週刊新潮をめくっていたら、見覚えのあるお顔が出ていて、
それは福山隆氏、自衛隊の元陸将でした。
何かのパーティにお招きを受けて出向いた時和服だったのですが、
向かう道で福山氏が私の和服に目を止めていらして、それが
パーティ会場での会話のきっかけでした。
ただその時私は福山氏のご身分を知らず、気楽な会話でした。後に福山氏がどういう方か知って、驚いたような次第です。
*陸上自衛隊幹部候補生として入隊。1993年、連隊長として地下鉄サリン事件の対応。2004年に陸将へ昇任し、 翌年退官。
その福山氏が私の如く些末な者をご記憶とは思いませんが、その福山氏がPKOに絡めて自衛隊員の背負った悲惨な状況を述べられています。
「日報問題」(後述)が引き金となって、南スーダンPKOからの撤退を余儀なくされた自衛隊でしたが、野党の細部を突きまくって大局を見ない姿勢には毎度、がっかりさせられます。
国会で「戦闘はあったのか、なかったのか」という論争で延々と時間が費やされました。
戦闘状態はあったと思います。あったに違いないことを「あったのか、なかったのか」という論で時間を空費する愚かさ。
南スーダンに派遣の陸上自衛隊隊員の皆さんは、殺し合いの現場にあって命をかけて背中に日本国家を背負って任務を遂行していたというのに「平和憲法」で頭を押さえつけられ、9条に手足を縛られた自衛隊員たちは、現場の厳しい環境を正直に報告することにためらいがあったこと、想像にかたくありません。
九条の矛盾は常に現場の自衛隊員にしわ寄せが来て、彼らを苦しめその場を取り繕った報告を余儀なくされます。
1978年当時の来栖弘臣・統合幕僚会議議長のこの発言が、すべてを表しています。
「現行の自衛隊法には穴があり、奇襲侵略を受けた場合、首相の防衛出動命令が出るまで動けない」
時の政権がどこにあるかでも、左右されるでしょう。中には自衛隊の総合指揮権を自らが担っていることすら知らないのではないか、というごとき某政権の某総理もいましたね。
国連は基本的に、日本に対してはいまだ敵国条項を持つ反日傾向の強い組織ですが、PKOが世界平和を維持するシステムであることは事実、その働きで紛争中の国家や武装集団が停戦合意に達しています。
週刊新潮の説明をほぼなぞっていますが・・・・PKOの軍隊はいわば緩衝地帯を築くことで再び戦争を起こさせないことが使命です。主要活動はパトロール、休戦協定違反の防止など。
いかにも理想的ですが現実が、これに伴わないのはしょせん紛争地です。
ルワンダ内戦ではPKOの目の前で数十万の民が虐殺され、しかし「中立」が旨の彼らは虐殺を止めるための武器使用ができなかったわけです。
これを転機としてPKOは大きく方針転換します。
「自らが交戦状態になることもいとわない住民保護」へ、戦闘を厭わないPKOとなったわけです。
日本の自衛隊員たちは、ここで憲法と実戦の二律背反に苦しめられることとなります。
PKOに参加した自衛隊員がやむをえぬ状況で人を殺めたとする、むろん任務の遂行の一環として、です。ところが、他国のPKO部隊の兵士がそれぞれ派遣国の軍法会議にフェアにかけられるのに対して、自衛隊員は刑法「殺人罪」で裁かれるのです。
こんな、ひどい話がありますか?
世界平和のために命を懸けて遂行した結果が「殺人犯」なのです。
皇后陛下が九条の会とお親しく交わわれていらっしゃるお姿に、自衛隊員の皆さんはいかなる思いを抱かれているでしょうか。お誕生日談話としてわざわざ「平和憲法護持」を打ち出される天皇陛下に対しては。
いざという時、両陛下を命を棄ててお守りするのは自衛隊員なのにもかかわらず。
天皇陛下の、政治にまつわるご発言自体が憲法違反に抵触しかねぬのに、その違反に近いことを侵されながら平和憲法護持を説かれることの矛盾。
現憲法は戦勝国が、日本弱体化を狙っての押しつけ憲法です。
政治的心情はご自由ではありますが、それを表明なさるのは「象徴」であることから著しく逸脱されていらっしゃいます。
その一方「象徴としての務めを十分果たせなくなったから」という理由での「生前退位」も憲法違反で、だからこそ安倍内閣も「特措法」で窮余の一策。ところがその窮余の一策がお気に召さぬと、民間の民草、メディアを使っての再びの「お気持ち」発信。皇室を尊崇すること、わたくしも日本人なので自然にその気持は持っていますが、余りといえば余りななさりようが続いています。
皇室を根底から変質させてしまいかねない女性天皇擁立もその1つです。
わたくしの、身の程を顧みない申し上げようはひとえに、皇室大事だからこそとご理解を賜われれば、ありがたく存じますが「不敬」の一言で斬り捨てる人のほうが、多いかと思われます。
両陛下が大切になさっている憲法9条では、専守防衛以外の自衛隊員による殺傷を想定していないので、自衛隊員の個々が身を守らねば殺人犯として扱われてしまいます。
日本は「後方支援活動」を担って来て「安全な後方地域」だという言い訳で、活動を続けて来ました。
しかしながらこんなもの、紛争の現場では虚しい建前に過ぎません。軍事の常識です。
しかし、非常識が日本ではまかり通っていて、苦しむのは現場の自衛隊員の皆さんなのです。
「安保法制整備」により、やや状況はましになりこれは安倍政権の(敢えて)「功罪」の「功」に属します。
安倍総理による「9条1、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」という「応急手当」には大いに賛同しますが、ゆくゆくは、憲法の抜本的改正が必要なこと言うまでもなく、総理もその腹でしょう、政権が続く限りは。(功罪などと言っているのは、アンチだからではなくフェアな支持者でありたいからです。皇室問題も同じく)
天皇皇后両陛下についてはっきり書く人も余りいないのかもしれませんが、しかしながら少なくとも憲法改正派であり、九条を日本防衛のネックと考える保守の人達に、わたくしを撃つ資格はありませんね。
□自衛隊の南スーダン「PKO 日報問題」について ↓
http://www9.nhk.or.jp/nw9/digest/2017/03/0316.html
こういうことを、つつきまわしている間に日本は国際貢献をしない
国家としての烙印を押され、自衛隊はいつまでも宙ぶらりんの
状態に置かれ、隊員たちは国家を守るという気概を失いかねません。
その上、天皇皇后両陛下そして総理大臣が使う政府専用機。あれは
自衛隊の管轄下にありますが、安倍総理が外遊する際には必ず
敬礼した自衛隊員の姿が総理の背後にありますが、両陛下の時
自衛隊員は、両陛下のご意向で追い払われます。
憲法改正に対する安倍総理の姿勢が半端だと非難をする向きも
ありますが、今日本が置かれている状況は天皇皇后両陛下の
憲法へのご姿勢に見られるごとく、相当厳しいと言わざるを得ません。
九条改正に行くまでには何十年かかるでしょうが、剣呑な世界情勢は
1日たりと待ってはくれません。せめて自らの短い在任中に取り急ぎ、自衛隊を憲法に明文化させておきたいという安倍総理の姿勢を私は理解します。
その後に控えているのは「慰安婦問題に関しては、誤り続けねばならない」とする自虐史観の石破茂氏、ユネスコ問題で佐藤地ユネスコ大使と共に、登録と引き換えに日本の顔に泥を塗った岸田文雄氏です。
今しかないでしょ、がまさに現実なのだから。
言わずもがな、わたくしは平和主義者です。しかし、世界がそうではありません。平和な日本国を維持するために自衛隊を国軍へとその地位を引き上げ、九条改正が必要です。
自衛隊が必要でなくなる日がいつか来るように、とそれは自衛隊員の皆さんこそがひしひしと紛争地で感じていることではないでしょうか。
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