とかくギスギスした話題が多い昨今、本日は敢えて悠長な話題を取り上げてみたいと思います。
田中英道・東北大学教授が「遣日使の方が多かった9~17世紀の日本と
東アジア」として季刊「日本文化」平成17年夏号)に記されていることですが・・・・
今まで私たちは、日本が隋や唐から日本より優れた文化を取り入れようとして、遣隋使遣唐使を盛んに送った、と学びました。
これに対して田中氏はこう述べています。
「これは日本の歴史において、常に外国から学び、模倣することから日本
文化が形成されている、という歴史家、評論家の固定観念が、日本の世界
における文明的な位置づけを怠らせ、その意義の検討を遅らせてきたので
ある。遣唐使という言葉はあるが、遣日使という言葉がないこともその証
拠である」
日本側の史書にも、遣唐使の何倍もの使者が唐から日本に来た、と田中氏は説きます。
そう言えば、聖徳太子のあの有名な言葉、
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつ)が無きや」
教えを一方的に乞うにしては、随分「頭が高い」挨拶文ではありますね。
日本書紀には、「唐人を乗せた船が余りにも多く押し寄せたので、防人たちはすわ侵略軍かと思い弓を射た」という記述があります。
当時の日本の総人口は1000万人もいないので、人口比で言えば2万人の唐人が押し寄せたのと同じ、という計算をする人もいます。
日本から何かを得よう、教えを請おうと渡って来たのは唐のみならず、新羅や渤海からも来ていました。正倉院の宝物は、日本人が持ち帰ったものではなく、彼らが持ち来たったものであると学者も見ているそうです。
然るに、「けんにちし」を変換しようとしてもパソコンの語彙に「遣日使」はないように、私達の脳内にも「遣日使」は存在しません。
これは、いかなる現象でしょうか。
それと共に連想するのが「朝鮮使節団」の存在です。
江戸幕府では、彼らを「将軍に貢物を持ってくる」すなわち朝貢使節団という扱いでした。
然るに韓国側では、あたかも「文化の劣る日本に、ウリの高い文化を教えてやりに行った」と主張。
ちょっと考えればそういう片務的関係なら、貢物など必要もなく第一、日本に何度も行列をなして訪れることもないのです。
そして朝鮮通信使が、日本文化の思わぬ高さに驚きまた羨み妬む心情を彼ら自身が書き記しています。それが「日東壮遊歌」です。
そういう歴史事実が歴然としているというのに、日本で行われる朝鮮通信使のイベントは、あたかも対等の関係であったように設えられ、どうかすると韓国人まで参加して、「ウリの秀でた文化を、列島国日本に伝えてやた」というニュアンスのお祭りにすり替えられ、それに安倍昭恵氏などが賛同して、乗せられやすい日本人が多いのは困ったことです。
さんざんコケにされながら日本で催される「日韓友好祭り」という片務的祭典に外務大臣や高円宮家久子殿下と共に、ビビンバの大鍋をかきまわし、キムチをぱくついてみせるのも安倍昭恵氏です。
いいかげんにされたい。と書くとすわ井沢はアンチ安倍政権と短絡なさる人々がいるので困るのですが、国民から負託をされているわけでもないのに、余計な言動をなさるから篭池問題で、安倍内閣の足を引っ張りもします。
昭恵さんも総理夫人としての肩書でどうしても何か発言してみたいなら、「遣日使」の史実をこそ。韓国側の日本貶めに加担なさって、どうなさいますか。
■「遣日使」 文化の発信者としての日本
http://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/720a007506333b559a182730e014979a
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