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自民・長島忠美衆院議員が死去 旧山古志村の村長8/19(土) 8:23配信 産経新聞
自民党の長島忠美(ながしま・ただよし)衆院議員(新潟5区)が18日夜、新潟県長岡市内の病院で死去した。党関係者が19日、明らかにした。66歳。新潟県出身。今月15日に体調不良を訴え、入院していた。
平成16年の新潟県中越地震では、旧山古志村(現長岡市)の村長として住民避難をはじめ地震からの復旧・復興の陣頭指揮にあたった。その手腕に着目した小泉純一郎首相(当時)から国政転出を要請され、17年の衆院選で自民党公認候補として比例代表北陸信越ブロックから出馬し、初当選。24年の衆院選で新潟5区にくら替えした。連続4期当選。
24年12月に発足した第2次安倍内閣で農林水産兼復興政務官に就任。26年9月から約2年間、復興副大臣を務めた。
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長島忠美氏に、私をご紹介くださったのは自由民主党政務調査会調査役の、田村重信氏でした。
田村氏を介して、長島忠美氏から山古志村での講演依頼があり、田村氏の付き添いで村を訪れたのでした。
『花嫁の父』で山古志村を舞台にしたのがご縁です。
カメラを担いだMBSの取材班、それから小説版花嫁の父『ゆきの、おと』を出版して頂いた講談社の編集部の人たちと山古志村に集合して、一同で長島家でお昼ごはんを頂いたのですが、そのお米と山菜の美味しさに絶句しました。
おそらく山古志村は自給率100%に近いエリアだったと思います。 震災の爪痕は、そこここに残っていましたが村民の方たちは明るく、私の講演にも大勢児童たちとともに集まってくださいました。
学校は、新築木造でありその何ともいえない贅沢さ。木のぬくもり。
後に、長島氏に招待されて議員会館など初めて訪れ、またパーティにも招いて頂き言葉は交わしていませんが安倍総理が目の前にいらっしゃり政治に無縁で来た私には、目覚ましい体験でした。
大島理森氏から「私を悪代官役で使ってくださいよ」と売り込みを受けたのもこのパーティの場でした。一見怖いお顔をなさっていますが、大島氏は悪代官を演じるには品が良すぎます。
『花嫁の父』のポスターは自民党の党本部に貼られ、また明治神宮至誠館に飾って頂き、破格の待遇をあちこちで受けた作品でした。
小説版『花嫁の父』である「ゆきの、おと」は、ヒゲの隊長こと佐藤正久・現自由民主党筆頭副幹事長とやはりこの方も元航空自衛官でいらっしゃる宇都隆史参議院外交防衛委員長が宣伝マンを務めてくださるという思いもかけない成り行きでした。
村井 嘉浩宮城県知事とご縁を結んだのは『母。わが子へ』です。こちらもどういうご縁か自衛官の出身でいらして、かねがね好感を抱いている知事さんだったので、嬉しく思いました。
というわけで、2作品をご縁に私はお思いもよらない政治の世界の人々にご縁を結んで頂いたのでした。(思えば、浅野史郎元宮城県知事とは「バンキシャ!」のコメンテーター仲間で、ご一緒に食事などしたこともありました。こちらは出演の方のご縁ですね)。
長くなりましたが、そんなご縁の中のお一人が長島忠美氏でいらっしゃいました。
お宅でお昼を頂きながら、子供時代にカブトムシを捕りに行った話など、うかがったのでした。それから、震災の後の牛たちを退避させるのが、いかに困難であったか、など。
思えば懐かしい、山越の山々です。
劇中橋爪功さんのセリフに書きましたが、「何百何千と羽をきらめかせながら山間に飛ぶトンボの群れ」は、私が山古志で目撃した情景です。
長島忠美氏のご逝去の報に接し、衷心なる哀悼の意を表明させて頂きます。
ありがとうございました。
誤変換他、後ほど推敲致します。