「インフェルノ」という映画を見に行った帰りに、ふと歩きたくなり、
銀ブラしてきました。
銀ブラの語源は、銀座をブラブラする・・・という意味と、某有名カフェで
ブラジルコーヒーを飲むという意味と、2つあるようですが後者は
屈折しすぎていて、わたくしは違うと思います。
いずれにしても死語。昭和と共に言葉が消えたのは町並みの変化に
よるものでしょうか。ダジャレがいつの間にか、「オヤジギャク」と
名を変えたのと軌を一にしているような気がしています。
もはや、若者の言葉群の間でオンタイムで生きていないので
言葉を用いる時、この言葉はまだ生きているのか、死んでいるのか、
とっさの判断に迷うことがあります。
「タイマン」という言葉を使ったら、それ死語と言われたのですが
ネットを見ていたら、まだ使っている人がいて判断に迷います。
銀座を抜けて延々と歩いていたら、こんな建物を見つけました。
昭和初期の店の風情で、二階のいくつも吊り下がった電灯が
嬉しい風情です。テレビ局の人に教えようっと、と裏側まで
観察したら、旧い小さなビルに板切れを貼り付けた
作り物なんでした。昭和の建物がそのまま残っていたわけでは
なかったのですが、非常にはっきりしたコンセプトで
ホルモン焼きの店のデザインにここまでこだわるオーナーはどんな人なんだろうと思ったのでした。
「インフェルノ」は後半の追いつ追われつになると、やや面白くなくも
なかったのですが、前半は「早く終わらないかなぁ」というていの映画でした。
退屈だったのは、私だけの感性かもしれません。
人口爆発は現実で、毎年ものすごい数で人口が増えていて、いずれ食糧危機が確実に訪れるらしいのですが、映画はそのための壊滅を防ぐため、現在の人口を半分に減らそうと「善意のテロリスト」が開発した細菌兵器を開発、それが作動する前にその細菌兵器の仕掛けられたところを、見つけようとする教授トム・ハンクスの話です。
この設定が怖い人にはスリリングなのかもしれませんが、私などはパンデミックで死んだとしてもそれが何か? というクチで、この世からの卒業へのショートカット、楽でエエやん、という受け止め方なんで、映画の設定そのものがどってことないのです。
だから臨場感がなくて、だいぶ眠りながら見たので上手に紹介できたかどうか判りません。
黒死病が流行って随分亡くなったそうで、あれで人口間引きが出来て、
現在も人類は生き延びている・・・・そうなのですが・・・・
となると、何らかの形でまた間引きがないと、いずれ食料が尽きるのだそうですが、その前にWHOを中心に各国、人口抑制策を真剣に行うだろうから、今あくせくと細菌兵器で大量殺戮などしなくてもよいと思いますけどね。余計なお世話。
今時の青少年が、かなり植物っぽく性欲さえ希薄になっているように見受けるのは、ひょっとして「摂理」なのでしょうか。結婚しない人たちも増えているようだし。
日本の少子化などというのも「摂理」の一環であるなら、あわてふためいて大量移民などしなくても良いと思いますね。国の質まで落として、維持しなければならない生産力などわたくしは要らないと思うほうです。
それに・・・・・・仮に人類が滅亡したとしても、また性懲りもなく、という言い方はよくないか、たくましく生命は一から誕生するだろうと思うのです。
これまで何度か、人類は文明を築き上げてきては核で自らを滅ぼしてきた、という説をなんとなく信じています。オーパーツの存在や、古代遺跡に放射能反応があったというごときことを、わりに他愛なく受け入れるほうです。
だから別に人類絶滅でも、どうせまた誕生するのだし・・・・と人間に対するある種の鬱陶しさは昔からなのですが・・・・・人類はいつまで釈迦のいう生老病死の苦のサイクルを続ける気かという思いもあり・・・・しかし最近、街で見かける赤ん坊の笑顔に心が蕩(とろ)けています。
動物の特に、犬猫の赤ちゃんに蕩けていたのは昔からですが、最近人間に蕩けるのです。
これって、素朴な生命賛歌だと思いますが、二律背反を抱えて生きていくことが、さして苦痛ではなくなっています。
どうせ矛盾だらけが人間なんですから。
いずれ地球も命が尽き、消滅します。
有限の地球で、領土拡張のため嘘をつきながらあくせくしている国、あたしゃ本当に愚かしく、嫌いなんだ。
人口抑制策と言えば、某国の一人っ子政策ですが・・・・人間って飢えの渦中にあってすら、子供を作るので、政府のお達しくらいで子供を生むのをやめるわけもなく、届け出されてない子が、あの国のとりわけ田舎にはたくさんいます。
存在していないことになっている、子たち。黒孩子(ヘイハイツ、ヘイハイズ)または黒子(ヘイツ)と呼ばれます。
ひところ、日本で1千万人の移民受け入れ政策が言われている時、わたくしがとっさに思い浮かべたのが、戸籍を持たない子達の事であり、もし日本が大量移民を本格的に始めたとすると、おそらく戸籍のない子らに急遽戸籍を与えて、日本に送り出すのではなかろうか、と。
黒孩子がちょうど1300万人いるのですよ。
1万人ほどは、赤ちゃんのうちに中国国内の富裕層や、海外に売られています。
民主党時代の、1千万人大量移民の受け入れ懸念について電話で
美輪明宏さんとお話したことがあり、美輪さんは1千万人なんてあり得ない、日本のどこに受け入れるんだよ、とおっしゃるのですが・・・・
しかし、現在日本には過疎の村が全国に点在しています。無人の家さえ。そこに農作業員名目で長期間で分散すれば、1千万人受け入れは可能です。
おそらく彼らは農村にじっとしてはいず、いずれ都会に移動してくるでしょうが。
共産党政府の命令一下、解放軍兵士として立ち上がる「国防動員法」の存在を思うと、年々増えている中国人居住者たちの存在が不気味でなくもありません。
「話し合えば解る」などというレベルにないことは、かつて聖火リレーのとき中共政府の命令一下、長野に集結して五星紅旗を振り回した中国人留学生たちの姿を見れば、韓国もそうなのですが生半可の「友好」など、脆いことが解ります。
「話し合い」などという概念が、彼らにないことは尖閣や日本の領空に接近してくる彼らのやり口を見れば解るでしょう。南沙もそうですね。
大量移民受け入れ構想は、民主から自民への政権交代で表部隊では潰えたかのようですが、五輪による人不足を理由に外国人をどんどん増やして行き、そのうち日本に永住させるのではないでしょうか、その家族ごと。
そのことの是非は軽々には論じられない部分もありますが、わたくしは出来れば移民は最小限にと願っています。
在日問題はRefugeesリフジー(難民)問題だと喝破したのは三島由紀夫です。日本は難民を受け入れないと文句をつける人たち、たとえば国連難民高等弁務官でいらした緒方貞子さんなどがいますが、とんでもない、日本は戦前戦後、自国民大量虐殺の済州島や極貧により半島から密入国で逃れてきた、政治・経済難民を大量に抱え込み苦しんで来ました。
非常に余計なことを申し上げるなら、緒方貞子さんと皇后陛下が盟友でいらっしゃることに、思想上の観点から懸念を抱いています。かつて女性宮家の創設をめぐる議論の時も、緒方氏は有識者会議のメンバーでむろん、女性宮家をよしとする立場です。女性女系天皇にも、男女同権の見地から賛成でいらっしゃるでしょう。
もともと国連が、そういう意識の場であり、皇室の価値のよって来る意味など解らぬまま、いずれ男女平等を盾に男系による万世一系を批判してくると思います。
緒方貞子氏と皇后陛下は出身大学も同じであり、その初代学長初代学長はエリザベス・ブリッドが、当時の皇太子殿下(今上陛下)にGHQ派遣の洗脳工作員として張り付いていたバイニングと同じ船で来日したことに、わたくしは象徴的意味を見出さざるを得ないのです。聖心女子大学はご承知の通り、キリスト教系で敷地内に礼拝堂があり、皇后陛下は四谷の聖イグナチオ教会を訪れると共に、母校をひんぱんにご訪問でした。
国連女子差別撤廃委員会の委員長には、日本人のフェミニスト左翼弁護士女性が就任していて、副委員長が日本大嫌いな中国人女性です。
ちなみに、国連の女子差別撤廃条約を批准したのは、雅子妃殿下の父上であらせられる小和田恒氏だというのは水間政憲氏説です。「生前退位」説と共に、愛子さま天皇擁立説が唐突に起こったことと併せて、考察したいところです。
フェミニズムが左翼と親和性が高いのはなぜでしょうね。
皇室に、薄っぺらい男女同権などあてはめると、皇室の存在基盤が崩れ去ります。土俵に女性を上げたとたん、神事である大相撲が変質するごとし・・・・といっても、わたくしは差別主義者ではないのですが、そう呼ぶ人もいるのでしょう。
小池政経塾の費用の男女格差の意味が、いまだに解りません。
小池百合子氏の、政治上の基本姿勢にも関わることなので問い続けているのですが。
一般社会における男女の賃金格差がそのまま、該当するわけではないことは、先の稿で述べました。
誤変換その他文章の瑕疵は、後ほど推敲致します。