テレビをつけたら見知ったお顔が出ていた。
「きくち体操」の創始者、菊池和子先生だった。
いっとき、この方の自由が丘教室に通っていたことがある。
なぜきくち体操を知ったのか、やろうと思ったのか
記憶が定かではないのだが、おそらく懇意にしていただいていた
梅沢富美男夫人の明子さんの持ちビルの一室が
教室として使われていたのと、当時の住まいから
近かったからだと思う。
教室で困惑したのは、女性が多く着替えも難儀することで、
しかしそうこうするうち、明子さんから「うちの母が
菊池先生から個人レッスンを受けているので、よろしければご一緒に」と
いうことで、明子さんのお母様と一緒に、たった二人で
みっちりきくち体操を指導して頂くという、贅沢をさせて頂いた。
菊池先生を見かけたテレビは、梅沢富美男さんが仕切っていらして、
「くたばっていた、うちのババアが元気になった」と
言っていたのは、明子さんのお母様のことである。
余談だが、この明子さんという方は凄い方で私は何度聞いても
その莫大な金額を忘れてしまうのだが、ご実家の不動産業を
引き継がれた時物すさまじい借金があったそうで、しかし
それを完済されたのである。
といって、普段は穏やかな微笑を絶やさないたおやかなお方で「やり手」という、
雰囲気は微塵もない。
菊池先生で思い出すのは、私がテレビでインドにあるチベットの
亡命政府について語っているのをお聞きになり、ご自身も
心情を寄せている話題なので、聞き入ったと言ってくださったことだ。
祖国を追われた流浪の民の心情と状況は想像に余る。
インドのチベット亡命政府があるインド北部のダラムサラはデリーから小型機で
飛ぶ距離にあるが、訪れたことがある。そこの
チベット寺院で、チベット仏教の法要を見せていただいた。
世話役のペマ・ギャルポ氏の叔父(か伯父)さんであったように思うのだが、
ペマ氏はなぜだか背中を厳しく打ち叩かれ、しかし
嬉しそうだったのは、おそらく「喝」であったのだろう。
禅の警策を平手打ちで行った、というごとき。
亡命政府を訪れた時、ダライ・ラマ猊下はご不在だったが
日本で2度もお会いできたのは、ご縁であろう。
せっかくのきくち体操だったが、私が引っ越して自由が丘に
通うのは難儀になったので、止めてしまった。
先生に教わったことは、忘れず一生続けます、と
お別れする際にそう申し上げ、しばらくその言葉を
守っていたのだが・・・・・偶然見たテレビで、すっかり
体操にはご無沙汰していたことを思い出し、その日から
また始めたようなことである。
体操と言っても、メインは足の指に手の指を差し入れ
足首をまわす、というたぐいで激しい運動はない。
部分部分はベッドでも、椅子に腰掛けてでもやれる。
菊池先生は現在80歳を越していらっしゃるそうだが、立ち姿の
美しさは、おそらく日本一ではなかろうか。
仕事柄猫背になりがちな私は、あの姿勢には及ぶべくもないが
心がけたいと思う。
*警策 坐禅のとき、修行者の肩ないし背中を打つ棒。 警覚策励(けいかくさくれい)の略。曹洞宗では「きょうさく」、臨済宗では「けいさく」と読む。
誤変換他、後ほど。