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「同窓会」誕生のきっかけ

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アナウンサーが出産したとか、誰が不倫したとか・・・・・
どうでもいいのになぁ・・・・と思うのですが、関心が高いのでしょうか。

斉藤由貴さんは私とは感性の合う女優さんで、脚本の読みも鋭く正確、
ありがたく得難い女優さんです。

良くも悪しくも伝説のドラマとなった「同窓会」は、最初からああいうドラマを書く気でいたわけではありません。

内実を申せば、局からオファーを受けた条件が2つ。
斎藤さんを主演にすること。タイトルは「同窓会」であること。

困惑しました。

2つの条件共に困惑しました。

当時斎藤さんは、今回のようなゴシップの渦中にありそういう方を
ヒロインとして書く、ということは作家にとっては至難なのです。
美しく描くほど、視聴者の失笑が耳に届くに決まっていますから。

そして「同窓会」とはまた、なんという地味なタイトル。

後年その理由を聞いてへたったのですが、単に電通のその年の予測として
「同窓会」がブームになるから、という局の上層部の方の判断だったそうです。

その時はなぜ「同窓会」なのか知らず、わけも訊かず、困惑したまま
さてどうするか・・・・・と考えあぐね、出した結論が斎藤さんに「汚し」を
かけて、アンチヒーローとして提示、その上「被害者」として出すしかないなぁと。

それで、ああいう内容になったのです。

1回目はおっかなびっくりで書いたのですが、当時はシーンを撮り上がるつど生田スタジオからバイク便でビデオが届いていて、それを深夜に見た私は絶句したのでした。

おっかなびっくりで書いたシーンを役者たちがごまかさず、真っ向から受け止め
真摯に演じていてくれたからです。

これはこちらも、逃げるわけにはいかないな・・・・とビデオを再生するテレビの前で背筋を伸ばし正座したのでした。

一話目がオンエアされると、世の中が動きました。その波動が伝わって来るのです。ヒット作というのはこういうものか、と思ったのですが・・・・
ただ、「外科医有森冴子」もヒット作でしたが、世の中の細胞がざわざわうごめいているような、そんな感覚は初めてでした。

海賊版が出回り、台湾からアメリカのアリゾナの田舎にまで行き渡り、アメリカからは世田谷の自宅に大学教授が論文執筆のために訪れ、東大では上野千鶴子教授のもと、セミナーが開かれました。

今思うと掟破りで、ルールとしてやってはならないことですが盟友であった高嶋政宏くんのところに、プロデューサーよりまず最初に当時は手書きであった原稿をFAXで送り、彼は床にしゃがみこんで次々に届く原稿に読みふけっていた・・・とそういう俳優と作家との緊密さがベースにあっての作品です。

皆、熱く尖っていました。

その余波で、私はロケ先の宿屋で斉藤由貴ちゃん(当時はちゃん付けだった)を泣かせてしまったことがあります。今思うと私も尖りすぎていて、悪かったなあと思うのですが、毎日馬上で血刀を振り上げ突進していたようなテンションにあったので、平衡感覚を失っていたと思います。

後年、別作品で再会した時はお互いそこには触れず、ただなつかしく手を取り合い、そして斎藤さんは相変わらず感性鋭く演出家よりも脚本の読みが正確なのでした。

当時のプロデューサーの方と電話で話しているとき「由貴ちゃんが再ブレイクしてまして」とうかがい、「おお、そりゃよかったですねー!」と喜んでいた矢先の今回の報道でした。

ことの真相は解らないのですが、乗り切って頂きたいと願っています。

渡辺謙さんも新人の頃にお付き合いがあるのですが、ああいうふうだし、いつから俳優が世間一般の道徳性を要求されるようになったのでしょうね。社会の規格に当てはまらない、ある種の落ちこぼれ集団が芸能の世界なのに。

昨日は終日、新しいドラマのシノプシス(あらすじ)を書くことに、没頭していました。いったん組み上げていた物語を解体、再構築しなければならないことは述べましたが、シノプシスはそれを元にキャスティング交渉が行われ、企画が通るかどうかが決まるので、ゆるがせには出来ません。

昔は、井沢満が書くということだけで企画は通り、役者は参集していたのですが、時代は移ろいました。

それにしても、今にして思えば「同窓会」というシンプルなタイトルを悪いとは思っていません。話の仕組みが派手だったし。人の脳裏にもいまだ残っています。

昨今の長いタイトルと対照的です。と言いつつ、私が考えているドラマのタイトルも長いのですが、これも時代の流れでしょう。

そして流れといえば、連ドラだと言えば俳優が喜んで出演するという時代も去りました。作家性より、企画とスター重視に時代がシフトしたので、結果が悪ければ主役のせいだという部分が大きくなり、連ドラだとその転倒の仕方が大きいのです。低視聴率を引きずりながら、最終話まで演じるしんどさ。その後の仕事にも影響する低数字、と俳優には怖い連ドラとなってしまいました。

昔は作家が負う部分が多かったのです。コケれば作家がかなり、責任を負いました。でもだからこそ、ドラマにおける作家が占める部分が大きく、局や世の中からの遇され方など、今の作家さんたちには想像の埒外でしょう。

記者発表のときには、私のために会場のホテルの一室が用意されていました。会見場に赴く、わずか10分間の待ちのためにだけです。
黒塗りの車での送迎は当たり前で、車が到着する頃には建物の前に製作の方々が立ってお待ちでした。

そして翌日のスポーツ紙の見出しは、スターではなく井沢満です。
「視聴率の神様、井沢満新作発表!!」とでかでかと。

そんな時代を知る、私が最後の現役作家(の一人)です。

私の先輩格である倉本聰さんや、山田太一さんがまだお書きですものね。
私よりなお、作家の華やかな時代をご存知です。

「いい気になるなよ、こんなことは永久には続かないのだから」と自戒していたのですが、ジャニーズ事務所のメリーさんに「わがままん」と呼ばれるほど、いつしか傍若無人になっていたようで、いまだ伝説が業界に根強く残り、私の耳にも届き、忸怩たる思いを味わっています。

今は、心を込めて黙々と書き続けるだけです。

 


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