トランプ騒動で、のんきな着物ネタなど上げるのも
はばかられて、いささか時日遅れの日記です。
「外科医有森冴子」のプロデューサーでいらした、元日本テレビの
川原康彦さんにお会いしたのが、銀座は和光のティー・ラウンジです。
「有森」の初回監督さんでいらした石橋冠さんの話も出て、
雨の日など「寂莫を感じる」と、石橋さんもおっしゃっていて
自分もそうだと、述懐なさるので、
「死という消滅が近づくことへの恐怖ですか」と
問うと、どうもそれではないらしいので
「誰にも必要とされなくなることへの、孤独感でしょうか」
と訊くと、「それだ」とおっしゃいます。
仕事を退いた男がなべて抱く寂寥感なのでしょうか。
女は、仕事を辞めても新たな生きがいを見つけるのが上手ですが、
男は不器用なのかもしれません。
ただ、いてくれるだけでい、という人への役立ち方もあるのですが、
そういうお説教じみたことは言えないし、話はそこで終わったのでした。
私は川原さんに去られると、私の歴史の何十ページ分が落丁して
しまいます。お伝えはしていませんが。
話し込んでいると、和服姿のかなり高齢のグループが入ってきて、男は1人のみで後は婦人連なのですが、着物のまあ、皆さん豪奢なこと。さすが銀座です。
この季節なのに、紗の道行きを着ている人もいて面白く感じました。
そういう華やいだ一行と対象的なグループに遭遇したのが、帰りに寄った
銀座三越のエレベーター内です。民族差別的に捉えられかねないので、書き方が難しいのですが、衣装でひと目で解る国籍の人々です。
民族衣装だというわけではなく、材質や色彩が貧相なのです。
爆買いする人たちなので、お金はあるのでしょうが寒々しいのです。
エレベーターの中は、そういう貧相な色彩ばかりで会話は
その国の言葉ばかり。
敬愛するその国の人々はいるし、と定番で言い訳しないと差別主義者呼ばわりされるので、そうではないことを表明しつつ
書かねばならないのですが・・・・
衣装というのはつくづく、民度であり文化なのだと改めて感じるのです。
どう表現すればいいのか、銀座という日本の街の粋の中に
突然スラムが出現した感じ、というのが異国人ばかりのエレベーターに
たった1人の日本人として閉じ込められた私の率直な感想なのでした。
列には割り込む、ゴミはポイ捨てする、空間認識が薄く大声で喋る、道路にべた座りする、痰は吐く、ということへの実感的嫌悪感もあってのことなので、単純な差別とは違います。あらぬ場所や、温泉内での排泄等は、息が止まりそうです。
一度ある有名なお方と議論になったのですが、その方は爆買いしてくれる彼らでいかに日本経済が潤っているかを説かれるのですが、それはそれとして、しかしながらわけわからぬ名目でのODAを、日本は一体今までいくら中国へ渡して来たか、それはひょっとして近年始まってすでに陰りを見せ始めている爆回よりも金額において上回っているのではないか、というのが私の主張でした。
英国のEU離脱(ブレグジット)に端を発して、トランプ氏の勝利も結局、多民族共生の失敗が、世界的認識と論調にありつつあるからではないかと思うのです。
欧州では軒並み失敗していますね。移民大国アメリカも、ここへ来て
うんざり感が噴出しているのだと思います。
トランプを受け入れぬとするデモ隊の報道がなされていて、それは大規模に見えてもアメリカの人口のほんの一つまみでしかありません。
多民族の集合体に慣れたアメリカでも嫌気が差しているわけですが、まして1つの出来上がった文化圏である日本では「家風」に馴染もうとしない他国の人々と、生活空間を共にするには苦痛が生じます。
コンビニでも外国人店員が増殖していますが、接客態度が日本人の店員と雲泥なのです。他国文化を受け入れないということではなく、暮らしの感覚のグレードの問題です。(言葉の問題ではなく)客への挨拶1つまっとうに出来ない店員の存在は、苦痛です。極端な言い方をすると、毎日の暮らしのあちこちで我慢を強いられることが増えてくる、ということ。
かつて民主党政権の頃、一千万人移民受け入れ構想が盛んで、しかし政権が自民党に移った今も、それらが消え果てたわけではありません。
安倍総理は大量移民受け入れは否定していますが、五輪を言い訳に外国人労働者の大量受け入れはなされていて、彼らは果たして仕事を終えたら国に帰るでしょうか? 家族まで呼び寄せて永住するシステムが密かに作り上げられないでしょうか?
労働力不足による外国人導入があるレベルまでは必要として、私にはその上限が解りませんが、少なくとも五輪を隠れ蓑に移民の大量受け入れを、勘弁して欲しいのです。コンビニの店員や観光客の見せる、マナーの悪さが端的であの劣化文化が、日本中に繁殖することなのだと受け止めています。
古来より日本は外国人の受け入れにはおおらかであり、彼らの文化を受け入れ、日本流に再編成しつつ、もてなして来ました。外国人のほうも、日本の流儀に謙虚にみを馴染ませつつ、やがて彼らが外国人であることすら忘れるほど、日本の潤いのある風土に溶け込んで生きて来ました。
しかし、距離がお互いに縮まった現代では様相が異なります。
銀座の三越では、呉服売り場を覗きしかし男物を置いてあるのは日本橋三越のみであるということで、次に食料の宝庫であるデパ地下に行き、ここでも日本の食文化の豊かさの氾濫にめまいがしそうなんでした。
亀戸は桝本の、深川めし。あさりと、松茸のバージョンがあり、私は松茸のほうを求めました。亀戸大根のたまり漬けが添えられています。
珍しいのが「亀辛麹」で、これは青唐辛子を麹で長期間熟成させた和風ディップであり、卵焼きやつくねにつけて食し、あるいは鍋の薬味となる江戸の味です。
私の愛国心の由来は、豊穣な日本語と、食と、和服です。
愛国心なんて、抽象的なものではなくそういう身近な愛着から生まれ、それを
守りたいという気持ちなのではないでしょうか。
当日の私の着物です。
周辺に写してくれる人がいなかったので、姿見にスマホを向けての
自撮りです。鏡の反射で画像が変ですが・・・・
羽織りも着物はいずれも小さな格子模様ですが、着物が濃緑、羽織りが茶です。
帯は、仕立てたのをプレゼントして頂いたのですが、敢えて着物とは外し気味に使ってみました。
しっくり来るのは、茶の単色だと思うのですが乱調子も面白いかな、と。
リバーシブルで、模様は同じですが地色が水色(和名は縹色=はなだいろ?)と、パウダー・ピンク(和名は薄紅=(うすべに)や蕾紅梅(つぼみこうばい?)
です。
草履は、茶の新しいのをおろしました。
誤変換その他、文章の瑕疵は後ほど推敲します。