映画を見に行ったら、日本映画のつもりだったのにいきなり英語のクレジット。
????と思いながらも、「そういえば、字幕版と書いていたな。カンヌに出品した時のまま、フランス語の字幕がついているのか、ひょっとして海外資本で英語の字幕なのかな?」
・・・・・・白人の主人公が登場するに及んで、やっと自分が映画を間違えていたことに気づいたのでした。
映画は「光をくれた人」。カンヌに出品されたのは「光」なんでした。
思えば全く予備知識無しに映画を観るのは、子供の時以来かもしれません。
情報網が発達した今、大まかな設定程度は承知で見ますから。
というわけで「何が始まるのやら」という一種の不安感、不安定感が新鮮でした。
私が映画を見た時、ときどきぶーたれている《編集がヘタでかったるい》こともなく、主人公は冒頭で速やかにヒロインに遭遇し、話はなだらかに流れ・・・
でもどの方向へ展開していくのか、プロの私がまったく読めず宙ぶらりん状態が暫く続き・・・・
(以下はネタバレあり)
無人島の灯台守として赴任した男とその妻なのですが、妻は2度の流産を繰り返し、そこに夫婦の暮らす島にボートが漂着。男の死体と、泣き声をあげている赤ん坊が乗っています。
妻は、私達の子にしましょう、と。とここへ来てようやく、どういう話なのか掴め、話は予定調和ながら巧みに展開します。と、このレベルは映画の宣伝サイトでも述べられているので、書いてしまいましたが。
流産は二度する必要はなく、妻を二度と妊娠できないかもしれない設定にしておけば一度の流産に気持ちの必然性は集約出来るな、と脚本チェックしながら見ていたわけですが、ストーリー構成は見事で、ちっとも飽きさせません。
でも「単なるオハナシ」で深みも感動もありません。館内の雰囲気もそうで、エンディングロールが始まると私はじめ、そそくさと席を立ち人が多かったです。
感動を共有できた時、人はしばらく暗がりにあって余韻に浸ります。
面白くハラハラし、退屈はしないが感動はない。が私の評価です。
ポジティブに評価すれば、感動はないが、ハラハラドキドキ面白い映画だ、と前後を倒置すればよいですね。
映画の帰り、「だし屋」に寄りました。紙コップのだし以外のメニューは、野菜の煮物と冷やしおでんの2種類ですが、野菜は売り切れ。おでんを食しました。
だし汁は自分で、耳かき一杯ほどの塩か醤油で味付けをして飲みます。
昆布と鰹の合わせだしが、絶妙でした。
「日本だなぁ」という味です。そういえば、「だし文化」は日本独自かも
しれませんね。こういうスープが浸透してくると、韓国が「だし文化は韓国が起源」と言って来そうですが、刺激的で味の濃い韓国料理に慣れた彼らの舌が「だし」を、知覚するかな・・・・?
付属の売店で、こんなのを買って来ました。
例の「しじみ鍋」を時々やるので、それにどうかな、と。ちゃんと、ガラスの容器入りがだし専門店の心意気というものです。無添加もまた。
「煎り酒」は池波正太郎さんの小説に登場しそうな江戸の味ですが、酒を煮詰めてそこに梅干しで味をつけたものです。室町後期から江戸中期まで用いられた、とあります。
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