広島の原爆記念日が自分の誕生日と重なり、報道される今年で第何回目の原爆記念日というのが、そのまま自分の重ねていく年齢です。
御巣鷹山の墜落事故から32年目と聞くと、私が初めて朝のテレビ小説「いちばん太鼓」を書いてから、ああもう32年も経つのかと感慨にふけるのです。
ニュースを聞いた時脳裏をよぎったのは、「いちばん太鼓」の出演陣が乗っていないか、という不安で、というのも制作局が大阪NHKであり、役者の多くが東京、大阪間を往復していたからです。
私もまた、乗り合わせていた可能性があります。
事故を受けて、「いちばん太鼓」のタイトルバックが、山間部の空撮だったのですが“事故を想起させる”という理由で、他に差し替えられました。
「いちばん太鼓」は小説も書き、その文章の中の一節が高校の入試問題となり、問題集にしじゅう修められています。
2度目のテレビ小説が、「青春家族」でこれは昭和が平成と改まって初のテレビ小説だったので、こちらも私には節目になっています。無名時代のSMAPゴロちゃんが、出ていました。
3度目のテレビ小説「君の名は」(アニメとは別作品)は、無名だった鈴木京香さんをスターとして世に送り出したことに加え私自身が長丁場で体調を壊し「井沢満緊急入院!!」として、スポーツ紙の見出しになったり、ワイドショーのネタになったことで、こちらは負の節目です。
負も経ての現在の自分なので、必ずしも負ではないのですが。
末尾になりましたが、御巣鷹山の犠牲者の皆様のご冥福を祈らせて頂きます。
32年経っても、いまだご遺族のお悲しみ、いかばかりかと忍ばれます。
誤変換他、後ほど推敲致します。