女優さんではないけれど、同じテレビの世界で生きている人だし、
彼女が司会する番組に出たことも数回あるし、
またドラマではないけれど、人様が一生懸命作ったであろう
番組をけなすようなことはやめとこ・・・・・・と
自粛していたのですが、今朝早く見たテレビの、
中尾彬さんの言葉の目覚ましさに釣られて、つい
書いてしまいます。
そのままの言葉を覚えていず、記憶による不正確な言葉の
再現ですが、
「記者会見で嘘ついたんだから、なんで中居の番組で謝るんだよ、
記者会見に出て来いよ」
「相手の男がゲスだね。今ここにいたら殴ってやる」
問題の女性に対して私はもう何も言うことはないけれど、
ドラマ屋の目で“復帰番組”を見ると、作りてのあざとさが際立ち
違和感が著しく残ったのです。あれで、可哀想とか、許してやろうと
思う人もいるだろうしそれはそれでいいのですが、プロの目から見て、
「作為」という点でいかがなものかとは、率直に言って思いました。
まず、中居くんの視線で出演者の一人を捉えて、機械的な
ハレーションを何度か起こさせ、視聴者に何だろう? と思わせ、
その出演者がいつの間にか一瞬、問題の女性になっている、というごとき
恥ずかしい演出。
夜更けの、農家の一室という設定で中居くんの真率ふう芝居(敢えてそう
言います、彼も役者なんだから演じてます、分かるんですよプロだし、
演じている部分は)に対して、誠実風に涙する
演技の(これも敢えて)問題の女性。・・・とここまではいいとして、
芝居にも一瞬の誠実がこもることはあるのだから・・・・思わず私が
ギャッと退いたのは、その二人の会話を「ひとり農業」の
男性がじっと、耳を傾けている・・・・・というのが結びで、ドラマ屋としては
ここまで、あざとくやる?・・・・という・・・・恥ずかしいのです、
やり過ぎで。
視聴者の心をこう引っ張ってやろうという、意図が露骨過ぎて。
何とか言いながら番組を見てしまった気恥ずかしさも告白
せねばならず、言うまいと口をつぐんでいたこと、書いちゃいましたが。
中尾さんの啖呵の如き論評につられて、つい。
随分昔のことになりますが、ある方が世論の集中砲火で
孤立無援状態、擁護しているのは私だけということがあり、
私も煽りでバッシングされ、テレビカメラに追いかけられていた
状況というのがあったのです。だから叩かれる痛みの
いったんは承知しつつの記述です。
100%の擁護者というわけでもなかったのですが、マスコミ的には
その方と私VS世論という図式になってしまい、私もマスコミと
世論に理不尽なある要素を感じていたこともあり、闘っていたわけですが、
そんなある日、古舘さんが司会をやっていらしたある番組に呼ばれ、
要するに、私をレギュラー出演者が寄ってたかって吊るし上げるような
形の番組です。
出演者は、談志師匠をはじめ中尾彬さんがいらして、他にも数名
裁判官のようにいて、私としては逃げるのも嫌で、怖い人々から集中砲火を
浴びる覚悟で出て行き、しかし出た以上言うべきは言ってしまおうと、
腹を据え真剣に喋った記憶があります。
すると、番組収録後私に近寄って来て、握手を求めた人が
中尾彬さんでした。何も言いません。ただ黙って手を差し出し、
握りしめた。それだけのことでした。
最も怖いと思っていた談志師匠は、番組中見事なほど終始無言で
私は斬られませんでした。それが師匠の評価であったのだと、
私は勝手に思っています。喋りのプロが一言として声を発さず
無言を通し、それが師匠の意思表明であるとするなら、
批判であったかもしれないのですが、眼の色で何となく
肯定であったような。今となっては解りません。
後年、爆笑問題のトークに単にゲストで呼ばれた時も緊張の極みだったのですが、彼らの毒舌は浴びずに済みました。そのことを、脈絡もなく
今ふと思い出しました。怖いタレントさん、ということで。
話を元に戻すと、ワイドショーネタで、私もボロボロにやられていた時なので、
中尾さんの差し出した握手の手が、一つだけ、気持ちのいい記憶として
残っています。そう言えば旧知の和田勉さんも「裁判官」の中にいて、
私がテーマ音楽とともにセットの扉から現れるとえらくウケて
手を叩いていらした姿を思い出します。
収録後複雑なスタジオの出口に私を案内してくださったのはいいけれど、
ご自分も迷ったことなど、おかしくなつかしい思い出です。
しかし、相手の男ですが女性がこれから違約金のようなことで
払わねばならない巨額を押し付けて、まあ逃げちゃった
わけで、筋からすりゃ男は払わなくていいのだけど、
中尾さんのように殴ってやるなどと勇ましいことは言えませんが、
あの、薄っぺらい顔と唇とキノコ頭を見ていると虫唾が走ります。
はぁ・・・・喉までつかえていたこと吐き出せて、すっきりしました。
中尾さん、ありがとう。