窓辺のクレマチスが5月の朝日の中、花開きました。
花屋の店先で、紫の花が目に止まり思わず買ったのは紫が好きな色だからです。
花屋さんは「蕾のほうがいいですね」と、まだ花をつけてない一鉢を
選んで暮れたのですが、植物を育てることが下手な私は
蕾のまま萎れさせてしまうのではと、自信がなかったので一輪、
ほのかに紫を見せて蕾がほぐれ始めた時は、感動したのでした。
花一輪の幸せに過ぎませんが、何となく宇宙大の喜びに匹敵する、という
如き感覚は伝わるでしょうか。コンクリートの街路のひび割れの、その
わずかな土から花咲かせているたんぽぽにも、喜びを感じます。
朝廷には、衣服礼として古来位階に応じて衣装に使ってはならない色彩というものがあり、紫もその一つ「禁色(きんじき)」です。
紫を身につけられるのは、親王・諸王および諸臣三位以上とされているので、それほど高貴な色というわけでもないのですが、私は相当格の高い色のように感じています。
情熱の赤と、冷静な理性の青がバランス良く溶け合った色ということで、精神性の高さを感じるのです。
三島由紀夫の小説「禁色」以来、どうもそちらのほうが有名になってしまい、朝廷における衣装令のほうがくすんでしまった形で、そういう意味でも三島由紀夫は偉大です。
三島さんが男色を素材にした小説に「禁色」というタイトルを与えたそのセンスに脱帽するばかりですが、私が二十代の半ばにシドニーに暮らしている頃、あちらでもベストセラーで本屋に平積みにしてありました。
タイトルが直訳で「forbidden color」であり、これでは三島さんが暗喩的なイロニーとして込めた「高貴な性愛」という意味が伝わらないなあ、と思いながら三島文学を英語で読みこなす能力もない私は、横目で眺めていたのでした。
原文では読んでいます。
もっとも、最近では英訳タイトルで検索すると、坂本龍一さんのforbidden colorsのほうが、ヒットするようですね。
朝廷の位階で言えば、皇太子のみ許される色が黄丹です。
黄丹(おうだん/おうに)。皇太子の袍に用いられる黄赤色です。昇る朝日の色を写したとされています。
袍(ほう)とは、朝(廷)服の上衣です。
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ttp://suga-ningyouten.com/i/3IH-kesi2281
天皇が、黄櫨染(こうろぜん)。
画像はこちらより拝借しました。h
ttp://www.rakuten.ne.jp/gold/shukoh/hinacontents/kourozen.html
このような禁色の存在を封建的として排する向きもあるでしょうが、良い意味での封建制を抜きにして、皇室は存在し得ません。
禁色というごとき色彩で身分を表明する、畏れ多い感覚が次第に失せて来たのは戦後、“正田美智子さん”の入内をきっかけに美智子さまがスター扱いで、芸能誌に載るようになって以来でしょう。皇室がいつしか「人気」の対象に変質してしまいました。ひところの不自然な韓流ブームと同じく、人為的に煽られ作られた側面がありはしなかったでしょうか。
たまたまコメント欄に頂戴しましたが、正田家とGHQがアメリカ産小麦粉利権を媒(なかだち)とした密着の関係にあったのは事実であり、また皇后陛下もGHQで男女同権を唱え、それを憲法に盛り込んだベアテ・シロタ・ゴードン女史への賛美をお隠しにはなりません。「生前退位」とあたかも軌を一にするかのように澎湃として起こった愛子さま天皇論は、皇后陛下のご思想と無縁ではないのかもしれません。
畏れながら私個人の考えを申せば、いい意味での封建主義つまり男女による区分けをしなくては、皇室は成り立ちません。この国最大の神官がつまりは天皇であり、それが女子では妊娠を含めて生理的な安定を欠き、その不安定さはつまりは祭祀の不安定さであります。
祭祀なくして皇室はありません。
中世の順徳天皇のご遺訓「禁秘抄」に曰わく「禁中作法先神事」と述べたごとく、天皇は肇国(ちょうこく=国の始め)以来何にも先駆けて「神事」を最優先事としてきた、それが国家と民の安寧を祈る“祈りの大プロ”祭祀王であらせられたのが皇室の歴史、天皇の歴史であり、決して公務とやらに天皇の本義があるわけではございません。
したがって象徴としての公務が十分に出来なくなるからとの理由での、ご退位は説明たり得ていません。天皇陛下の本義はあくまでも、祭祀王であらせられそれがまっとうできなくなれば皇太子殿下に祭祀含めてお譲りになればよろしいだけのこと。祭祀王としてのご身分に終生変わりはございません。
皇室におけるご身分は、サラリーマン社会の役職とは違います。
辞職する如きお立場とは違います。
女系天皇擁立で男系男子を否定するとそれまで延々と、過去に遡れば神武天皇という初代に行き着き、更には皇祖神天照大神との絆が確認できていたものが出来なくなり、となるとどんな血筋であれ諸状況整えば天皇になれる、ということになり天皇家の、希少性・必然性としての神話が途絶え、限りなく普通のご家庭に、と言って言い過ぎなら王室に近い存在になり果てます。
男系男子の皇統の意味は、「Y染色体」の連続ということでしょう。
女性天皇の例は過去にありますが、それは“一時しのぎ”であり、皇統はずっと男系男子で繋げられて現在に至ります。
女性天皇と、女系天皇は異なるのでそこをお間違えなきよう。
Y染色体説に踏み込めば、遺伝学的には異論を発する人もいるようですが、大事なのは初代神武天皇に必ず血脈がたどり着くということで、我ら日本民族もその血の一滴を体内に持っているという神話、あるいは事実が必要なのです。
女系天皇容認説に天照大神は女性であった、と唱える人がいますが、神と人間を同レベルに置いては判断を誤ります。神に、人間の生殖器で判別されるたぐいの性別は存しません。男性性(陽)、女性性(陰)の多寡で神の性質を表すことはありますが、神は本質的に中性です。
天照大神も、女性神、男性神、いずれにても表現されて来ました。
江戸時代の文献にもございます。
記憶に誤りがなければ、“本家本元”伊勢神宮におわす天照大神は男性神として、表象されていたやに思います。
平安時代の大江匡房の『江家次第』での記述を見れば、伊勢神宮に奉納する天照大神のご装束一式が男性用の衣装であるとされています。
江戸時代の伊勢外宮の神官渡会延経は「之ヲ見レバ、天照大神ハ実ハ男神ノコト明ラカナリ」と。(『内宮男体考証』『国学弁疑』)。
私は個人的に神に対しての男性女性の判別は無意味であろうと考えています。
早い話が、天照大神の表象である太陽は、無性でしょう。
話が脇に逸れましたが・・・・王室は権力の象徴ですが、皇室は日本の精神性の象徴性です。・・・・・でした。昭和の御代までは。
正田家とGHQとの密着はとりわけ秘事ではなく、調べれば解る事実です。ただ人は何らかの疑問を抱いたとき以外、そのようなことを調べるという発想さえありませんね。
日本人の精神の破壊を試みたのがGHQですが、彼らが破壊ツールの一つとして用いたのが、神道排斥のためのキリスト教流布です。
キリスト教自体が、破壊ツールというのではないので、誤解無きよう。
アンチ神道への手段として、キリスト教が称揚された、ということです。
古来、宣教師たちは日本植民地化の尖兵でした。
皇后陛下入内に際して動いたのが、全員キリスト教徒です。
テニスコートでの出会いも卒爾(そつじ=偶然)ならざることであり、仕組まれたシナリオに添っていました。
当時、国会で相当激しく追及されたことですが、民間初のお妃誕生が、日本の国会議員より先にアメリカの報道機関が知っていたという不可解な事実も、国会議事録で今でも閲覧可能です。
とてもとても書きづらいことなので、歯に衣着せて語っています。隔靴掻痒の域を出ませんが、それぞれ拙文を起点として考え、またお調べ願いたいと思うのです。思索と調査の結果、賛否いずれでもそれはよろしいのです。
ただ、今この時こそは、天皇とは皇室とはなにかということを、国民が深く考えるべき時に差し掛かっているやに思われます。
皇統の何卒、健やかに正しくつながらんことを願いつつ記ス。
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