最近、ドラマのエンディング他で人物が踊るのが流行っています。
昨夜は、とんでもなく早い時間に寝てしまい目が覚めたのが2時近く。
テレビつけたらNHKでドラマをやっていて、仲良しの村川絵梨ちゃんも
出ていて楽しいドラマのようでしたが(何しろ連ドラのわずか1回分、それも
途中からなので)、番組終わりにここでも出演者が歌い、軽い振りですが
踊るのです。
時代の流れなのでしょうね。
インド映画はとにかく意味もなく唐突に踊り始め、それも群舞が多いのですが、
最近の日本のドラマにおける踊りは、インド映画とはテイストが違うようです。
それで思い出したのですが、以前《夏休みのサンタさん》という2時間ドラマを、民放にはおそらく空前絶後の、CM無しで書いたことがあります。当時の明治生命からのありがたい申し出であり、ドラマじたいを明治生命のメッセージとしたい、というような志であり、今だと考えられないですね。
主演の渡哲也さんに、ドラマ中踊って頂きたく、私はそのためにわざわざ
執筆前に渡さんにお会いして「踊ってください」とお願いしたのです。
渡さんは虚をつかれたような顔をなさってましたが、承諾してくださり
私はいそいそとオリジナル脚本を執筆したのでした。
ところが撮影中の監督から、ある日電話があり、
「振り付けまで用意していたのですが、現場で渡さんが踊れないとおっしゃって・・・・」
と、おそらくはそれまでの渡さんのイメージにやはりこだわられたのでしょう。
子役との歌とダンスのシーンには私も入れ込んでいて、作曲家がつけてくれた
メロディ先にありきで(曲先きょくせん、といいます)私が歌詞をその
メロディに付ける作業までしていたのでした。
渡さんは結局、その作品で「今までの渡哲也にはない新機軸の演技」ということで某賞の主演男優賞を獲得。視聴率も21%と破格によく、私のもとへも
局からお礼の大きな胡蝶蘭の鉢が届いて、めでたしの結果ではありましたが、
渡さんが子役の男の子と踊ってくださっていれば、もっと渡さんの新機軸を
打ち出せたのに、とそれが心残りです。
私が既存の大スターさんに書く時は、「僅かでもその人の持つ新しい面を引き出す」ことを心がけているので、渡さんへの評価「新機軸の演技」は我がことのように嬉しかったのです。
「夏休みのサンタさん」は小説化も私が自身で手がけ
角川書店さんから出してもらい、文章の一節が高校の入試問題として
出題され、今でも「いちばん太鼓」の小説版の一節とともに、国語の入試問題集の定番となっています。
ドラマは2001年の製作で、その頃ドラマの中で人物が踊るということは
ありませんでした。感覚的に時代の流れみたいなのを読み取るのは
私は早いほうかもしれません。ただ、は や す ぎ る傾向あり。
なので、私は自分の感性の「もっとも先端的に尖った部分」はいつの頃からか
作品には採用しなくなりました。5年後か10年後にちょうどいいらしい、ということが解って来たからです。だから感性でいえば、7割程度に抑えていい塩梅のようです。
しかし、新たに手がけるかもしれないドラマでは、あれもこれもと「新機軸」を
考えてしまいます。野放図に想像力を広げ、それから抑える作業が必要かも
しれません。
感性をみずみずしく保たねば、ということで以前は少女向きコミックを読んでは
中学生同士のラブストーリーにちゃんと感情移入出来ることに
安心していたのですが、最近は怠り気味。
映画で若者用ラブストーリーが封切られるので、若者の「生存のリズム感」のようなものをつかみたいのと、若者用語を蒐集に出かけようと思っています。
今後は、少しマメにそういうことを行わないと。今でも若者言葉と、生活感みたいなものはまず、大丈夫なのですが、放っておくと錆びつきそうなので。
元々、私の中には幼児から少女老爺、さまざまな年齢性別のキャラクターが、棲みついています。だから脚本家でいられます。
昨今流行りの劇画調のたとえば刑事物他、年齢や男女の生理の差から来る描写の書き分けなどさして必要ありませんが、私は文芸的な物が多かったので、自分の中にある多様な要素がとても、ありがたかったのです。
よい1日をお過ごし遊ばしますように。
追記
昨日、カフェでの打ち合わせに着ていった夏着物です。
長襦袢の紫の襟をポイントにしたかったのですが、ピンを使わなかったので
余り見えてませんね。
誤変換他、後ほど推敲致します。