Quantcast
Channel: 井沢満ブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1913

「あなたに褒められたくて」

$
0
0

毎日新聞に寄せた書物の短評である。

掲載済みだとのことなので、転載する。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

高倉健著『あなたに褒められたくて』(集英社)を今頃読んだ。      

こんな大俳優の主演映画のオファーを、にべもなく断ったことがある。しかも新人の頃である。健さんが気に入られたのか、私の書いたテレビ・ドラマを見ての注文だったらしいが、健さんが映画を撮っているロケ地に来てくれと言われ、人に物を頼むのに、出て来いはないだろうよと、ツムジを曲げたのである。若く、素敵に愚かで傲慢だった。

健さんの良さを全く知らずにもいた。任侠映画全盛期の七十年代前後。大学生であった私は、安保闘争にも無関心で、豪州を放浪中、当時が盛りであった健さんの任侠映画を見たことがなかった。私は「高倉健という時代」に乗りそびれた乗客であった。健さんに何を書けばいいのよ、「北」に「忍耐」に「男」かよ、つまんねー、とも思っていた。

著書の中、健さんは「とっても」という言葉を多用している。健さんにしては、柔らかな肌合いの表現である。思うに、最も女性的な女というのは歌舞伎の女形であり、最も男らしい男は宝塚の男役なのではないか。

 「らしさ」を計算で創造するという意味で、健さんは「男」を銀幕でストイック表現すると同時に、実生活でも男を演じ抜いた方なのかもしれぬ。

最近DVDで任侠ものを初めて見たが、萌えなかった。耐え抜いた男が、ついに白刃をひっ掴み寒風をついて、着流しで敵陣へと孤独に向かう。しかし現代の悪者はあんな分かりやすい顔をしてはいず、独りで闘える時代でもない。

 著書の中、ポルトガルの寒村で健さんは絵葉書を書く。「あなたのことをとっても思っています」と。だが絵葉書は出されない。なぜなら、それは具体的な誰かに宛てて書かれたわけではなく、絵葉書はトランクに入れられ、日本に持ち帰られやがて忘れ去られた。

この一行を読んだ刹那、私は恋に落ちていた。

今なら、健さん、私はあなたに最高の脚本を恋文として捧げられる。来いというなら、どこへでも。でも、どのロケ地を訪ねても、あなたはもういない。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1913

Trending Articles