タイトルでお解りのように、今日はたまに書いている「信じようと信じまいと」の
お話です。
身の回り不思議な人がいるのは、わたくし自身が多少は変な人だから
なのでしょうが、木からメッセージを受け取ったり、カラスの「言葉」を
解する人などがいます。
最近、わたくし自身がコンタクトしたわけではないのですが、
「動物と会話の出来る」人を間接的に紹介してもらいました。
この世を去ったり、行方をくらましたペットと意識で接触、
彼らの思いや情報を得るのだそうで・・・・
一例を上げると、網戸の隙間から逃走して行方をくらませた
猫とコンタクトしたら、「赤ちゃんが尻尾を掴んで引っ張るので
この家にはいたくない」とレスポンスが来て、その家の人に
確かめたら、「そのとおりです」ということだったそうで。
その家の、赤ちゃんの行動が止むか、猫が安全に避難できる
「高い場所」をしつらえて、再び迎え入れる環境を整えねば
猫に戻って来る意志はないとか、なかなか好奇心を
そそられる話なのでした。
というのも、何度か書きましたがわたくしの亡き犬たちが
何度か、常識では説明のつかないしかし整合性のある
コンタクトを「あちら」からして来た、という経験があるからで、
無碍に「そんな、ばかな」とは、わたくしはならないのです。
コンタクトを試みても、頑なに心を閉ざし反応しない
動物たちもいるそうですが・・・
面白かったのは、蟻と通信を試みたが「蟻は交流できません」だそうで、
何となくこれは解ります。あるレベルの「魂」ないしは「意識」や
「感情」を有する存在でないとだめなのでしょう。
ゴキブリもたぶん、不可でしょう。
興味をそそられるお方であり、人づてに名刺を頂戴したので
いくつかお尋ねしたいこともあり、連絡を取ってみようか・・・と
考えているところです。
仕事のピークの頃、わたくしはその不摂生と相まって入退院を
繰り返す暮らしだったのですが、二匹いる犬のうち「上の子」が
去ったのを機に、見違えるように健康になったことがあり、
それは彼の氏を契機として、なぜかしら節制を心がけるようになり
そのためもあっての回復だったのでしょうが、しかし
上の子が「病気を引き受けて」去ってくれた、と感じるのです。
彼の「あちらからの」コンタクトは、もう随分以前のことで
現在では、絶えていますが、いまだわたくしとの
つながりは切れてはいません。
365日、彼らの存在を忘れているのは、2,3日もないかもしれません。
彼らは時に悲しみを伴わぬでもない「愛」の表象として、わたくしの
胸にあります。
心が刺々しくすさむ時、思い出すのは彼ら、というよりはわたくしの
彼らへの思いと、彼らが短い生涯に捧げ尽くしてくれた思いです。
それで、荒れ狂う心が凪ぐこともあります。
どこかのドンファン氏の覚醒剤による死は不可解で、しかし
想定できなくもない、ある種のわかり易さがあるのですが・・・・
その報道の中で最も引き寄せられたのは、そのドンファン氏の愛犬の
急死への心の痛みであり、何者かに盛られたとしか思えない
犬の急激な苦しみを伴う死なのです。死の間際、愛犬は
ドンファン氏をかきむしったそうで、よほど苦しかったのでしょう。
そのドンファン氏の生活ぶりに、なんの思い入れも持てませんが
しかし愛犬への哀切な喪失感と、そして愛犬の死に関しては、
心が寄って行きます。
事件の解明がなされますように。
ドンファン氏とその愛犬のご冥福を祈ります。
誤変換他、後ほど。