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国連

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橋下市長と在特会の桜井氏のやりとりであるが、

橋下さんは桜井氏からの基本的質問「何がヘイトスピーチであるのか
具体的に示せ」という問いかけには答えるべきであった。

それがまず出発点なのに橋下さんが答えぬので、決裂。

当然の流れではあった。

それを受けたテレビのコメンテータたちの意見の一つで気になったのだが

「ヘイトスピーチは国連からも勧告を受けていて」

とあたかも国連韓国が一つの正義のものさしのような言い方をしていたこと。

肩書を知らぬのだが、まだ若い女性。某局午後4時ぐらいの報道番組である。

国連が別にフェアであるわけではない。もともと戦勝国連合であり
敗戦国である日本にはアンフェアに厳しく、それは「クマラスワミ報告書」の
理不尽さを見れば判る。韓国の潘基文氏が事務総長であり、
日本は米国に次ぐお金を出さされながら、お金は僅かにしか出さない
中国の反対で常任理事国入りもまだ、出来ないでいる始末。

国連にはいまだ「敵国条項」があり、敵国の中にはむろん日本が入っている。
こういう国連を引き合いに出して、ヘイトスピーチが何たるかを
規定するのは違う。

「国連が言うから」「国際世論が」と若い女性は語るのだが、
国連の基礎は反日にあることを知るべきであるし、国際とは
どこの国際か、ひっきょう中国と韓国、それに北朝鮮の
せいぜい3か国ではないだろうか。

かと思えば、もう一人の女性は橋下市長と桜井氏とのやりとりを

「こわい」と二度繰り返しあきれ果てた。

いったい、これがコメントか。小学生でも言える、こんな言葉を発するのがプロか。

橋下氏と桜井氏の問答も稚拙であったが、それを受けたコメンテーターたちは
それに輪かけて幼稚なのであった。

 


話せないこと書けないこと

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話せず書けぬことが、ある分野に関しては持て余すほどある。

マスコミの裏ルートから、また現場から現場に近いところから

情報が入って来るのである。

時々、自分一人で抱えていると徒然草の兼好法師ではないが

秘密でお腹がぱんぱんになり、吐き出さないと苦しくなるので、

絶対的、圧倒的に口の堅い方たちに削除前提のメールで

お伝えする。

最近、3人にそれをやり2人が驚きのあまりへたって、1日呆然と過ごされたようだ。

お1人は、つわ者で「楽しい裏話をありがとうございました」とあった。

つわ者は岩下志麻さんで、さすが悠然。何がさすがなのかは解らないが、

素でお会いした時ののどかな、ゆったりしたご性格と、その裏腹の

極道の姐さんのイメージの勝手なミックスかもしれない。

もっとも、岩下さんには遠慮して多少、筆は抑え気味にしたかもしれない。
(いや、今送信済みメールをチェックしてみたら、相当ズケズケと突っ込んで書いてあった。私は携帯電話は絶対に紛失できない。即消すようには心がけているが、残していることがある。それとスターさんたちの電話番号とアドレス。名前は分からぬよう、暗号化はしているのだが)

明後日が「ドクターX」のゲスト出演回だそうで、「全編眼鏡をかけてみました」

と書かれてあった。

楽しみなことである。

・・・・・しかし、なぜこうも語れないことが多いのか、事実なのに、とつらつら考えるに、要するに民意がそれをまだ受け取るまでに成熟していず、述べれば自らの価値観崩壊の危機と感じ、感情的に歯をむき出して来るのが見える点。

あと、話題によっては徒党を組んで口封じの恫喝に来られる点。

それでも強固な土手の微細な決壊箇所から、真実はいつの間にか

漏れてくる。そういう時代になった。

 

質素

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亡き親友の奥様と帝国ホテルのラウンジでお会いした。

毎年私の誕生日を祝ってくださるのだが、今年は小説の執筆を

抱えていたので、日延べして頂いたのだ。

雨催いだし、億劫だったが着物になるべく袖を通すと決めたので、

大島を着た。羽織を羽織ってちょうどいい、肌寒さ。

お嬢さんが佳子さまとご学友で親しく、お泊りしたこともあるそうで、

その時、ソックスを借りる必要があったので拝借したら

左右違うソックスで、要するに片方がダメになったソックスを

捨てずに残った片方ずつをペアにして、大事にはいていらっしゃるという

ことだった。詳述は避けるが、現れる紀子さまもたいそう質素で

いらっしゃるようだ。

外遊の折の、見事な和服や帯(要するに仕事着であろうか)からは想像できない、慎ましさのようだ。

あと興味深くうかがったのが、佳子さまが紀子さまに対しては

気楽に対していらっしゃるのが、父上からお呼びがかかると、

背筋を伸ばして「はいっ」というご様子だとかで、友人の

奥様の言葉では「父親の厳しさと母親の優しさの均衡が

上手に取れている」そうだ。

大学の受験のことなども、うかがった。

帝国ホテルのラウンジを出て、日比谷公園を散歩がてら

松本楼に寄って食事。

見事な論文

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中山成彬氏は個人的に存じ上げないのだが、私が最も敬愛する政治家の
お一人でいらっしゃる。

時折ブログを拝見するのだが、下田市議会議員の高橋富代さんの
論文が取り上げられていて、いささか驚いた。

といいうのは、自民党のどなたかのパーティにお招きいただいて
出かけたら「あなたの小説『ゆきの、おと』の愛読者さんです」
と紹介を受けたのが、高橋富代さんだったからだ。

その後取り立ててお付き合いがあるというわけでもないのだが、
私が小説やドラマを書くとブログで取り上げてくださって、
有り難い方である。

そんな高橋さんの論文で、しかも中山成彬さんのブログに転載?
と驚いて一読、更に驚いた。

あの秀逸な理論家でいらっしゃる中山さんが、絶賛なさるだけのことはある。
中韓の日本毀損の核にある、実はアメリカの反日性を
冷静にしかし、女性特有の繊細な筆致で書かれ、情を湛えつつ、
しかしながら情に溺れず、論理構成は緻密で間然するところがない。

小論だが、仮にこれをアメリカの高官に突きつけて、論破できる人はいないだろう。書かれたこと全て事実だからだ。
事実を並べつつ、アメリカが隠蔽してきた闇を腑分けして、陽のもとへ引きずり出すその手並みは鮮やか。NYタイムズのヤクザ記者などにもパンチをくらわし痛快。

私も折々に触れてきた、日本を損ねる2大要素war guilt informationやPress Code for Japanを引き合いに、憲法改正の必然性にまで論理を追い詰めてゆき、小論ながら目を弾かれる思いであった。

中山成彬氏が絶賛、自らのブログにまで転載されるだけのことはあった。

 

      アメリカよ、日本を打つならまず自らの手を清めよ
          ~幾多のお吉たちへの鎮魂歌~

 

 http://nakayamanariaki.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-d2e0.html

真犯人

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朝日新聞で慰安婦の捏造記事を書き続けてきた植村隆 元記者が

北海道の北星学園大学で非常勤講師を勤めているとかで、それに対して

北星学園大学に相当抗議が行ったようだ。

それは抗議をする側に理があるので、大学はどのように対処するのかな、と見ていたら

北星学園大学に脅迫状が届いたとかで、それを機に北星学園大学と植村隆元記者を守ろうと立ち上がった一派があり、ひょっとして脅迫状は

その口実を作るための自作自演の可能性もあるのではないか・・・・

と密かに思っていたら犯人が捕まり、この件に関しては私の直感と

見立ての誤りだったか・・・・しかし、腑に落ちないな・・・・・と

思っていたら、捕まったのは真犯人ではない可能性がある、

との報道。

真相は解らぬが、しかし私が脅迫電話と稚拙な内容の脅迫状の

手口にどうも納得がいかぬのは、もし本当に日本を思う人なら、

脅迫などしたらそれが逆利用され、相手を利することになるくらい

読めるであろうに、ということで、案の定事態は抗議したほうが

あたかも間違っていたかのようなことに、させられつつあり、

植村氏は「慰安婦報道は捏造ではない」と言い始めている。

やはり虚偽の慰安婦報道に加担した元記者、清田治史氏は帝塚山学院大で

教授をなさっていたが、辞職された。

帝塚山学院大にも脅迫があったというが、これは辞職との

関連性はないと大学側は説明している。

いずれにしても脅迫、それも学生をやる、というごとき脅迫は

卑劣ではあるが、犯人像がどうも私の中では焦点を結ばない。

 

 

 

 

テレビの編集について

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以前、テレビのお宅訪問みたいな番組に出たことがあって、

その時感心したのは、私が自宅で喋る言葉を必ずしも時系列で

順番に映し出すわけではなく、さり気なくもらした一言が

持ってくる位置によって、やたら面白く変貌したりしていて

編集の技に感心したのであったが・・・・

むろん悪用も出来る。

たとえば対論で、一方は冷静なトーンの言葉だけを拾い、

一方を感情的になった時の言葉と表情だけを拾って

つないだら、理性的に語り続ける市長に対して感情的に罵るだけの在特会桜井氏、

という絵柄になる。

実際にそういうある種のフェイクを某番組で見て、ここまで露骨にやるかと呆れた。

それに加えてMCとコメンテーターたちが、全員ーーそう
「一人残らず」声を揃えて、嘲笑的に桜井氏を
裁断するのである。これはいかになんでもアンフェアであろう。

裁判に検事と弁護士がいる理由を考えられたい。

番組の作りによっては、スタジオが一方的欠席裁判の場と化す。

恐ろしいことである。

私はたまたまYouTubeでやりとりの全部、桜井氏の

「飛田新地に帰れ」という最後の痛烈な一刺し、

橋下市長にとっては非常に痛い指摘・・・・・・まで

通しで見聞きしていたので、騙されなかったのだが、

知らぬ人は圧倒的に橋下市長支持になるだろう。

私とて某番組の報道しか知らねば、桜井氏に
一方的に眉を顰めていただろう。

テレビの報道がなにゆえ、一方に加担、偏るのか。

ありのまま公平に報道されたい。

判断は視聴者に預けられたい。

コメンテーターもなぜ一方に片寄せてひと色なのだろう。
つまりは、最初から予定調和で、そういう人選。

発端から最後まで、流れで見た私の感想は先の一文に述べたとおり、
ディベートとしての下品と稚拙さはどちらもどちら。

ただ、橋下市長は桜井氏からの基本的問いかけ、

「在特会のヘイトスピーチのどこが具体的にヘイトなのか」

と冒頭に投げかけられた質問には答えるべきであった。

と、感想は相変わらず変わらない。

討論の前提になることを押さえなければ、そこから対話の発展はない。

その前提に答えなかったのは、橋下市長のほうである。

橋下市長が桜井氏に投げかけた言葉。

「民族とか国籍を一括りにして評価をするような、そういう発言はやめろと言ってるんだ」

これはとりあえず正論。だが、なぜ日本人だけがうなだれて聞かねばならぬのか、私には解らないので、もし私が桜井氏の位置にいたならきっと質問していると思うのだが、橋下市長が桜井氏に取った姿勢は「おれに質問するな」
だった。

日本で一括りにされる民族が僅か一つに特定されるのはなぜなのかも
質問したいところであるが、これに対しても「おれに質問するな」と
口封じさせられるのだろうか。
これでは一方的言い渡しで、討論にならぬではないか。

「大阪でやるな」ともおっしゃるのだが、大阪は橋下氏の庭でもなかろうに。
国益のかかることは、日本のいずこの地でも、フェアに論じ合われるべきであろう。

以上とは別問題であるが、以前橋下氏が文楽についてひどく傲慢で
無知な発言をされていることに辟易としたのだが、大阪市は文楽協会に支給している現行方式の補助金を、今年度限りで廃止する方針だと
聞いて、慨嘆に耐えない。

橋下氏には日本の伝統文化を尊重、日本の精神を理解する心は
おありではないらしい。心が日本人でない人に、日本の行政を
やって欲しくない。

命を張って、俺達はなぜあいつを救けたのか?

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ある番組の司会の方だが、過去の事故で海上自衛隊、海上保安庁の

人々の命を張った救出で命を救われた。

救助費用1億とも噂された、あの救出劇であるが、

携わった海自や海保の方々が「おれたち命がけで救出したのに

なぜ悪しき勢力をテレビで擁護、日本人を貶めることをするのか」

と憤っていらっしゃる・・・・と某所で漏れ聞いた。

詳しい事情は今の段階では掴めないのだが、おそらく

海自や海保の方々が怒りを表明していらっしゃるのは
(私が耳にしたことが事実ならだが)、

これかな? という番組はYouTubeで拝見、

橋下市長と桜井氏の掛け合い部分の、もはや捏造に近い

編集ぶりに関しては、すでに書いた。

想像・類推なので海自や海保の方々の怒りの矛先が

この番組に対してであったかどうかは、解らないが

私は「なぜ?」と思った。その司会者とコメンテーターたちの一方的裁断に

対して。

彼らは日本が大事な人々なのだろうか? とそれは素朴にそう思った。

ふしぎな日本人たちがいるものだなあ、と。

 

 

 

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某俳優さんが、余り仕事をされなくなり人と触れ合って声を出す機会が

少なくなったせいか、発声に力がなくなり声質がか細くなっていた・・・・

と聞いたことと、やはり某氏が顔色悪く、声に張りがない様を

テレビで見かけたこともあり、なんとかせねばと思った。

私も会話は普通の人に比べれば極端に少ないから。

もともと声質は悪くないほうで(専門家含めた周囲評価)、普通に

しゃべっていても声が通るので、内緒話はうんとトーンを

下げてと注意されること、しばしば。

しかし、筋肉も使わねば落ちる。

声も少しは鍛えねば、とお風呂の中で、歌ったり

読経することを始めた。

ついでに、お湯の中でも使えるマッサージ器で脂肪が

付き過ぎたお腹他、ブルブルさせる。

お湯に日本酒を入れて、これを昨夜やっていたら思わぬ時間、浸かっていたようで

お風呂から出たら、食事の約束をしていたのに時間ギリギリに

なっていて、どうやら1時間ぐらいはお風呂に居座っていた模様。

なるべく最近は着物を着るよう心がけているので、街着風のを

着て出かけるともりだったのに、悠長に帯など結んでいるほどの

時間がなく、そこら辺にあったものを慌ただしく着て、

ごまかしに、ヨージのシルクのシャツを薄手のコート代わりに羽織って

出かけた。

仲良しのテレビ局の人と最近はまっている、のどくろが食べられる店である。

のどくろの煮付けで白いご飯を食べようと、この間から決めていたので

まずそれを注文して、のどくろの開きも頼む。

開きも美味であったが、のどくろは煮付けがベストかもしれない。

ただ塩焼きを試してないので、次回は塩焼き。

 


たとえば、あとがき的な?

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小説の著者稿がPDFで送られてきたのだが、不具合で開けない。

別の方法で再送して頂いたのだが、これがまたダメ。

著者稿というのは、編集者が加わった校正の後、更に

著者による校正(チェック)なのだが、さして直しはないと

思うから急ぎではないのだが、一応締め切りはあるので困ったことだ。

「後書き」を書いたのだが、編集の方から内容のタッチから

「あとがき的な」はどうか、と言っていらして、むむ、お主出来るな、

と。そう、今回私が用いた構成や文体は「後書き」と四角四面に

掲げるようなものではなく、まさしく「的な」がふさわしい。

なので、じゃあ「たとえば、あとがき的な?」はどうでしょう、と

打ち返したら、たいそう喜んで頂けた。

センスのある編集の方と巡りあうと、仕事がラクである。

たまに、物凄い人もいて、失礼ながらこの方、単に

「就職」として入った縁故入社? と思うことがある。

テレビの現場にもドラマを解ってそこにいる、というわけでも

ない人が、まれにだがいてそれは「職人」としての匂いを

発散していないので、言葉の端々から即察知できる。

・・・・・とよしなしごとを書いているが、世の中あれもこれも

ざわついていて、いくらでも書く材料はあるのだが、心を尖らせたくないので、

しばらくは、小説の世界に集中していたい。

浮世はあれもこれも、腹立たしいことが多すぎる。

オランダの反日について

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報道が全て日蘭友好一色なのに呆れている。

友好は無論いい。

しかしその友好の美名の影に隠されたオランダの日本への悪意に

ついてどこも触れないのが、相変わらずである。

私達は光の面だけではなく、影も併せ両方の面を知っておきたい。

といって、私がさして日蘭の歴史を知っているわけではなく、

たまたま読んだ週刊新潮の高山正之氏のコラムで

ぼんやりとしていた知識を明確にしたり、思い込みの部分を是正して

貰ったりしたにすぎないのだが。

私が頭から冷水を浴びせかけられたのは、新国王来日に先駆け

現れた外相ティーマンス氏の言葉で、

「慰安婦も河野談話も生きている」

「今後も両国の高官会議では、常に慰安婦問題を提起する」

大して話題にならなかったので、わざわざ喧嘩売りに来たのかと思ったのは

私だけなのだろうか。

朝日新聞発の捏造が明らかになって、日本がこれから濡れ衣を

晴らそうかという時に顔面にいきなりパンチを食らわすごとき発言で、しかも新国

王来日前なのであるから、恐れ入る。

友好だけじゃないんだぞ、という良く言えば牽制、悪く取れば脅しである。

外交はむろん飴と鞭の双方だが、しかし従軍慰安婦を使うのは

甚だしいルール違反であろう。

以下色文字は抜粋。

 

オランダ外相「河野談話の継承、日本の意向支持する」

 

ハーグ=梅原季哉

 

オランダのティマーマンス外相は3日、第2次世界大戦中に日本軍が占領した旧オランダ東インド(現インドネシア)での慰安婦問題は、「強制売春そのものであることには何の疑いもない、というのが我々の立場だ」と発言し、慰安婦問題を巡る謝罪と反省を表明した河野談話について、見直しを求める日本国内での動きを牽制(けんせい)した。

 ハーグの同国外務省で、日本メディアを対象にした記者会見で発言した。

 ティマーマンス氏は、「河野談話は、この問題に関する両国間の対話の良い前提となってきた。我々は、日本政府が河野談話を継承する意向であることを完全に支持する」と表明。

 

 

飾り窓の女がいる、そういう意味では韓国と並ぶ売春の盛んな国なのに

何を言うか、と言い返したくなる。

私が危惧するのは、これはオランダに限らずと言ってもまあいいけれど、

外交上で勝ちカードを得るには、嘘までつく国はあるので、

オランダもそうである。

いわゆる戦犯として処刑した数もオランダが一番多いし、

中には明白に無実のお方もいらっしゃる。

あまりの理不尽さに高松宮様が、ユリアナ女王に助命嘆願を

申し入れたが、女王は聞く耳持たず。

昭和天皇のオランダご訪問時には、お車に生卵と鉄製の

湯たんぽが投げつけられ、崩御された時に王族が来ない無礼を示したのは、

オランダだけである。それは忘れまい。

日本の皇太子妃への親愛が伝えられ、それは国民として有り難いことであるが、

しかし日蘭の過去を振り返るに、それが「恩売り」の取引きカード、

もしくは激しい反日のバランス取りに利用されているのかもしれぬ、という

醒めた視線も確保しておきたい。

それが事実であろうとなかろうと、である。

あちらは国の利益確保のために、王族も積極的に政治発言をなさり

必要があればある意味の嘘さえ辞さぬということは、腹に入れて置きたい。

日本の皇室が特殊な上にも特殊なのであって、あちら王族はもっと

人間臭い。

更にお人好し日本と違って海外は腹黒いのである。

とりわけオランダは日本に恨み骨髄であるのだから。

大航海時代から第二次大戦にかけて、海外領土を持つ国であった

オランダが現在はカリブ海の島嶼を残すのみで、これは

日本のせいである、とあちらは思い込んでいる。

ベアトリクス女王来日の際には、今上天皇主催の晩餐会の席で

オランダ人捕虜や抑留者が過酷な扱いを受けたとスピーチ。

晩餐会の席で、である。

そして、「お国ではあまり知られていない歴史の一章です」

と、いやみったらしく付け加えたのであるが、たぶんにこれも

言いがかり。

オランダ人捕虜の扱いについてはもう少し勉強してから

発言するが・・・・・・今持っている知識内では、どちらかというと

賠償金を得るための言いがかりに近いと私は思っている。

事実女王のこの発言の後、日本からオランダへ賠償金が支払われた。

高山正之氏は「新国王も、宮中晩餐会の席上でカネを要求するだろう」

と書いていらしたが、カネはいざ知らず、やはり戦争被害に関しては

言及して、言うからには目的があるので、わざわざこれを言いにいらしたのか、とさえ思う。

宮中晩餐会の席である。

華やかに日蘭友好を謳い上げるマスコミであるが、晩餐会も

外交の修羅場でもあることを、私達は心得ておきたい。

オランダの、相当悪辣な反日ぶりに関してはまだあるが、

現在の友好モードに水を差す意図は全く持ち合わせていないので

これ以上言及はしない。

ただ、お人好し日本人は、とかく一色に染まり、言われたまま

同じ方向を一斉に見る性癖がある。

それは、危険である。

物事は両方の側面を見よう。

ベアトリクス女王が、インドネシア訪問の際(1995年)、

「植民地支配はお互いに恩恵を与えた」

と発言、こんなことよく仰るよ、と仰天するのだが、そういうメンタリティなのである。

だが、インドネシア国民は猛然と反発、女王バッシングにかかった。

日本なら、言われっぱなしであろう。

そして、やられ放題、取られ放題の、いつかきた道をまた歩むのである。

12月に出す小説の校正中ではあるし時間はなく、心が尖るのも避けたいのだが、

つい書いてしまった。

かつてローマで宿泊した時、オテルがオランダの女王陛下と同宿であったことなど

思い出しつつ。

廊下に銃を持った衛兵が佇んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国王陛下のスピーチ

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オランダ国王陛下の晩餐会におけるスピーチをめぐって、前の私の文章に関して、コメント欄でいささか論議になっていたので、参考までに国王のスピーチの全文を転載しておく。 ただ12月初旬に出す小説の校正中で、時間がないのでこれに対して
感想を述べる時間はない。 シンプルな英語でしかし格調高く、天皇陛下への礼は尽くしつつ、欠点のない見事な挨拶文である。 むろん、日蘭の政治と歴史に通暁したプロが作成、それにおそらく
文章の手練れが手を入れたと推察される。 心情的に謳い上げるところは謳い上げ、良い仕事をしている。 ただ内容に対しては、もう本当にたくさん言わせていただきたいことが
あるのだが・・・・たとえば歴史を述べるにしてもオランダが日本に
やって来たのは端的に侵略目的であった。 一事が万事で、残りの文言も全て自国の悪辣さは棚に上げ、あくまでも自らは善意の犠牲者の立場に据え、日本をさりげく「悪人」と規定、それも露骨ではなく優雅な手法で、なかなか外交的には立派な文章である。しかし感心してもいられない。加害者としての自らを棚に上げ、被害者として自己を位置づけ、賠償金を取りに来る国は他にもあるが。 一端しか述べる時間がない。 いずれ改めて書くかもしれぬが。 追記 たとえば出島に関するこの記述。 Deshima was the place where we learnt each other's language and studied each other's science and culture.   嘘ではないが、事実の一端にしか触れず、日本侵略と奴隷化目的を腹に持っていた根っこはスルー、という華麗な技。   更に追記 出島入口に立てられた「制札」にいわく、

 


  禁 制 一、 傾城之外、女入事 出島には遊女以外の女性の出入りは禁止。   日本の遊女を抱いていたオランダ人が、韓国の尻馬に乗って慰安婦を問題にするとは笑止。       遊女を選ぶオランダ人。     白馬事件は個人の事件で処刑含めて、処理済み。これをもって、日本がその件に関して潔白とは金輪際言わぬし、反省も必要だがそれをもってして、毎度毎度永久に外交の席で言われなばならぬ一件ではない。インドネシアではオランダ、お主たち何をしたか・・・・   いや書きたいが時間切れ。   更に追記 時間を細切れで見つけつつ・・・       1944年4月 軍司令部が4ヵ所の慰安所を閉鎖。 小田島董大佐の勧告による 1948年 オランダのバタヴィア臨時軍法会議にかけられる。 12名のうち11名が有罪、うち1名が死刑。 1990年 対日道義的債務基金(JES)設立。 総額2億5500万円をオランダ人女性に支払い始めた。 2001年 総額2億5500万円を支払い終わる。   これで決着。   韓国への妥協案で韓国に騙されて出された虚偽に満ちた河野談話を、オランダが引き合いに出すのは筋が違う。いつまでネチネチと言い続ける気か。   参考までに。   *1810年、オランダが皇帝ナポレオンの率いるフランスに併合され、翌11年にはバタヴィアがイギリスの占領下に置かれたため、1810年から3年間、出島には1隻のオランダ船も入港しなかった。この間、食料品などの必需品は、幕府が無償で提供し、長崎奉行は毎週2、3回、人を遣わして不足品があるかないかを問い合わせていた。その他の支払いについては、長崎会所の立て替えを受けてしのいでいたが、それでも文化9年(1812年)には、その総額が8万200両を超えた。この間、オランダ商館は商館長ドゥーフの所蔵している書籍を売るなどして財政難をしのいだ。その後、1815年にはネーデルランド王国が成立。つまりこの5年間、世界中でオランダ国旗がひるがえっていたのはここ出島だけだった。(Wiki)   救けられたことへの感謝無く、ひたすら被害者として責める手口もどこかと同じ。   要するに「たかが色付き人種」がインドネシアを開放したことに、恨み骨髄なのである。植民地は今オランダは小さな島しか持ってない。今現在もオンタイムでひしひしと感じる、欠落感と怨念であろう。しかも黄色い猿にしてやられた悔しさ。   オランダはインドネシアに謝罪と保障を十分にしたのだろうか?   女王陛下が「植民地支配はお互いに恩恵を与えた」と言い放つ国だから。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  http://www.koninklijkhuis.nl/globale-paginas/taalrubrieken/english/speeches/speeches-archive/2014/oktober/speech-by-his-majesty-the-king-at-the-state-banquet-on-the-occasion-of-the-state-visit-to-their-majesties-the-emperor-and-empress-of-japan-tokyo/ Speech by His Majesty the King at the state banquet on the occasion of the State Visit to Their Majesties the Emperor and Empress of Japan, Tokyo 29 oktober 2014

29 October 2014

Your Majesty,

It is a great pleasure for my wife and I to be here as your and Empress Michiko's guests. And we are all the more grateful that Crown Prince Naruhito and Princess Masako are here to welcome us too. I have visited your country on many occasions. But this is the first time that I am here as King of the Netherlands. Our first State Visit outside Europe is to your country. A country with which we share a unique history and - we are sure - a successful future.

Let me quote a haiku written in 1679 by the great poet Basho:

Oranda mo
Hana ni kinikeri
Uma ni kura

The Dutchmen too have
come to see the cherry blooms
Saddle my horse!

It is now autumn, not spring. Yet I wanted to bring this poem to mind. It recalls a time when the Dutch were the only Westerners permitted to enter your country.

For over 200 years, the Dutch trading post of Deshima was the only link between Japan and the West. A narrow bridge between two worlds - two civilisations. A bridge which carried not only spices, sugar, textiles and copper, but also books, instruments, artworks,
knowledge and ideas.

The city of Nagasaki deserves praise for the restoration of this historic site and the reconstruction of the bridge. I hope I'll get a chance to walk across it one day.

Deshima was the place where we learnt each other's language and studied each other's science and culture. An important role was played here by Japan's rangakusha, who studied Western learning through Dutch texts. In fact, a man who spoke Dutch - the renowned Fukuzawa Yukichi ­- graces your 10,000 yen notes to this day. It is fascinating to think that for so many years, Japan looked out at the Western world through a small Dutch window.

Your Majesty,
Even when Japan opened up to the rest of the world, the relationship between our countries remained close. For instance in the fields of medical science and water management. The Dutch engineer Johannis de Rijke is still famous in your country.

We realise, though, that even back then, Japan had a long tradition of hydraulic expertise. Deshima, for example, was an engineering triumph. An artificial island in the sea, built on piles, which survived many a typhoon.

We will not forget the history of our forefathers. Their hard work, their creativity, their achievements and their interaction shaped the world in which we now live. Their history will never be 'over'. Its fruits will remain with us - both the sweet and the bitter.

So we will not forget - cannot forget - the experiences of Dutch civilians and soldiers in the Second World War. The wounds inflicted in those years continue to overshadow many people's lives. Grief for the victims endures to this day. Memories of imprisonment, forced labour and humiliation have left scars on the lives of many.

The Japanese people, too, suffered terribly during the war, especially in the final phase, marked by such destructive violence.

Acknowledging the suffering of others provides a foundation for reconciliation. Many in Japan and the Netherlands have actively worked to foster such reconciliation, enabling new trust to grow.

For centuries, a tiny bridge only five metres wide was the only link between our two countries. Today, countless bridges of friendship and partnership connect Japan and the Netherlands. Across the seas, the skies and cyberspace.

Over 450 Japanese businesses are active in the Netherlands. They directly employ over 35,000 Dutch people. In turn, Dutch entrepreneurs and experts are contributing to economic advances in Japan.

We are working closely to find sustainable sources of energy. The Netherlands is also glad to be able to help rebuild the horticulture sector in Miyagi, one of the regions hit so hard by
the tsunami in 2011.

A key issue in both Japan and the Netherlands is how to safeguard prosperity and quality of life in an ageing society. It will take brain power and resolve to ensure sustainable growth in the long term. The reforms that are needed are not simple. But if there are two countries that can inspire one another in this field, they are Japan and the Netherlands. When I look at the dynamic role played by designers, researchers, artists and creative entrepreneurs in our two countries, I think: together we can achieve so much. I hope that our visit will help drive this idea home.

The same applies to our joint commitment to the international legal order, and to peace and security. Japan is dedicated to peace and is examining the best way to foster peace in today's world, with a more proactive contribution. The Netherlands appreciates these efforts and we recall with admiration the humanitarian role played by Japan in Al Mutannah between 2004 and 2006. There, in Iraq, our troops worked side by side.

Your Majesty,
The tone for our cooperation was set over four centuries ago by Shogun Tokugawa Ieyasu. In 1609 he wrote to my ancestor Prince Maurits: 'If two countries strive to achieve the same goal, surely there can be no objection, however far apart they might lie. Your vessels may anchor in every port. Let us from now on deepen our friendship even more.'

That age-old wish is one that we share.

I would like to invite everyone present to raise their glasses to your health, Your Majesty, to the health of Empress Michiko and of the members of your family. May the friendship between Japan and the Netherlands blossom and bear fruit in the years to come!

Thank you.

 

更に追記 時間を盜みながら書いているので、まとまりのつかぬ文章になってしまったが、

概略歴史のおさらいを。

総兵力5万5千人によってわずか10日間の戦闘で、日本軍はインドネシア全域を制圧。

日本により、330年にわたって続いたオランダのインドネシア植民地支配が終焉。

日本の支援によりインドネシア人による軍隊の結成や官僚の育成、法制度や教育体制の整備などを着々と進めたインドネシア。

日本が敗れた2日後の1945年8月17日、スカルノ初代大統領は独立を宣言。

「インドネシア人は極めて従順な種族である。日本軍が降伏してしまった現在、我々が上陸すれば、彼らはただちに元どおり従順になるに違いない」とオランダ人は独立宣言を無視、イギリス軍とスラバヤに上陸。

日本人による現地の人々への、誇りを持てという教育を見くびっていたのである。

インドネシア軍はもはや白人に飼われる家畜ではなかった。

日本軍の武器を持ったインドネシアの民衆軍に強襲され、イギリス軍は一個師団が全滅。

白人たちが日本を憎むのは、こうして家畜だった有色人種に、人間であることを日本が教え込んだせいもある。


スラバヤの市街地を占領するのに100日間も費やしたイギリスは軍事制圧を断念、和平交渉に転じる。

スラバヤ戦争で市街地を灰にし、約2万人もの犠牲者を出したことに対してイギリスは何ら謝罪も補償もしていない。

イギリス軍は撤退したが、オランダはインドネシアの再植民地化になおも固執する。

1947年7月、オランダは再びインドネシアに対して軍事行動を。

このころ東京裁判では・・・・

オランダは、インドネシア独立を支援した日本の指導者を「侵略戦争」を行った罪で裁いていた。

この欺瞞を、日本こそは忘れずにいよう。

外交の席で永遠に持ち出せばよろしい。オランダが、決着のついた事案を延々と

持ち出す気なら。

オランダ国王が愛する韓国、その嘘

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12月初旬に出す小説の校正作業の締め切りが近く

相変わらず駆け足の文章であるが・・・・

どうも、マスコミがオランダとの友好のみ伝え、国王の「もう一つの顔」を

隠しているのか、無知なのか・・・・・

国王のいわば「素顔」を知らぬ日本人が多いようなので、

国王が来日前に韓国メディアに語った言葉を転載しておく。

ただ中央日報の記事なので100%は信用置きかねる。

だが一国の国王の言葉をさすが、全部は捏造しないだろう。

部分転載である。

これが日本訪問を目の前に控えた上での、つまり日本人にも

韓国人も読めるという状態での発言であることに留意されたい。

つまり「何らかのメッセージ性」は韓国のみならず、日本に対してもある、と。

 http://japanese.joins.com/article/277/191277.html

ハメルや韓国戦争…オランダ国王「コリアとは特別な関係」

2014年10月14日09時44分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]

  「韓国人の情緒と前向きな考え方(forward looking focus)を、いつも尊敬しています」。

ハーグのノールドアインデ宮でJTBCをはじめとする一部の韓国メディアと会い、韓国人への賞賛を惜しまなかった。   国際オリンピック委員会(IOC)委員としても活動してきたアレクサンダー国王は、韓国国民の皆が力を合わせて平昌(ピョンチャン)が2018年冬季オリンピック開催地に選ばれたことに大きく感銘を受けたと明らかにした。   それと共に彼は、すでにいち早く発展している地域である平昌が2018年冬季オリンピックを成功裏に開催した後には世界の人々が好んで訪ねる新たな冬の旅行先として急浮上すると期待した。アレクサンダー国王は、皇太子時期に計4回韓国を訪れ、2003年にはIOC委員として冬季オリンピック候補地の実態調査のために平昌を訪れたことがある。

彼は17世紀に朝鮮に滞在後「ハメル漂流記(邦題:朝鮮幽囚記)」を書いて朝鮮を西洋に紹介したオランダ人のヘンドリック・ハメルとの縁をはじめ、韓国戦争(朝鮮戦争)に参戦して亡くなったオランダ人らを例にあげて韓国とオランダが特別な関係であることを強調した。

  彼は皇太子時期に韓国を訪れるたびに常に安らかな印象を受けたとして、今回の国賓訪韓についても大きな期待を見せた。アレクサンダー国王は今回の訪韓に関して「妻と私は国賓訪韓をとても待ちこがれており、両国間の良好な協力を確認して増進するものと期待する」と話した。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー     宮中晩餐会におけるスピーチと同様、こちらにももの申し上げたい箇所が幾つかあるが、持ち時間が乏しいので、一つに絞る。   >朝鮮を西洋に紹介したオランダ人のヘンドリック・ハメルとの縁   これは、朝鮮でオランダ人たちが虐待され、日本へ逃れ 日本人に助けられて、オランダに無事帰ったオランダ人の
話なのだが、誤解していらっしゃるか、あえて朝鮮側の美談に 加担していらっしゃるのか?     Wikiが比較的忠実に事実を再現しているかと思われるのだが・・・   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%A1%E3%83%AB  

◆ハメルらは遭難の後の最初の数ヶ月は丁寧に取り扱われた。しかしながら、物珍しさが無くなるとすぐに、彼らは再び朝鮮が岸辺より遠ざけたい異国人となった。日本からのスパイに違いないという憶測が、このオランダ人達の運命に恐らく加わった。

 

◆ハメルは、彼らが明白な惨禍として被った、後の屈辱のいくらかについても記している。自由を求めて拒絶された彼らは、その地の習慣を厳守しなければならず、かくして朝鮮での幽囚の身となった。

 

◆朝鮮人が彼らの行動を制限し続けるつもりであることは、オランダ人にとって明白だった。現地の慣習に従えば、彼らは奴隷も同然だった。

 

◆耐えかねた一行のうちの2人が清の使節に日本への送還を直訴したことは、一行の待遇を悪化させた。

 

◆時に給与が滞ったときには物乞いをして命を繋ぐこともあった。1659年(孝宗9年)には熱病の流行で一行より多くの死者を出し、1660年(顕宗元年)から1663年(顕宗3年)の飢饉で、全羅兵営が彼らを養いきれなくなった後には、全羅左水営、順天、南原に分散されてしまった。厄介者であった彼らに対して、朝鮮は次第に注意を払わなくなり、彼らは時に綿花の交易のため、周辺を航海することもあった。そしてそれが、後の脱出に繋がることになった。

◆1666年、彼らが囚われてから13年後、ハメルを含む8名が脱出に成功した。彼らはどうにか小船を奪い、オランダとは友好関係にあった江戸時代の日本、現在の長崎県の五島列島に辿り着いた。五島淡路守盛勝は彼らを保護し、オランダ商館のある長崎湾の人工島・出島へ送った。長崎奉行はハメルらをオランダ商館に預け、朝鮮の事情や滞在中の生活について尋問した後に帰国を許可した。オランダ商館長ウィレム・ボルガーの依頼を受け、いまだ朝鮮に滞在している「デ・スペルウェール」号の生存者についても、宗氏を通じて日朝間で送還の交渉が行われ、朝鮮への残留を希望した1名を除く7名が、対馬を経由して日本へ送られ、オランダ商館に引き渡された。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

国王はこのような経緯を知らず、朝鮮側が捏造美化した「お話」を信じこんでいらっしゃるのか・・・・とふと思うのは、韓国にこのような建物があるからだ。

 麗水市にあるヘンドリック・ハメル博物館

このような立派な博物館があるということは、これはハメルらオランダ人が朝鮮で餓死寸前にまで虐待され、朝鮮を脱出したオランダ人たちが日本に救われた、という話は歪曲されている、と考えるのが妥当であろう。

さればこそ、国王も韓国とオランダとの絆を示すオマージュとして
語られたのであろう。

だが事実は朝鮮によるオランダ人虐待であり、日本がオランダ人を救い祖国へ戻してやったのである。

オランダにあるハンメル像。

それにしても、訪日を直前の国王の韓国への熱いエール。
日韓の歴史そして、現在の韓国との日本の関係性をご存知の上で
発されたメッセージである。それを我々は腹に据えておきたい。

韓国は日本に虐げられたオランダの仲間。

日本は共通の敵。

オランダの歴史を見るに、徹底した有色人種蔑視でそれは

王室もそうである、というより王室が率先してそうであったのだが、

たかだか70年間でその体質が変わるわけもない。

とすれば韓国人は日本を敵国として看做す同盟国として

準白人のランキングなのかもしれぬ。

先の大戦で、韓国人は日本人として戦っていたことは見事にスルー。

それからこれは、言うにはばかるがあくまでも「一説として」捕虜虐待他の

悪行には韓国人兵(当時は日本人)が多かったという・・・・・

いささか感情的な言い方でもあろうが、とりあえずそのような説も

あることも、国王はご存じないか・・・・あるいは晩餐会におけるスピーチに

網羅された知識からして、オランダ王室がもろもろを

ご存じないわけもなかろう、とも思うのだ。

承知で、事の真偽などうでもいい、正義など国益の前には煙、
あくまでも自国に有利な構造を作る。

オランダ王室にとっては造作も無いことである。
歴史の中でさんざん習熟している。

駆け足の拙文にて。

 

 

 

社説で怒るほどのことか

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安部総理が枝野さん問題を取り上げて、「これで撃ち方止めですね」と

私的席で発言したと、国会で指摘され、

「今日の朝日新聞ですかね。これは捏造です」

と言ったその言葉を取り上げて、朝日新聞がえらく長々しい文章で攻撃している。

他の新聞も書いているのに、なぜ朝日だけあげつらうのか、と。

長々しく怒って書くまでもなく、答えは明瞭。

朝日新聞には慰安婦問題の捏造があり、長い間日本を濡れ衣で苦しめてきて

いまだ濡れ衣は晴らせず、オランダ国王来日直前にすらオランダの

外相が河野談話を持ち出してくる始末。

要するに「捏造記事の老舗」である朝日をそういう言い方で、安倍さんは

軽く皮肉っただけのことである。

ちなみに、「撃ち方止め」は側近議員の発言であり安部総理の言葉ではなかった

そうだが、この議員が誰か知らぬが、賢くない人なのだろうか。

こんな言葉が、問題にならぬわけもなかろうに。

相変わらず小説の校正に没頭していて、今日も単なるツイッターレベルの

感想文、ご容赦。

日本男子の顔

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昨夜「世界ふしぎ発見!」で見た若い寿司職人の店に行きたくて

しかし名前を覚えるのが苦手で、今朝になったらすっかり失念。

誰だったかなあ、とぼんやりテレビを見ていたら早朝の

政治番組で、以前「バンキシャ!」のゲストでご一緒だった

増田 寛也元総務大臣が出ていらして、あ、増田だった!

と寿司職人の名前を思い出したという、つまらない話なのだが・・・

その寿司職人の寿司にかける情熱や努力、紹介された

店構えの清潔さなどに加えて、江戸前のきりりとした風貌を

見物に行きたかったのだ。

他国では絶えて見かけない、最近なかなかお目にかかれないスッキリとした

日本の男の顔。

全国放送で流れるとこの先数ヶ月は混み合って多分ダメだと思うが、

この店には着流しで行ってみたい。

ホームページを覗いてみたら、その寿司職人が仲間の寿司屋という

ことで推薦しているのが女性の寿司屋。

偏見なのだろうか? 私は女性の手は温かいので寿司には

向いてないと思っているのだが?

あと、寿司に必要な特有の気合のごときもの。

寿司は男の世界だと思っている。

皆さん、女性の寿司職人は受け容れる?

いやその前に、女性の手のほうが男の手より温かいというのが

私の思い込みなのか?

 

富と栄光のためでなく ただ名誉のために

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明日が小説の校正締め切りなので、今日もじっくり書く時間はないが・・・・

オランダ国王の余りにも一方的晩餐会スピーチに、いまだ心がざらついている。
書ききっていればスッキリするのだが、時間に不自由していて腰を入れて
反駁できていないので。

駆け足だが、日本人に最小限知っておいて頂きたいことを箇条書きで書く。

まずこれを見て頂きたい。

スカルノ大統領のインドネシア独立宣言の書である。

日付の年度に留意されたい。

西暦では、1945年8月17日であるが、05年となっている。

これは「皇紀」なのである。皇紀2605年。

インドネシアの独立が日本のおかげであることをこういう形でスカルノ大統領は
宣言文に織り込んだ。

「侵略戦争」というのは、戦勝国側の一方的烙印で、あの戦争は白人による有色人種の奴隷としての使役からの開放でもあった。

そこをくれぐれも、日本人よどうぞ忘れてくださるな。

戦争の全てを肯定はせぬ、出来ぬ。

しかし、私達が幼児期より刷り込まれてきたように、日本だけが
一方的に愚かだったわけでもなく、悪かっただけでもない。

戦争は肯定しない。

言い訳もしない。

だが事実は事実として見ておかないと私達の父や祖父の名誉が、
そしてその子たちや孫達である日本人の名誉が足蹴に汚される。

あの戦争には白人からの支配から、アジアを独立させた戦争でもあった。

これをどうぞご記憶いただきたい。子にも伝えていただきたい、

インドネシアは、数百年間に及ぶオランダの支配下というよりは、略奪下にあり国民は家畜のごとく使役されていた。

オランダにとって、オランダ王室にとって有色人種は動物。人間ではなかった。
それから、まだわずか70年。国と王室の性根がそうやすやすと激変するわけでもないことは、ご理解いただけるだろうか。

1942年、3月1日。日本軍はわずか9日間でオランダを、インドネシアから駆逐、数百年に及ぶオランダの強奪からインドネシアを開放させ、更に動物ではないのだぞ、白人と同じ人間なのだぞ、と誇りを教えこんだ。

オランダが執拗に再度攻め込んでも、もう彼らは屈することがなかった。

そしてオランダは植民地を失い、しかもそれが小さい黄色い猿によってなされたことに、屈辱と怒り。

インドネシアの「国立英雄墓地」には11名の日本人が手厚く葬られている。
「英雄」墓地である。

インドネシア側にとっては日本の戦いは聖戦だった。

心からの感謝があった。

ここを忘れぬよう。

そして、日本が敗れた後もまだ帰国せず! 祖国に戻る道を選ばず!
インドネシアにとどまり、その独立に生命を賭けることを選んだ
日本人がいたことを忘れまい。

日本軍降伏後、4年5ヶ月におよんだイギリス、オランダとの独立戦争に身を投じた旧日本兵の数、千人とも2千人とも。それらの数すらつかめぬ名も無き英雄たちよ。

戦死者は、つかめた数が約400名。彼らもインドネシアの墓地に埋葬されているのだろうが、そのうち32名が各地区の英雄墓地に葬られている。

敗戦後もなおインドネシアに留まった日本男子たちの、心意気。

オランダがインドネシアに踏み込み、強奪を始めたのは1605年。

以来実に3世紀半にわたって、インドネシアの人々を家畜として
使役、人口わずか0,5%のオランダ人が全生産額の
65%を専有するという悪辣ぶり。

日本をどの口で侵略国家と呼ばわり、どの汚れた手で打ち据えるか、
オランダよ、恥を知れ!

国王よ、日本国の宮中で歴史をもし語るなら自国の負の歴史を棚に上げてくださるな。

戦争を肯定はせぬが、日本がロシアを打ち負かしたこともまた、
全てのアジア人に勇気と誇りを取り戻させたのは事実である。

第16軍を率いて、今村均中将ジャワ上陸を敢行、3ヶ月を要すると言われていたのに上陸10日後には、オランダ軍司令官はあっさり降伏。
このことへの恥辱もあり、オランダは執拗な恨みを日本に持つ。

今村均中将の言葉。

「独立というものは、与えられるものではなく、つねに戦い取るべきものだ。かれらが戦い取ることのできる実力を養ってやるのが、われわれの仕事だ」


それから、歩み始めたインドネシア独立への道。

300近い言語をインドネシア語に統一。

州の長官、副長官などに現地人を登用し、参議会を作って、行政や議会運営を習得させた。

インドネシア義勇軍を編成し、3万5千もの将校、兵士を育成。こうして後の独立戦争の素地は整えられた、日本人の手で。

・・・・・・どこか日韓併合時代の日本政府のやりかたを彷彿させる。

日本人には本来、白人の如き強欲さも傲慢さもない。
朝鮮も日本が合邦せず、ソ連の手にわたっていたら、文字通り植民地とされて
強奪され、人々は家畜として使役され、現在の近代国家大韓民国の姿はなかったはずだ。

インフラを整え、ハングルを広め教育と健康に留意しつつ統治したのが日本である。

韓国の近代化の礎を築いたのは日本である。

日韓併合の全てを肯定はせぬ。だが、西欧の概念で、あの統治時代を植民地と呼ぶのは絶対に違う。

それは、日本国民は胸を張って主張すべきことである。

韓国に侵略呼ばわりされる謂れはない。

朝鮮半島での兵隊募集には応募者が殺到、日本兵として戦った。
朝鮮名のまま出世、日本兵の一団を率いていた者たちも複数。

これらは伝えねば。

過去のためではなく、これから日本人として生きていく子らのために。


 


とりあえず校正終わり・・・・

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うんと先だと思っていたのだが、来月7日に小説が出る。

それと共にドラマ情報が、出演俳優名を含めて解禁。

タイトルさえ言えないので、それまで窮屈である。

小説版の編集の方は、ドラマ版の音入れ前(音楽や効果音無し)を

ご覧になっているのだが、「大変面白い」そうだが、私はまだ見ていない・・・・・

というより、完成品の段階でしか私は見せてもらえない。

推敲途中の原稿を見られたくないようなものなのだろうか。

編集者のほうは、パブの都合もあるので渡してもらったのだろう。

シナリオ版のほうは、映人社の月刊「ドラマ」、新年号(12月発売)に掲載が決まった。

これに書く「作者ノート」みたいなものを書けば、この作品にまつわる作業は

すべて終わる。

次のドラマの構想ーー大人の恋ーー四十の女と五十の男、にかかるが・・・・・

ずっと以前からぼんやり考え続けているのだが、難しい。

ただ厚い壁を乗り越えられたら、面白くなる予感。

優雅な無礼

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毎日新聞の記事である。

毎日新聞 2014年10月31日 20時12分

>宮内庁によると、レセプションで天皇陛下は戦時中に日本の収容所にいたというオランダ人の女性に対し、「ベアトリックス元女王が難しい問題に熱心に取り組んでくれました」などと述べた。別れの会見の際には、国王が天皇陛下に「素晴らしい訪日でした。感謝します」と話したという。

凄まじい、このいけずさ。

国王夫妻の「答礼」レセプションに、収容所にいた女性をわざわざ日本に連れて

来て仕込んで

天皇陛下に対面させ、ベアトリックス女王の理不尽な反日言動を

天皇陛下に肯定させる・・・・・

国王の来日前に、外相に河野談話の継承を言わせ、

韓国側の言い立てる強制従軍慰安婦を告発、今後もオランダは言い続けるから

ね、と表明、国王ご本人はオレは言ってねーしと涼しげな顔、

国王外相の連携プレーなど透けて見えるけど。

日本に風力発電を売り込んで、原発を韓国から買う。

ハーグに飛んだ日本の岸田文雄外務大臣は,ティマーマンス外務大臣に、

ベアトリクス女王が世界平和に貢献したと讃美。

インドネシアへの3世紀半に渡る搾取を「双方に益があった」と言い放った

女王をである。

宮中晩餐会で堂々と日本を非難、賠償金を言外に要求した女王をである。

マスコミは「友好」しか報じず、外務大臣は何を言われてもひたすらにこにこ。

日韓友好祭りで、ビビンバをかきまぜてみせ、宮中の晩餐会には

オランダ国王からもらったもんね、と勲章をつけていそいそと出るのである。

見せかけの形は、友好にはむろん必要である。

だが言い返すべきは言い返さねば、なんのための外相か。

「千年の恨み」は朴槿恵大統領だけではなく、アレキサンダー大王もである。

そして日本憎悪の歴史は韓国よりも長い。

オランダは韓国よりも、上手に優雅に反日をやってのける。

 

判決

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「バンキシャ!」に出演した時のある回が、某殺人事件に関するトピックで

あったので、出演する前にある程度のことは調べた。

そして、これは作家的直感と、それから想像力でこの男が

犯人と、自分の中では確信した。

打ち合わせの時、プロデューサーと同行のマネージャー氏に

それを話したのだが、二人共「いずれ真相がわかりますね」

と気乗り薄の表情。

というのも、放送でそれを言う訳にはいかないので、無駄といえば無駄な

私の犯人特定話である。

本番で私は何を喋ったのか記憶していない。

その回に限らず「真実はこうなのに、しかし諸状況でこれは言えぬ」と

腹の中で歯ぎしりしている時の常で、

毒にも薬にもならない腑抜けコメントを発しただけなのかもしれない。

それから時が経ち、有罪判決が出た。

ところが逆転無罪。

あり得ない・・・・

だが、素人の私がうかつなことは言えぬ。

ただ、私は物書きとしての視点と感性から特有のアプローチをする。

捜査側のおっちゃんたちの誰が、女子高生の心理に身を寄せて

彼女の行動ラインから検証して行く能力を有しよう。

少女漫画をたとえばオンタイムで読んで、理解という以上に

多少は共有できるセンスを持たないと不可能である。

被害者の心理を探りながら彼女の動きを追うだけで

くっきり見えて来るものがあったのだ。

プラス物書き的霊感の作動があった。(常にスイッチが入るわけではない)

だが、所詮素人。

うかつなことは書けないな・・・・と思っていた矢先、

元容疑者が殺人未遂でまた逮捕されたというので、書く気になった。

過去、殺人罪や強姦罪を背負った男で、特殊エリアの住人である、と

初期の調べの段階で把握していたことを、また思い出した。

相当数の凶悪犯罪が、あの事件もこの事件も、日本名で報道されることをかねがね理不尽なことに思っている。

ルーシー・ブラックマンさん殺害の犯人が、元々の日本人ではないことを

知ったのは英国紙によってだった。

犯人もさることながら、政治家も含めてどの分野でも、○○系と

元々の出自を示すことを習慣づけたい。

それは差別のためではなく、帰化する際の日本国と出身国への

けじめの示しかた、責任の持ち方という意味で。

日韓・韓日議員連盟合同総会に出席して、強制慰安婦の存在を認める如き

ことに加担する議員がいたり、「北星大学(植村隆氏)を攻撃する卑劣な脅迫を

許さない決議」と称するものが、札幌市議会で可決されそうな動きを

見ていると、あなた方は日本人なのですか? と問いかけてみたい衝動に

駆られる。

むろん、大学への脅迫を肯定はしないが、犯人はいったい誰なんだ?

市議会の人たちが思い浮かべているような人物像が犯人だろうか。

脅迫の否定は結構だが、それが植村隆氏個人を守ろうという動きへ向くのは

違うのではないか。

植村氏は覚悟しておやりになったことであろうに。

あれだけ大きく長期に渡った日本毀損と、日本人侮蔑の記事を発信されたのだから。

一人の日本の男として、全てを受けて立つ気概がなかったのなら、お書きになるべきではなかった。

言論の自由とは異なる地平に、上村氏の捏造記事問題はある。

 

 

 

無知は反日に通ず 大東亜会議

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無知というものはしょうが無いもので、教えこまれたままの
日本の歴史をふと見直す気になって、マスコミや教育が教え込む
現実と教えこまれていた内容の余りの乖離に仰天したのが
つい数年前。

日韓併合に始まり、慌ただしく歴史を見なおしての今現在であり、
偉そうに意見を発信しているのだが、しょせん付け焼き刃で
永年腰を据え学んで来た方には叶わない。

あるメルマガを購読している人からその内容を教えて
頂いたのだが、今日(5日)明日は、「大東亜会議」の日なのである。

大東亜会議。

一言で言えば、「アジアで専横を極め有色人種を
奴隷として使役、その上がりを搾取していた白人どもを追い出す
作戦会議」である。

日本のあの戦争にも「義」は少なくともあったという証明にも
なる会議である。

「侵略戦争」であると、一方的に叩かれるのは事実と違う。

集ったのは、中華民国の南京政府、満州国、タイ、ビルマ、フィリピン、インドの六カ国である。

東條英機のお孫さんでいらっしゃる故東條由布子さんが、

「大東亜会議を開いたことは日本の財産である」

と、書き記していらっしゃる。

http://www.tojo-yuko.net/daitoua-kaigi/

 

 

現在はAPECがあります。アジア太平洋経済協力(Asia-Pacific Economic

 

Cooperation)はアジアだけでの経済圏を作らせないためにアメリカが介入していますが、大東亜会議は正真正銘のアジア人によるアジア人のための初の会議だったのです。

 

戦後教育の中では全く評価されていないこの会議ですが、ここからアジアの独立運動がスタートし、戦後はすべて各国が独立していった事実を見るとこの会議の意義は大きい。

 

とくにインド、インドネシアでは東條英機に対する評価は絶大である。

 

支那の暴虐(朝鮮はとるにたらない。いつものように自滅していくだろう)がますますひどくなる中、東亜の各国が日本を頼りにしてくるのはなぜかが、この文章を読むとよくわかっていただけると思う。あの時は白人国家だった。今は支那である。力にまかせてそれぞれの民族の誇りを踏みにじるものが出てきた時に、毅然として弱者の側で立ち上がるのが日本民族だと、期待されているのだ。

そういうことを思い起こすためにも、大東亜会議というものがあったと、今日という日には思い出して欲しい。

 

ーーーーーーーーーーーーーーー転載終わりーーーーーーーーーーーーーーーー

 

口を開けばA級戦犯がどうのと言う前に、東條英機氏の人となりぐらいは勉強して欲しい。

と言いながら忸怩とせざるを得ないのだが、私も実情を知るまでは
日本を戦争に導いた悪者である、という程度の認識であり、
日本はアジアに迷惑をかけた悪い国である、と無邪気に思い込んでいたのだから、無知は罪という言葉があるがそれを通り越して、自らの国への反逆であろう。

私が、「大東亜会議」と言葉だけで、通り過ぎていた内容を記してくれていたメルマガの主は、中国が主催するAPECの会場で、さんご密猟に大群で押しかける中国船の映像を流したらどうかと提案していたが、賛成である。

それにしても、日本の反応の鈍いこと、おとなしいこと。
もはや病気のレベル。

オランダに足蹴にされ(何しろ王室なので、たいそう優雅で品のいい反日を
なさっていらしたが)、中国に頬を張られ、それでも岸田文雄外相はにこにこと、
オランダ国王から貰ったという勲章をいそいそとつけるだけで反駁の一言も無し、太田昭宏国交通大臣は目もろくに上げず抗議の文章を読み上げるだけである。

太田国交通大臣は、たったあれだけの短文を暗誦するだけの気迫もおありにならないか。カメラに向かって、つまり中国に面と向かって物申すべき時であろうに、ほとほと情けない。中国外務省のあの女報道官を見なさい。
理のないことすら、顔を上げ背筋を伸ばしてカメラに向かい(ということは全世界に視線を向けて)堂々と語っている。

やられた日本がしょぼしょぼと目を伏せて呟く。

勝手に韓国に引かれた李承晩ラインを越えただけで、日本の漁民たちは
殺され、捉えられ強制連行で韓国へ連れて行かれ虐待の限りを尽くされた。

李承晩ラインなどというイカサマラインではない、日本古来の領海を
侵されてもなお、日本はヘラヘラと。

もう終わりではないか、これ。

菅義偉官房長官を私は無能だと思ったことはないけれど、韓国が
竹島に避難所その他の施設を建設することを止めたことに対して
「竹島は歴史的、国際法上もわが国固有の領土であり、冷静で平和的に紛争を解決する考えをずっと伝えてきている。そういう意味で韓国側が判断をされたのではないか」と述べ、

>韓国の対応に一定の評価を示した。

と報道されているが、何十年領土を不法占拠されている国に
何というぬるいことを、おっしゃっているのか。

これでは竹島は永遠放棄宣言と取られても致し方あるまい。
脇からちょこちょこ、ちょっかいを出しているだけ。

それで「ネットが炎上」とシンシアリーさんの日記にあったので、
やっぱりね、と一瞬思いかけたが何ということ韓国でのネットのこと。

見なさいこのざまを。

騒ぐのは韓国、日本は知らん顔。

領土盗まれたまま、それすら忘れて暮らしている国民。

中国もそれを見ている。

私はいい。先の時間はさしてないし、命は惜しくない。
しかし子どもたちを日本の大人たちよ、どうする気だ。

中国の奴隷に差し出す気か。

海保の手が足りなければ、自衛隊を出せよ。

日本の海の財産を護るために自衛隊法82条はある。

敗けはとっくに見えていたオバマ大統領が寄越した反日で
無礼、本国で無能烙印を押されたケネディ大使に、憤るどころかいそいそと日の丸を打ち振った国民たち。

頭脳とともに誇りまで失くしたか。

 

 

新作ドラマ 「わが家」 情報解禁

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まだ先だと思っていたのだが、このほど新作ドラマの情報解禁となった。

小説はドラマと同名「わが家」として、12月初旬に竹書房から出版される。

以下、局側の宣伝文章・・・・

向井理(32)、長塚京三(69)、田中裕子(59)、村川絵梨(27)ら豪華俳優陣が、来年1月4日(日)午後9時からTBS系で全国放送される「新春ドラマ特別企画 わが家」(制作MBS)で共演する。

 「家に帰ろう。一緒に帰ろう。」をキャッチコピーに、バラバラに暮らす「桜木家」の4人が、海辺の「わが家」で繰り広げる、心温まるヒューマンドラマ。「花嫁の父」(2012年)、「母。わが子へ」(13年)などを手がけたベテラン井沢満氏が脚本を手掛ける。


 向井演じる主人公・桜木一歩は都内在住。客の元に友達・恋人・家族などを派遣する“人材レンタル会社”のスタッフとして働いている。子供の頃、大好きだった父・武士(長塚)に捨てられた記憶をもつ一歩は、ある日、妹・ほの香(村川)の結婚話をきっかけに、母・鯛子(田中)が待つ故郷・三浦半島の海辺に里帰り。そこに20年間音信不通だった父がひょっこり現れるというストーリー。

 「花嫁の父」以来、3年ぶりにTBS系の新春SPドラマに出演する向井は「家族とは何か」「本当の親孝行とは」を考える長男を熱演する。「また井沢さんの脚本、同じチームでの作品に参加でき、とてもうれしく思う」と大喜びで「最近はストレートな家族の物語があまりないので、挑戦することが面白く、ハードルも高い。自分にとっての家族は何なのだろうって考えていただける作品」と話している。

 共演者には長塚、田中、村川ら豪華な顔ぶれがずらり。「長塚さんは初共演なのですが、こういうお父さんがいたらいいなと思う方。ぶつかることが多い設定なのですが」と向井が言う通り、取っ組み合いをするシーンが見どころ。その長塚は「今回の父親役は型にはまった古臭さがない。自由な作風なので、とっても楽しいですよ」とコメントしている。

 演出も手掛けるMBSの竹園元プロデューサーは「向井さんと長塚さんがガチンコの殴り合いをする長いシーンは必見です。年初めの最初の日曜日の夜、笑って泣いて…ぜひ家族そろってご覧ください!」と呼びかけた。   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・   これから、ぼちぼちドラマと小説に関することを書いていきたい。   単なる物書きのブログなのに鬱陶しい政治話題ばかりだったし。   しかし、ついてまわる「ベテラン」の文字が不得手である。   それほど古びているかい、と言いたくなる。 むろん、褒め言葉なんだろうが私の個人的感覚は拒否。 まだわずかでも進化しているし・・・。
未熟さを思い知りつつのまだまだ前進なのだし。  

 

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