ドルチェアンドガッバーナの女性物の売り出しに、男が列をなす時代に
それにしても、男物の着物が地味で遊びが少ないのを
かねがね残念なことに思っていたのだが・・・・
そうだ、いっそ長襦袢を目の覚めるような緋色か紫にして遊んで
みたらどうだろう、と思い立った。
むろん外から見えはせぬ。だが見えぬ羽織の裏地で遊ぶのが
和服の心意気である。ふとした瞬間に、紺や黒の着物の裾や
袖口から、ちらっと炎の色がこぼれ出るのも面白いかな、と。
聞けば、女ものの長襦袢生地で男物を仕立てる人たちはいるそうで
ある。もっともお女郎のような緋色や、紫をまとっている方がいるかどうかは知らない。
私が欲しいのは女ものではなく、目の覚めるような緋色か紫なのだ。
というわけで探すのだが、これが見つからぬ。
和服で困った時、相談をかける笹島式着付け教室の衣香、糸賀文音さんに
メールしてみたら、懇意の呉服屋さんで緋色をあっさり見つけて下さった。
が、呉服屋さんの話では「今はなかなか、ないでしょうね」とのこと。
紫はいずれ洋服の生地をあたってみたい。
以前、生家が遊郭を営んでいた方からうかがった話だが、
父上が情婦と蚊帳の中に寄り添っていて、父上が素裸に
ぞろりと、羽織っていたのが女の長襦袢だったそうで。
といって、私がそのての退廃(デガダン)をやりたいわけではなく、
傾いた(かぶいた)美意識を、ひっそりやってみたいだけの
ことである。
歌舞伎では男も、赤や紫などの原色をまとってきた国なのに、
日本の男たちの色彩感覚がくすんで来たのは、戦争を境になのだろうか。
イタリアのベルサーチなどはメンズも華やかで、私も、昔は
求めたことがあるが、和の華やかさではなく、けばけばしい、
と言ってはジャンニ・ベルサーチ氏に不当評価か、
たとえば南イタリアの白い強烈な日差しのもとで華やぐ色使いなのであって、
湿度高く、ほの闇の美意識を持つ日本の風土にはなじまない。
そういえば、お女郎さんのまとう赤も、蝋燭のチラチラする
火明(ほあかり)の中でこそ、さこそ艶めかしかったのであろう。
ということを、口の悪い友人に話したら、「年取ったら、赤いパンツをはくと元気が出るらしいよ」と嫌味を言ってくれたのであった。長襦袢なら、もっと元気横溢ってか。
私が死体になったら、経帷子の代わりに緋色の長襦袢を着せてくれ。
嘘。