この日本の常に灯台であり、堡塁であり続けてきた「日本会議」が二十周年記念を迎えるそうで、その機関誌「日本の息吹」を送って頂きました。
その巻頭言がここ数年、私淑させて頂いている東北大学田中秀道先生の「聖徳太子の復活」という一文が掲げてありました。
「日出づる処の天子、書を日没する 処の天子に致す、恙なきや」
日が昇るところの天使が書を日の沈むところの天子に届けます。お変わりありませんか。云々」
この「日の沈むところの」という言葉に煬帝は「蛮夷の書」として激昂するわけですが、わたくしたち日本人もまた、これは中国侮蔑の言葉であったと捉えているようです。そうではない、と解くのが田中秀道先生です。
「日が昇るところ」は太陽の神、つまり天照大御神の国から日の沈むところ、西方浄土の仏のおわす国、隋に送るという意味である、と。
それはこの言葉の前に、「海の西の菩薩のような天子が手厚く仏法を交流させていると聞きました」と、煬帝を菩薩として讃えていることで解るわけです。
思えば、聖徳太子が日が昇る優れた国から、日が沈む劣った国へ、など無礼なことを仰るわけもないですね。
聖徳太子は言わずもがな第33代天皇である推古天皇の摂政でした。(諸説ありますが、田中先生の論に拠ります)
摂政とは天皇が幼いとか、種々の理由により変わって政務を執り行う人のことです。
似た役職に関白がありますが、摂政との違いは最終的な決済者は天皇にある点です。
関白として隆盛を極めたのが藤原道長です。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
この世で自分の思うようにならないことはない、とまで歌った権勢は天皇をも動かす力を持っていたのかもしれませんね。
この藤原氏を理想となさったお方が、現代にいるような気がします。小和田恒氏です・・・と言ってはどこぞよりお叱りを蒙るでしょうか・・・。
ところで推古天皇は、日本ではじめての女帝でした。
この女帝の存在をもって「男女同権」の見地から女性天皇擁立を主張する人たちがいますが男系で連綿と繋いできた「万世一系」と女性天皇擁立とはなんの関係もありません。
天皇とはすなわち男子であり、男子でなければ天照大神から始まる神の系譜が成り立ちません。
女性天皇はいわば、場繋ぎ的臨時措置に過ぎません。
また祭祀王は元来、男性です。女性に神事はその肉体的条件から基本的に不向きです。(臨時措置としての”女性”天皇と、万世一系で連なるDNA上の系譜に反する”女系”とは別存在です)
女性である推古は即位すると西暦593年に、自分の娘婿でもあり、甥でもある聖徳太子を摂政として任命、政治を任せました。
女帝であったり、頂点に立つものが子供である場合に、その役割を代行するのが摂政です。
この摂政制度は現在も生きているのですが、今上陛下は摂政を用いず「生前退位」の道を選ばれ、これについては錚々たる保守の方々からも異議が噴出したことは、未だ記憶に新しいところですね。
もう決まったことで、今更論議の対象にもなりはしませんが生前退位と恒久法とせず、特措法としたことが安倍内閣の精一杯の抗議といってはニュアンスが強すぎるかもしれませんが「防波堤」だったのでしょう。
天皇陛下は生涯、その座にあらまほしいと、わたくしもそのように思います。お疲れであるとか、自由を差し上げたいとか言う意見を散見しますが、それは摂政をお立てになることでしのげます。
北がミサイルを飛ばしているこの時期に、朝鮮にゆかりの高麗神社ご参拝なさったことに関して論が分かれているようですが、韓国側が早速(当然のことながら)宣伝に利用しているところを見ると、とりわけこんな時節柄いかがなものであったか、という意見は当然出るでしょう。
文在寅(ムン・ジェイン)政権が北へ9億円相当の援助を決めたことからも解るように、しょせん南北は同民族なのですから。
誤変換他、後ほど推敲致します。