緋色の長襦袢を誂えるついでに、紫も欲しいと思って探すのだが、
イメージにある鮮烈な紫というのが見つからず、ついでに
色彩の和名まで勉強して、近い色がないか調べたのだが、ない。
お坊さんの法衣があれほど、赤、黄色、紫と絢爛豪華なのに、
たった長襦袢、なぜ手に入らぬか、浅草の舞台衣装を商う店に
ないかと、未練がましく探しているうち、なんとAmazonで
イメージに近い絹の反物発見。しかも紫で売れないのか
大幅値引き。
コメント欄に、私の和服の画像を載せてくれと奇特なリクェストを頂いたので、
お目汚しだが、載せてみる。
憲政記念館の、尾崎記念団でお話させて頂いた時のもの。
こうくすんだ内側に、ひっそり緋色や紫を隠そうと目論んでいるのである。
自分だけしか知らない究極の自己満足だが、心に
華やぎをまとう心意気、というと綺麗すぎるか。
仕付けの糸を切ったり、埃を払って畳んだりを面倒なことに思ってきたが、
その一連の動作を含めての和服だと最近は思うようになって来た。
小さな儀式を要求する和服の面白さ。
裁断は単純至極なのに、こうも着付けに複雑な手順を要する衣服も
世界に類例がなかろうと思いながら、その煩雑さが最近では
貴重なことに思うようになった。文化とはそういうものであろう。
まとうに、丹田を意識しながら多少の気合を要する衣類も稀であろう。
私が不慣れなだけであるのかもしれないが、気合は大事にしたい。
畳や床が清められていることを要求するという意味でも、和服は特有であろう。
白足袋は足裏まで、きっぱりと白くあらまほしい。
成人式に着物があふれるのは嬉しい事である。靖国神社のみたま祭りには
若者男女の浴衣が行き交う。
内館牧子が、着物は陽にさらして虫干しすると昔言っていたのを
思い出して、何枚かを冬の陽と風にさらしてみた。
すると、誂えた時は安価であったのに、織り手がいなくなって
現在では200万円(300だったか?)ほどになっているという、単衣の着物(名称は忘れた、丹後何とかだったか?)の袖口が、ほころびて
いるのに気づいた。
単純なほころび程度なら、洋服のリフォーム屋でやってくれることを
最近発見したのだが、この着物は洗いがてら専門家にやって頂きたい。
蝉の羽の透けを思わせる面白い着物であり、こういう種類も世界に、ない。
時々覗く人形町のアンティークの和服屋に、職人さんが来て
修繕や洗いの見積もりを兼ねて、店に詰めてくれるのが2月の某日。
その時、他の洗いものと一緒に持参、相談してみようと思う。
イメージしていたより、大人しく地紋だが、このくらいが程がいいのかも
知れない。性格が極端を好むので、人生も山と谷がありがちな
私には、これでよいのだろう、と何となく思い始めた。