密着していましたが・・・・。
平昌と東京とを水面下で私が、ふと結びつけて考えてしまう
ゆえんでもあるのですが。
いずれにしても五輪が国威発揚になったり、景気の浮上に役立っていたのは
昔のことです。どこかで誰かの懐が局部的に潤うだけのこと。
利権のヘドロ状態になった五輪はもはや廃して、それぞれの競技は、個々でフェアに競えばよろしいのではないですか?
人間の業のおぞましさで、個々の競技にもいずれ政治やお金が絡んで来る
かと思いますが、その時はいったん解体して出直せばよろしい。
五輪ほど図体がでかくなければ、さして難しいことではないでしょう。
五輪に経済効果のさしてないことは、こちらのHPで具体的数値を上げて
分析がなされています。
h ttps://fstandard.co.jp/column_detail/151
国威発揚にもはやらなぬことも、北京とソウルで明らか。
リオで開催されるからといって、ブラジルの政情や治安、
経済が安定したとは誰も思いません。
先の東京五輪は、日本の高度成長の後押しとなり、それは
日本がまだ先進国になりきれていなかった時代だからです。敗戦後のへしゃげた日本人の心に再び自信を取り戻させました。五輪を迎える国民も
無邪気に喜べました。
季節はあたかも、空が青く高い秋。
死者さえ心配される酷暑の開催ではありませんでした。
思うに、五輪の汚染もまだ進んでいなかった頃かもしれません。
東京招致なってから、猪瀬、舛添と二代続けざまに都知事の金銭不祥事も
偶然とはいえ、気勢が上がりません。それにしても舛添氏、都知事を続けられるのでしょうか。私は、金銭問題より実は遥かに韓国学校への、日本人
児童をさしおいての土地貸与が問題であると思われますが。
金銭問題が些細な事とは思いませんが、防衛省と自衛隊の駐屯地、
皇居、靖国が至近にある土地の、韓国への実質的“永久貸与”に大きな
懸念を持たずにいられないのです。
五輪開催で大きい雇用が生ずることは事実ですが、それで潤うのは後進国のこと、雇用もそれなりに安定、インフラもすでに整備している国で
五輪を開催するメリットは、さしてありません。
スタジアム建設を名目に、外国人労働者の大量受け入れなどと
言われると、そう来たか・・・・・と、心が乾きます。
パクリ問題に始まった新エンブレムが葬式っぽいと大方、不評ですが、負の要素がやたら多い東京五輪にはふさわしいのかもしれません。
招致に都が莫大に使ったお金は、もっと他に有効に使えたのではないですか。
そのお金で保育園開設など簡単なことではありませんか。
次の次の東京五輪がいつ来るやもしれませんが、その時の国民には
もう少し慎重に、賢くあって欲しいとそう願っています。お金を使ってまで
呼び寄せる価値があることかどうか。