彼岸花というより、曼珠沙華と書くほうがあの花の寂しげな
華やかさにそぐわしいかもしれません。
所用あり九段下に赴いたその帰るさ、ふと思いつき北の丸公園に
足を踏み入れました。
散策するほどの時間はないけれどつかの間でも
緑の息吹を浴び、土を踏みしめたくて。
お堀の水に向かって雪崩れ落ちる急斜面には土から吹き上げる
炎(ほむら)のように、曼珠沙華の群生がありました。
アキアカネが、飛んでいました。
北朝鮮がまたミサイルをこれみよがしに撃ち、しかし私は
嘘も隠しもなく、いつでもどうぞ、という心持ち。
どのみち、今日一日の命なのです。いえ、私のみならず
誰もそう、さっき生まれたばかりの赤ん坊さえも。
明日の、いや数秒後の命の保証さえないのがこの世ならば。
と、思い定められるのも私の年齢の恵み、これから生き抜こうとする
命には過酷な現実でしょう。
どのような制裁を加えようと、北が核を手放すことはなく
アメリカでは、いっそ北朝鮮の核を容認して、それなりの
国防に励もうという意見も出始めているようです。
となれば、日本など核に対してはもはや無防備。
遅きに失した感は否み難くありますが、核保有の是非を真剣に
論議すべき時期に差し掛かりました。
私などが昔、教わった時には、この地球を7回半壊すほどの核を
人類は所有してしまったと。
今はもっとでしょう。
人類は愚昧です。
その愚昧さの中で生き延びねばならぬなら、核保有という愚昧を
身を守る手段として保持せねばならぬ、そんな逆説的な
平和論の中に、私たちは生きています。
媼(おうな)にもひと刷毛の紅(べに)曼珠沙華 愚満
俳句も和歌も下手っぴなんですが。
誤変換他、後ほど推敲致します。