《承前》
ゴン太さんへ
NHKの「俳句王国」に何度か出演していた時と俳句誌に寄稿を求められた時にだけ、駄句を詠み散らしていた身で、天皇陛下の御製と、皇后陛下のお歌を論評するのはおこがましいのですが、いささかは言葉に関わって人生を渡って来た身、「論」の一端としての、両陛下の和歌への言及なので、ご寛恕くださいますよう。
両陛下が、九条の会へお心を寄せられているわけではない、とあなたが示したお歌はこちらです。
精根を込め戦ひし人未だ
地下に眠りて島は悲しき (天皇陛下)
慰霊地は今安らかに水をたたふ
如何ばかり君ら水を欲りけむ (皇后陛下)
注意深く、読んでください。これは、兵士たちの鎮魂歌です、たしかに。
しかしながら、お国のため天皇の名のもとに散華された英霊への
感謝はありません。「戦争はよくないものだ」「あの戦争は間違いだった」とする詠嘆のお歌です。
これが民間人により詠まれたものなら、無問題です。
ただ、お二方ともにとりわけ天皇陛下は、あの戦争を慨嘆で済むお立場ではないはずです。
以上は、単なる「反戦歌」です。
英霊への尊敬も感謝もない、とそのことは昭和天皇の御製と比べるとよく解ります。
靖国神社九十年祭に寄せて
このそぢへたる宮居の神がみの 国にささげしいさををぞおもふ
英霊を「神々」と呼ばれ、「勲」「功」と讃えていらっしゃることに留意。
千鳥ケ渕戦没者墓苑にて
国のため命ささげし人々の ことを思へば胸せまりくる
「国のため」と冒頭に置き、そこには感謝の念がこもり、その感謝の思いが「胸にせまる」とお詠みです。
今上陛下と、皇后陛下のお歌にあるのは「悲しみ」「哀れみ」であり英霊としての尊敬を感じられない、というのはお解りでしょうか?
左翼女優が夏になると朗読する反戦詩の朗読と同じ地平にあります。
そこにあるのは「反省」だけなのです。
>例えば、両陛下は慰霊の旅にはこだわられていたと思います。
その慰霊の旅も、英霊への慰霊ではなく敵国の兵士たちをも含めた慰霊であり、その事自体はむしろ素晴らしいことではありますが、そこにあるのは「反省」であり、戦争さえなければ(敵国の兵士も含めて)彼らは死なずに済んだものを、という慨嘆でしかありません。
英霊の魂は、嘆かれ悲しまれ憐れまれて喜びを感じるでしょうか?
わたくしは、来ていただいたことに感謝しながらも、同情されることに戸惑いを覚える気がしてならないのです。
「靖國で会おうぜ」と莞爾として散っていった彼らの心ばえに対して、わたくしは適切なお歌とは思えないのです。
どうぞ、昭和天皇の御製の差を今一度、噛み締めてくださいますよう。
お国のために散ってくださった、という思いは感じられないのです。
サイパンに慰霊に出向かれれば、予定にはなかった韓国人慰霊碑にぬかづかれ、これもその事自体は咎められる筋合いにはないにしても、ゴン太さんが「だから、両陛下は九条の会に想いを寄せてはいない」ということには、ならない、ということは、お解り頂けるでしょうか。
栗林中将の辞世の句への返歌として捉えれば、なおさら違和感を覚えます。
国の為重き努を果たし得で
矢弾尽き果て散るぞ悲しき
天皇陛下のみ名の元、お国のためと思いしが矢弾もすでになく、国家の役に経たず、申し訳ございません、という心情ですね。
それに対して、天皇陛下のお立場でお応えになるなら「否。あなたは、よくぞ最後まで戦い抜いてくださった。どうぞ、悲しみなど持たないでおくれ。その勲をわたくしは、生涯胸に刻んで忘れないよ」というごときことでは、ございませんか?
英霊の血の吐くような侘びの言葉に対して今上陛下がお応えになられたのは、「島は悲しき」。返された栗林中将の心中を思えば、わたくしはこの御製を持って、陛下が九条の会に近いお考えではない、とする論拠にはなり得ないという感性と考え方です。
歌以前に、「平和憲法護持」という立場を明快にされていらっしゃるからには、九条堅持のお立場であることは、必然です。(政治的お立場の表明は、お立場に矛盾して、憲法違反だと思われますが)
昭和天皇の、たくまざる素直な御製は心に触れるもの多く、感受性の豊かさを忍ばせますが、今上陛下の御製にはそれを感じません。
皇后陛下のお歌は、時に息を呑むほどの感性で希代の歌の詠み手であらせられますが、一方英霊を詠まれたものは平板で、わたくしは感動点を見出すことができない、というのが率直な感想です。何か反戦プロパガンダを連想してしまうのです。
あと、ゴン太さんにお解りいただきたいのは歌は「フィクション」であり「ドキュメント」ではないということです。その歌をもってして、作者の心中がその通りということでは必ずしもないのです。過大評価なさいませんよう。
たとえば芭蕉の「奥の細道」。いかに難儀して旅を続け、一句を生み出して行ったかということが綴られているのですが、雨で旅程が難渋した、という記述の日付で、当時の気象を検証してみると、当日は晴れだったはず、というごとき研究があります。
では芭蕉が嘘を書いたかと言うと、創作上の嘘は嘘ではなく、謳い上げたい情景をより効果的にするために、いかに実際に晴れ渡っていようが、ここは雨が降らねばならないのだ、というごとき。
いささか脇道に逸れましたが、ゴン太さんにはお歌がそのまま現実ではない、ということを理解していただければ、と思います。
>「一国の神話や伝説は、正確な史実ではないかもしれませんが、不思議とその民族を象徴します。」と仰って、倭建御子と弟橘比売命の物語をとりあげていらっしゃいました。「いけにえ」という酷い運命を進んで受け入れた弟橘比売の悲しい美しさを学ばれた…、今手元に「橋をかける」の現物がないので、言葉は正確ではないかもしれませんが、「愛と犠牲」その2つのものがむしろひとつに感じられた、と表現されていました。すなわち「自己犠牲」、利他の精神こそが日本人の崇高な精神性だと仰られているようにも感じられたのです。
この件(くだり)は、わたくしも拝読しましたが、わたくしが感じたのはカトリック的
sacrificeであり、つまり宗教的生贄(いけにえ)、自己犠牲といった皇后陛下の感性でした。ジョルジュ・バタイユのいう宗教儀礼としての供犠。
ああ、皇后陛下は神道のお方ではあらせられず、生まれついてのカトリック教徒なのだなあ、という感慨でした。失語症(とされた症状)から立ち直られた時、皇后陛下の第一声が「もう大丈夫、私はピュリファイ(purify浄化)されました 」 であったことに、感じた素朴な違和感と共通します。
弟橘媛の逸話も、皇后陛下のフィルターを通すとカトリックのsacrificeに転化するのだなあ、というのがわたくしの当時の感想であり、微妙な違和感でもありました。
皇后陛下は続けてこうもお書きです。
「いけにえ」という酷(むご)い運命を,進んで自らに受け入れながら,恐らくはこれまでの人生で,最も愛と感謝に満たされた瞬間の思い出を歌っていることに,感銘という以上に,強い衝撃を受けました。はっきりとした言葉にならないまでも,愛と犠牲という二つのものが,私の中で最も近いものとして,むしろ一つのものとして感じられた,不思議な経験であったと思います。
この物語は,その美しさの故に私を深くひきつけましたが,同時に,説明のつかない不安感で威圧するものでもありました。
引用は宮内庁HPより。http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/ibby/koen-h10sk-newdelhi.html
ここまで読めば、ゴン太さんもお解りでしょう?
英霊は「いけにえ」などではありません。そう捉える思想もあるでしょうが、ゴン太さんが皇后陛下のこの記述をもって、英霊へのお気持ちと捉えるには無理があります。
ゴン太さんは、こうであるという皇后陛下や天皇陛下ではなく「こうあって頂きたい。こうで、あらまほしい」という願望で、事実に美しいベールをおかけになっているのかもしれません。
わたくしも、脚本家であり小説家なのでいいかげん夢想家でもありますが、その反面お相手が誰によらず、人の本性をズケズケと観察するリアリストでもあります。
それはともかく、「不安感で威圧」という言葉を用いられていることからも解るように、皇后陛下のこの一文が特攻隊の皆さまを指すものではないことが、お解りでしょう?
指すものであれば、なんで「A級戦犯」などという言葉を用いられましょうや。
>まだ、他にも自分が根拠と思っているエピソードはあるのですが
お気持ちがあれば、どうぞお書きください。
お答えします。
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