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「ある外交官の戦時秘話」 ヘタレ外務省に読ませたい

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私の外務省への憤りがマックスに達したのは、軍艦島のユネスコ登録の時だったが、それ以前にも憤ろしく思うことはあった。

ことのゆくたてを語るなら、どの分野もそうなのだが所詮は敗戦時にまで遡り、GHQとの関係を見ねば戦後71年間の歴史は語れない。

GHQはありとあらゆる日本弱体化のための施策を、敗戦後息も絶え絶えの
日本に施していったわけだが、その殆どが成功している。おそらくほぼ唯一失敗したのは、日本語を奪うこと・・・・ローマ字化などの試みぐらいではないか。・・・・・いや、あと一つ古神道に根ざす日本人特有の精神性の崩壊にも失敗している。

愛国者は軒並み公職を追放され、あの戦争を「反省」し、東京裁判を
素直に受け入れる、「反日者」が教育界、司法界・・・・・とありとあらゆる分野に
GHQ絶賛賛助の庇護のもとにその勢力を伸ばしていき、外務省とて例外ではなく、反日的であるほどに出世階段を駆け上って行き、その代表格が小和田恒氏である。
(皇太子妃の実父であらせられるが、そのことと今回の小論とは切り離して
考えて頂きたい。外務省の敗戦時以来の体質を解明する時、小和田恒氏は
外せないのだ。皇室への尊崇の心情とは、別区分で語らせて頂きたいのである)

小和田氏は「日本ハンディキャップ論」を唱え、中韓への「ひざまずき外交」推進者とも称されるお方であり、とにかく中韓とは波風立てぬ主義のお方。言われたら言われっぱなし、なぜなら「日本は侵略戦争という悪事を行ったのだから、彼らとは対等ではあり得ず金銭でどこまでも償って行こう」というスタンスのお方。

それゆえ、保守といおうか愛国主義の一派が小和田恒氏を見る目は極めて険しい。なかんずく、土井たか子氏を相手の国会での答弁は許しがたく見做されている。

 

昭和60年11月8日(火 ) 第103回国会 衆議院外務委員会 第1号抜粋

(前略)
▼土井委員
 つまり、国際的に日本は中国に対して侵略をしたということが是認されておる、国際的それは認識である、このことを日本もはっきり認めなければならぬ、こういう関係になるわけですね。
東京裁判で「平和に対する罪」という概念が新しく出てきているわけですが、「平和に対する罪」というのは内容は一体どういうものなんですか。外務省いかがでしょう。

中略

◆小和田政府委員
 ここで裁判を受諾しているわけでございますから、その裁判の内容をそういうものとして受けとめる、そういうものとして承認するということでございます。

                抜粋ここまで

かいつまめば、小和田氏は「極東軍事裁判を日本政府は受諾したと繰り返し、A級戦犯を戦争犯罪人であると断定した。サンフランシスコ条約(第十一条)原文の「judgements」を「裁判」と訳すか「判決」と訳すべきかということが日本の保守の間では言われていて裁判の全肯定ではなく、あくまでの個々の判決を受け入れたに過ぎない、と。

ところが、小和田氏は日本が東京裁判そのものを肯定した、という認識でその後の外交に携わられるのだ。「戦争犯罪人」の存在も認めている。

 

西尾幹二氏の小和田恒氏評は「小和田氏はその師・横田喜三郎氏と同様に、何が何でもあの戦争で日本を一方的に、永久に、悪者にしたい歴史観の持ち主なのだ」「アメリカ占領下の日本無力化政策にいかなる疑問も不安も抱かなかった、既成権力にひたすら従順で用心深い小心な一官僚の姿である」   愛国者には悪名高きかの「村山談話」「河野談話」のベースを作ったのが小和田恒氏であるという言い方も間違いではないだろう。 小和田氏の自虐史観は極めつけで、天皇陛下がタイ国を訪れた時の、晩餐会スピーチ(小和田氏の作文である)にも、それが如実である。
タイ王国から「反省の文言は要らない」とわざわざ言って来ているのに、反省の文言を強引に入れ込んだ文章を書き、天皇陛下に「読ませた」のが小和田氏である。   と、私はここまで小和田氏に託して字数を費やし、いかに外務省が敗戦時のGHQ主導を引きずって現在の体質を形成しているかを書いてきた。 いささか前置きが長くなったが、外務省にもGHQ追随の自虐史観者ばかりではなく、日本をまっとうに愛する役人もいた。 岡崎久彦氏である。当時の新聞記事から抜き書きしてみよう。                   「日本外交とともに」岡崎久彦 (2014年7月2日付け 読売新聞)

外務省本省から、バンコクで予定されていた天皇陛下のお言葉として、真っ先に先の戦争で日本のした行為を謝罪する案が出た。私は反対でした。タイには日本に謝罪を求める気持ちなど無いことを知っていましたから。タイ外務省に確認し、何も謝ってもらう必要はない、とのタイ側の意思を本省に伝達しました。
 

抵抗していたら小和田恒次官がこれで勘弁してくれと言ってきたのは、天皇陛下が、まず日本とタイがいかに仲がよかったかと、お言葉をずっと述べられる。そして最後に、最後に全東南アジアに向けての発言として、「先の誠に不幸な戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう平和国家として生きることを決意」 という言葉を述べていただくことにした''、という。

 
この箇所はタイではなく全東南アジアに向かっていう部分なのだから、タイ大使としては反対しにくい。私は一時、辞表を書くことも考えたけれど、それで黙っちゃった。最初の案を書き直させただけでも意味があったのかなあ。

              抜粋ここまで

岡崎氏の抗議と抵抗がなければ、タイ国における天皇陛下のお言葉はもっと、「謝罪と反省」に満ちたものになり、それは中国韓国も受け取るのだから、その後の日中日韓関係に影響を及ぼしただろう。天皇陛下の「反省と謝罪」は政治家の、数倍も重い。

現代にも、岡崎氏のごとき愛国の人物は外務省にもいたのだが、戦前の外交官はもっと祖国を愛することにかけては、ピュアだった。敗戦は、というよりGHQは余りにも巧みにWGIP(War Guilt Information Program)により、日本人に罪の意識を刷り込んで行った。

と前説が長くなったが、ある書物を読んでの感想をいくばくか記したく、そうしたら
この長さになってしまった。「ハンガリー公使 大久保利隆が見た三国同盟 ある外交官の戦時秘話」髙川邦子・著(芙蓉書房出版)である。

大久保公使は、著者の父方祖父に当たる。

当時、現地でなければわからない戦争に関する情報をいち早く得た大久保利隆公使だった。

「ドイツは必ず負ける! それも1年から1年半後に」という切迫した情報を基に、枢軸同盟国の不利を日本に伝え、早急な終戦を説いた一外交官の精神と動きの足跡を、孫である髙川氏が細密に追った力作である。

長年の多読で、薄手の書物なら1時間で読み終える程度の速読法は身についている私が、一行ずつ立ち止まってはあたかも匍匐前進の読書を余儀なくされた。
そういう意味では、読者に前段階としての知識とそれから読解力を求め、知性を要求する書物ではある。

しかしながら、一寸刻みで読み解く内にいつしか、大久保利隆という男の生きた背景が行間から立ち上がってきて、私の職業柄もあろうが映画のシーンのように、人々の息遣いや汽車の汽笛、煤の匂いまでもが鼻腔を打ち、感興が湧く。

大久保はWikipedia に載る如き歴史上の著名人ではないが、史実の一角に於いてはまぎれもなくヒーローであろう。
ヒットラーに心酔する阿呆な日本人との対峙、昭和天皇にご進講するくだりなど、教科書からは漏れた歴史の一端が息づいている。

私が書くより、ふと見てみたAmazonの書評が要領よくバランスが取れていると思う。

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%BC%E5%85%AC%E4%BD%BF%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%88%A9%E9%9A%86%E3%81%8C%E8%A6%8B%E3%81%9F%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%90%8C%E7%9B%9F-%E3%81%82%E3%82%8B%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%AE%98%E3%81%AE%E6%88%A6%E6%99%82%E7%A7%98%E8%A9%B1-%E9%AB%98%E5%B7%9D-%E9%82%A6%E5%AD%90/dp/4829506547

蛇足を承知で、いくらか私見を述べれば歴史にIFはないというが、しかしもし当時の天皇陛下がそして軍部が、大久保利隆の言葉を用いて、早急に戦争から手を引いていればどうだったか? と思わずにはいられない。

あの戦争はマッカーサーさえ後年アメリカで証言したごとく、侵略戦争などではなく「自衛のための戦争」ではあったが、開戦が果たして正しい選択であったのか、しかし戦争を避けていたら白人による有色人種の植民地支配は終わってなかったし、白人優位を打ち壊しての世界史の様変わりもなかったであろう。

いずれにしても、ルーズベルトのけしかけた戦争である。
古くはOSS時代に遡り、過激なレイシスト、ルーズベルトは生意気な黄色い猿を叩き潰すことに、以前から妄執を燃やしていたのだ。
そして時を得て、日本国の生命ラインを断つごとき対日石油禁輸措置と、ABCD包囲網。
ABCD包囲網は1930年代後半、四カ国が共同で日本に対して行った貿易制限に、日本が名付けた名称である。「ABCD」とは、アメリカ合衆国(America)、イギリス(Britain)、中華民国(China)、オランダ(Dutch)と、頭文字を並べた。

日本は立ち上がらざるをえない状況。引くも地獄、進むも地獄の二者択一を余儀なくされた。

著書の一節を引くなら、ムッソリーニ時代のチアノ外相は次のように記している。

「今やルーズヴェルトの策略は成功した。(略)日本にアメリカを攻撃させることにも成功したのだ」


その通り「攻撃させることに成功」したのが、アメリカなのだ。パールハーバーもあれは乗せられて「やらされた」ことであり「奇襲」などでは、実はない。アメリカは事前に掴んでいた。証拠がある。

余談に逸れるが安倍昭恵さんという方の行動の一定の文脈を逸した突飛な行動には、眉をひそめざるを得ない。
せっかく、オバマ大統領が広島を訪問して、少し事実というものに米国が向き合い始めている時に、パールハーバーなど慰霊に訪れて、せっかく日米間に醸成されつつあった「気分」を台無しに、古傷のかさぶたをひっぺがすようなことをなぜなさる? 夫がせっかくマリオで華々しく成功している時に? 官房長官は慌てて「私的行為」と弁明したが、首相夫人の肩書を背負っている期間は半ば公的行為であろうに。だからこそ、大々的に報道されもする。
「主人にも内緒」という沖縄の高江訪問も、意味が解らない。

一説には安倍さんとのバランス取りであるとか、ガス抜き要員であるとかいう好意的な味方もあり、私もいったんはそうかな、と一連の言動をつぶさに拝見するに、単に浅慮なだけだ、という結論に達した。発言と行動は独特な思い込みが動機で、その思想に一貫性があるとも思えぬ。韓国の夜郎自大な朝鮮通信使イベントへの介入、韓国語をわざわざ用いた「オルレ」の宣伝加担、日本毀損発言のミス・インターナショナル日本代表との結託などなど、そのとっちらかり方に驚かされる。そしてあろうことか党の公認候補への口出し。

個人的な思想はご自由だが、総理夫人の肩書がある間は謹んで頂きたく思う。「家庭内野党」を標榜しつつ安倍政権の足を引っ張りかねないお方。
安倍さんには、五輪までは首相の座にあって頂きたい。世界にその存在を知らしめるに足るだけの長期政権が日本には余りにも少ない。大臣に至っては誰が誰やら、いつの間にやら首がすげ変わる。任命を党内人事バランス取りや論功行賞的な狭い判断だけでやって頂きたくないのだ。大臣などお飾りに過ぎなくなってしまう。

書物に話題を戻す。

私が書物中、一番心に触れた箇所はここである。

《戦後70年が経過し、第2次世界大戦、とりわけ太平洋戦争を振り返るとき、「あれほど国力に差のあるアメリカに戦争を挑むなんて、当時の人は無知だった」、「だらだらと負ける戦を続けなかなか終わらせられず、愚かだった」という意見を耳にする。しかし70年前の人たちは本当に無知で愚かだったのだろうか。そして70年後の私たちは、本当に彼らより賢く、利口なのだろうか。社会や環境は時の流れとともに変わっても、人間の本質はそれほど変わるものではないだろう。》

その通りである。1割か多くて2割程度の覚醒者がいて、残りは衆愚なのだ。
どの国においても、どの時代でも常にそうなのだ。おこがましいが、そう思う。それゆえ指導者が大切であるし、また著者のいう如く、失敗を繰り返さぬためには「先人たちの足跡を謙虚に検証し、そこから現代に通じる教訓を汲み取る」ことに尽きる。

しかし思うのだが、人間は果たして石器時代からその精神に於いて、いくらかの進歩があっただろうか。戦争は絶えることもなく、核は増えるばかり。宗教さえ、喧嘩の種となって血が流れる。

「ハンガリー公使 大久保利隆が見た三国同盟」は、そういう意味で過去の物語ではなく、まさしく現代の人間の愚かしさと重なる記録でもある。

読後感として、小和田氏のことや筆の勢いで安倍昭恵氏のことに触れたがそれは私の恣意的なこと、髙川氏には無縁のことであり、全ての文責は井沢満にある。私という個人の価値観と史観を混在させての読後感なので、著者が構築しようとした世界観とはきしみを生ずる箇所もあるのかもしれない。

それにしても、久々に知的好奇心がうずく読書を堪能させて頂いた。
険阻な山道を辿って、頂上から歴史の一端を俯瞰した達成感がある。


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