Quantcast
Channel: 井沢満ブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1913

歌で学ぶ言葉

$
0
0

なにかのきっかけで、「雨に咲く花」という昔流行った歌を思い出し、
青江三奈さんや美空ひばりさん・・・など他の人達がカバー
した歌を聴きそれぞれが作曲家と作詞家の提示した世界観を
歌うのが興味深かったのですが、途中で歌詞が一箇所
人により違っているのに気づき・・・・
調べたら、とっくに話題になったことがあるのですね。

「窓に涙のセレナーデ」

「空に涙のセレナーデ」

で窓と空、一語ですが文字数の少ない歌詞の世界では
深みと情緒が、がらりと違うのです。

私は「窓」が正解だと思っています。

最初に出たレコードが「空」と歌っているので空だ、と結論づけする
人がいて、それがシンプルな答えかというといささかレコーディングの
現場を知っている立場で言わせて頂くと、その時の作詞家と
ディレクター、そして歌い手との力関係によるのですが、
井上ひろしさんが当時それほどの力を持っていたわけではないので、
ディレクターがここは「空」だとして、ひょいっと変えた
可能性があるのです。

想像の範疇でしかないので、これが事実かどうかは解りませんが
とりあえず、たまの作詞家としての私の感性から言わせていただけるなら
絶対に窓なのです。

というのは作詞家の生理として、意図的に用いる場合以外は
一曲中に同じ単語を重ねることは避けます。

「雨に咲く花」では「呼んでみたとて 遠い空」と
2コーラス目ですでに使われているので、3コーラス目で「空に涙のセレナーデ」
と「空」を重ねることは、作詞家の生理としてまずありません。

それに、「空に涙の セレナーデ」では、単に雨を表現しているだけで
タイトルで提示された雨を単純にリピートしているに過ぎません。
それに遠近法で言えば、空と空では幅がないのです。
「窓」と視線を下ろしたことで、窓を流れる水滴、かすかな雨音と
音までが添い、硝子に微かに映るこの歌のヒロイン、と情景が広がるのです。
空二つでは、ヒロインが空ばかり見上げて動きも単一です。
優れた作詞はカメラアングルを変えます。

1コーラス目がヒロインの心象風景

2コーラス目がヒロインが雨の戸外にいて、雨に打たれている花を見る

3そして室内でむせぶ

と、心の内側 ⇒ 雨降る戸外 ⇒ 室内 と構成もきれいです。

私のこの説が正しいという根拠はありません。ただ、一語でも
解釈がこうも違うということを述べてみたかったのです。

「空」をいつしか「窓」と歌い変えている歌手がいることが
私の説のいささか補強になるかもしれません。

作詞家が後から申し入れたのか、歌い手かディレクターの
感性で変更したのか、興味のある所ですが真相は解りません。
ただ「空」でしっくり納得できない人たちがいたことは
事実です。

八代亜紀さん、高橋真梨子 さん(したたるように色っぽい)、来生たかおさんの「雨に咲く花」を聴いてみましたが、八代さん、高橋さんが「窓」派でした。
台湾バージョンの歌手も字幕によると「窓」です。

それと「わたし」と歌うか「あたし」とするかでヒロイン像が微妙に変わります。
八代さんが「あたし」でした。皆さん当然だがうまい。
来生さんも女性歌手とは違う味わい。井上ひろしさんは男女の中間みたいな
歌い方です。

ヒットチャートの二位に駆け上った「夜に抱かれて」をN.Yの
スタジオにいた久保田利伸くんと電話で話し合っているとき
彼がどうしてもピッタリと来ない歌詞の部分があったのですが、
私がひょいと思いついて「禁じられぬままで⚫⚫⚫⚫恋は」と
いうところ、⚫の部分に「届かない」と入れ替えたら、久保田くん、
「やりましたね!」と納得した、とそんな経緯がありました。
私自身もあるべき箇所に、あるべき言葉が収まった快感がありました。


 「知りたくないの」の作詞家であるなかにし礼さんがお書きになっていて、
覚えているのですが「あなたの過去など知りたくないの」の「過去」が
歌の言葉として硬すぎる、と菅原洋一さんから意見が来たそうで、
どういうやり取りがあったかは知りませんが、当初の「過去」でいいのです。
この「過去」を他の言葉に置き換えたら、そもそも詞の世界観が
壊れます。

それに故意に、耳に抵抗感のある言葉を使うのも作詞家の芸のうちで、
「燃える思いをぶっつけたいの」と、これもなかにし礼さんが
書いていましたが、敢えて「ぶつけたいの」ではなく、それまで
歌には登場しなかった言葉「ぶっつけ」を用いたのだと。
聞き手の耳へのインパクトとして。

「知りたくないの」も、ぶっつけたいの(曲名失念)も、
大ヒットしたので、なかにしさんの読みのほうが正しかったわけです。

私は日本語を学ぶ方法として、文部省唱歌と大正・昭和の
歌謡曲の詞を渉猟するよう、薦めています。
いい言葉がたくさん、拾えます。

昨今は、詩であり得る詞が少なくなったように感じています。
「音」サウンド優先で、言葉が耳に残らない事が多いのです。
これは良いフレーズだな、と感心することもないではないのですが、
日本語としての深みと精錬度という意味では昭和です。

平成もじき御代が改まり、文字通り昭和はいよいよ遠くなります。
日本語がまだ生き残っていたのが、昭和でした。

 

補遺 ああ。私の感性で正しかったのかもしれません。井上ひろし版がオリジナルだと思いこんでいたのですがこの歌、昭和10年にすでに出来ていました。
そのまさしくオリジナル詞が「窓」になっていました。
それと実を言うと「あたし」は違うだろうと思っていたのですが、これも正解、
作詞者は「わたし」とひらがなで指定しています。

ただ八代さんは「あたし」で八代ワールドを歌い上げているので、それはそれで。

昭和10年の動画には、当事の世相も織り込まれていて独特です。

更に追記するなら、「空」派の来生さんが谷村新司さんと歌っている時は「窓」になっていました。実に面白い。自ら作詞を手がけ言葉に繊細なセンサーを持つ谷村さんの助言か?

しかし解ってみれば、作詞の言葉のチョイスが昭和初期です。

「及ばぬことと」「むせぶ」「儘になるなら」など。

映画の主題歌だったのですね・・・・・。ハモンドオルガンの哀切なメロディーが
後の「君の名は」につながります。(アニメではありません。取って替わられた印象ですが)

 

関種子-雨に咲く花、映画主題歌、昭和歌謡・カラオケ、オリジナル歌手、中国語の訳文&解說

 

 

誤変換他、後ほど。

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1913

Trending Articles