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Channel: 井沢満ブログ
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「ムーンライト」を観てきました

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三島由紀夫が少年時代に「約束の白いハンカチ」と詩で書いた

こぶしの花が散り始め、桜も間もなく散り急ぎます。

束の間だから花の命は輝くのでしょう。

アカデミー賞で「ラ・ラ・ランド」と競り合った「ムーンライト」を

観てきました。

シノプシス段階から、余り好きそうな映画ではないなぁ、とは

思っていたのですが、案の定で映画が始まって約110分程度の映画の

95分ぐらいまでは、早く終わらないかなぁ・・・・というくらい、好きでは

なかったのですが、この場合は編集段階でカットが十分出来てはいない、

というごとき冗長感から来る「早く終われ」ではなく、単に

好きでないなぁ、というたぐいなのですが・・・・・

ところが間もなく映画が終わる、という辺りから俄然画面に目が釘付けに

なりました。

黒人の少年が、女たらしの同級生の男の子を好きになり、ある日突発的に

結ばれ、舞い上がる心地でいるところに悲劇が襲い、という展開なのですが、

ラスト間近、自分を手ひどく裏切った同級生と長じて再会した主人公が同級生に

短く告げる言葉がこの映画のキーワードで、それが鮮烈です。

とんでもない純愛映画だったのか、と気づいた瞬間に終わりで、

ぷつんと断ち切るように終わるので、余韻が跡を引きます。

好き嫌いで言えば、相変わらずさして好きな映画ではなく

中身のさしてない「ラ・ラ・ランド」のほうが好みなのですが、

しかし、まぎれもない秀作ではあります。

ただ、「さすがアカデミー賞」というほどではないような。

もっとも、ハリウッドは商売的意味でも、政治的意味でも“政治”が

先行するので、白人の受賞者ばかりが続くと差別的見地から

批判がされていたようで、その点も考慮しての黒人がメインの

映画授賞か、という気がしないでもないのです。

ただラストの5分間があったので、110分程を損したという

気分にはなりませんでした。

なるほどねぇ、こう来たか、というある種の意外感。いい裏切られ感。

学生時代にジェームス・ボールドウィンの「アナザー・カントリー」を読んだとき、

小説内容は忘れているのに、評者の「黒人とゲイという2つのハンディを背負った」

という言葉を記憶しています。

「ムーンライト」では黒人差別は描かれませんが、ゲイヘイトはこれでもかと

描かれ、ジェームス・ボールドウィンの頃から半世紀。いまだ

アメリカの状況は変わっていないようです。

日本を含めアジアは、伝統的に寛容です。日本では万葉の時代から

おおらかに男性間の恋が詠まれていましたが、敗戦以降アメリカの

ピューリタニズムが入ってきてから、いささか変わってきたようです。

しかし聖書を精神基盤に置く人たちのごとき激しいヘイトは、ありません。

イスラム教も表向き厳しいようですが、実体は日本人の男が旅行していると

誘惑が多く仰天するそうです。中国や韓国も同性愛は病気扱いですが、

現実には中国こそ、「金瓶梅」を擁する男色大国です。韓国はどのみち中国の

ミニ版です。

日本では、最澄と空海が男弟子を取り合って、最澄が男弟子に

そめそめと書き記した恋文を思わせる文面や、空海がその弟子に

指南して書かせた、最澄宛の「私はもう、あなたのもとへは戻りません」という

縁切り書翰が書翰が残っています。空海さんも、恋の道には

えぐいことなさいます。

変わったところでは武田信玄が

男性の恋の相手に「俺は浮気はしてない」と釈明の書翰などが

残っています。

万葉集では、大伴家持と十歳年下の大伴池主との間に交わされた相聞歌が

あります。

越前国に赴任して、大友家持と離れ離れになった大友池主が

家持に贈った歌。

桜花今そ盛りと人は言へど我れはさぶしも君としあらねば

桜の花が、今まさに盛りと人は言うけれど、あなたと共にいない私は、ひたすらに寂しいよ・・・

大伴家持、これに返して、

我が背子が古き垣内の桜花いまだ含めり一目見に来ね

私の愛しい君が住んでいた古い屋敷の庭の桜は、まだつぼみだよ、
観においでよ

桜にひっかけて、私に会いに来いよと誘っている風情です。

家持は美男で、女性が色めき立っていたようですが大友の池主という

恋の相手もいたわけで、これをして現代風にバイセクシュアルという

カテゴライズはおそらく野暮なので、この時代恋の相手に男女の

区分けはなく、武田信玄とて同じく、心に花開くその花のままに、

桜吹雪の人生を華やかに生きていたのでしょう。

「ムーンライト」は極度にせりふを削いだ脚本で、それが映画の文体になって

いるのですが、シーンによっては音声まですっぱり消してしまい

ただ喋っている人物と、聴いている人物の表情だけに焦点を

当てていて、こういう手法は初めて見ました。

言葉を削ぎ落としているせいもあり、ラストに主人公が放つ

セリフ一言が、鮮烈です。ああ、これを言いたくて、この映画を

作ったのか、と驚きながら納得のラスト。これから見る人を慮って隔靴掻痒の

映画評になりました。

「ムーンライト」における母親が実はゲイヘイトの張本人で、主人公は

級友によるいじめより、母親からの差別に心が切り裂かれたと

思います。

他人事だと思っていても、よもやうちの亭主や息子が・・・・と

思っていても、世の中には家庭を持ち子もなしながら

同性に心惹かれるケースが少なからず、あります。

じゃあ結婚なんかしなければいいのですが、人間の心はまかふしぎで、

40代、50代になってから目覚めることもあります。

両性が好き、という男もいます。女性も同様に。

同性間の愛に嫌悪感を抱くのは、教育的刷り込みです。

戦前までの日本はおおらかでした。

しかし、生理的に受け入れられぬものを、無理に許容する必要も

ないので、ただ傷つけるような侮蔑や差別は避けたほうがよろしいでしょう。

あなたの最も愛しい家族の一人が、そうかもしれません。

母親や父親の、ゲイやレズビアンへの罵りに調子を合わせながら

心から血を流している子ら、相当多いのです。

こぶしも、桜もつかの間の命なら、人間もまた現し世はまばたきする間の

命。誰が誰を愛そうと、どうでもよろしいでしょう。

「ムーンライト」の母親はゲイ・ヘイターですが、「彼らが本気で編むときは」の

母親は性同一性障害の息子に対してさばさばと寛大で、

自分の息子をすんなり娘として受け入れます。

ただ「ムーンライト」の母親も、最後には息子を受け入れます。

アメリカも少しは、変わりつつあるのかもしれません。

 

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誤変換他、後ほど推敲致します。


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