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フィクションと史実とのはざま

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清少納言と紫式部の女の物書きどうしの確執を描きたいと、昔から目論んでいると
述べたことに対しコメント欄に、仕えた相手が異なるのでお互い会うことはないのではないか、という意味のコメントを頂いたのだが(記憶がおぼろになっていて、文言は
定かではない)、むろん清少納言が仕えたのは藤原道隆の娘である定子、
紫式部の主人は藤原道長の娘である彰子であり、「職場」で
二人が顔を合わす可能性のないことは私も承知である。
だが、そこで引き下がる人は物書きにはなれない人なのである。

 

ということを枕に、後進にいささか伝えたいこともあるので営んでいるブログだが、
眼の前の諸事・諸問題にかまけ怠りがちなので、納言と式部を枕に
いささか物書きの楽屋うちをお見せしようかと思い立ったしだい。
やろうと思いつつ億劫さが先に立ち、今日になってしまった。

さて、物書き的感受性の持ち主とそうでない人の発想の差というものがある。
物書きという生来の嘘つきでない人は「史実がこうだから、それはあり得ない」
という発想でとどまる。が、物書きは「史実にない部分にこそ、つけ入る隙が
ある」と考える。

史実にこうと書かれたことは動かしようがないが「書かれていないことは、あり得る」
と物書きという嘘常習犯は考える。

紫式部が、清少納言についてその日記で「嫌な女!」と書き散らしているのは
史実。となれば、それを読んだ清少納言が、紫式部をどこぞで待ち構えていて
「枕草子」から伺える、あの端切れのいい機転の効く言葉を品よく浴びせる
シーンが浮かぶ。

紫式部も、反論の語彙は豊富、何しろ世界最古の長編小説をものした
女だから、うねうねと典雅な物言いでチクリと返す・・・・あるいは
待ち伏せなどという思いもよらぬ出来事に、蒼白になって立ち尽くし、
清少納言に「おーほほほほ」と白鳥麗子並みに高笑いされるか。

しかし、紫式部も一筋縄では行かぬ女、あの手この手で陰湿な仕返しを
した・・・という史実はどこにもないが、なかったという確証も
ないのである。

二人共下級役人の娘、そうそう生まれついてのおっとりした気質ではあるまいし、
その後の陰に陽に繰り広げられた(かもしれない)丁丁発止を想像して、いとをかし・・・
という言い草は違うけれど、視点の角度を変えれば女同士の
心理のぶつかりが、もののあわれと、こじつけられなくもない。

式部と納言、キャラが立って対比的なのも物書き心をくすぐるのである。
二人に加えて、恋のベテラン和泉式部も登場させ愛憎を、三重に
仕組む。

狂言回しに穏やかで慎ましい赤染衛門を出してもいい。物語的
興趣で言えば、実はこの赤染衛門こそが一番、エグい女で
式部の自らへの尊敬を利用、和泉式部と清少納言への悪感情を
焚き付けて、面白がりながら何食わぬ穏やかな常識人の
微笑みで女たち三つ巴の確執の外側にいる、という
構成もある。

何しろ、紫式部の清少納言と和泉式部への悪口といったら、男の
物書きはこうも同業をこきおろさない。

清少納言については、


清少納言こそしたり顔にいみじう侍りける人。
さばかりさかしだち、真名(まな)書きちらして侍るほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。
かく、人に異ならむと思ひ好める人は、かならず見劣りし、行く末うたてのみ侍れば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにも侍るべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよく侍らむ。

 

概略、現代口語訳してみれば、

清少納言って、得意顔でまぁお偉そうな女性なんですわね。
女性には珍しい漢字の書き手ではあるけれど、よく見りゃ
欠点ばっか。(その点、あたくしは・・・・w)
IQが高いふりで漢字を書き散らすけど(あたくしから見たら)
ちょー未熟。
この程度の女がさあ、人より優れてると思い込んでるって
どーなの、かえってみすぼらしいのよねえ。
風流ぶりながら、行く末はきっと寂しいもんだわよ。
どってことないものも、さも感動したふりでさ、その
不誠実さが透けて見えるのよね。こんな女、どーせ晩年は
悲惨よ、悪いけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こうも、悪口垂れるかと思うほど素敵にある意味ビッチ・・・・といおうか
女はいかに上つ方といえど、ビッチ虫の一匹は腹中に飼っているもの。
え、あの方? え、どの方。解らぬ。

紫式部のビッチ筆は、和泉式部にも及ぶ。

 

和泉式部といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。
されど、和泉はけしからぬかたこそあれ。
うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉の、
にほひも見え侍るめり。
歌は、いとをかしきこと。
もののおぼえ、歌のことわり、まことの歌よみざまにこそ侍らざめれ、
口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、目にとまるよみ添へ侍り。
それだに、人の詠みたらむ歌難じことわりゐたらむは、いでやさまで心は得じ、
口にいと歌も詠まるるなめりとぞ、見えたるすぢには侍るかし。
恥づかしげの歌詠みやとはおぼえ侍らず。

 

超現代語意訳

 

和泉式部ってさあ、チラ見したら結構ツイッターとか
ラインとかの文章が上手いしぃ。
けど、なーんかねえ。
メールなんかの文章は、センスはあるし気がきいてるかもしれないけどぉ。
古文を含めた文章なんか勉強してないしぃ。
(読んでもラノベかせいぜい村上春樹、谷崎・三島・鴎外なんて
読んでないんじゃない?)
感性だけで、さくっと書いたのなんかまあ悪くもないけど。
人の文章の批判するって、どーよ(あたくしなんか、その点・・・
批評はついこのように書いちゃうのだけど)
(赤染衛門さまなどと違って)このあたくしが尊敬できるような
歌の詠み手ではございませんわ。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

かなり意訳したがしかし、現代語に直してみると紫式部という人がいかに二人を
こき下ろしていたかが解かるし、言われた清少納言も紫式部の親族だと
思われる人の様子をこき下ろしているし、いや面白い。

だが書かれっぱなしで黙っていた和泉式部の心のうちこそ、暴風雨であったかもしれない。

あたくし、紫式部さんや清少納言さんみたいに人の悪口は書きませんことよ。
書けば、品の悪いレベルにあたくしまで堕ちちゃうから。
でも、ああぐやじい、あたくしが恋愛に恵まれてるからって
まあ、紫式部って言いたい放題、嫉妬かしら、文を書く
才能はあっても、男に恵まれてないしぃ、けどこの恨みいずれ晴らさずにおくべきや。

と、妄想の翼を広げるうち、そうだ光源氏のモデルとなった男が
瞳にほのかな紫を湛えたイエス・キリストの末裔である類まれなる
美青年であったらどうかな、とか。八戸にキリストがたどり着いた、
十字架に架けられたのは弟だったという伝説もあるしなあ。

とこれが作家という名の妄想族の楽屋なのである。

「史実にはないけれど、なかったという証拠もない」箇所がつけ目なのである。

昔電通から頼まれて吉原を舞台の時代小説を書いた時、考証でついてくれた
研究家の女性に、「女郎と貧しい簪職人が手に手を取って吉原の大門から
逃亡させたいのです」と言ったら「あり得ません、史実にもありません」
と、普通ならここで引き下がるが、私はそんなことはしない。物書きだから。
「不可能を可能とした時、フィクションの醍醐味が生まれるんです。
ない、とのっけからおっしゃらず、出来る道を考えてください」

で、それは小説上では可能になったのであった。それが絶対なかったとは
誰にも言えない。山田風太郎さんや夢枕獏さんが、得意な分野。
史実では会ったこともない人間同士が、しかし会ってないと断言できる
史実もない、から山田風太郎ワールドが生まれ、陰陽師がいたことは事実、
そして彼らがあやかしの術をスケール大きく使ってはいなかったという
確証はどこにもないからこその、獏ワールドなのである。

もっとも、紫式部と清少納言は女同士の凄まじい確執の果てに怨霊と
化して十二単で、夜空を飛び狂うのである。
最初は物書きの女(普通より女っぽく素敵に底意地悪く、素敵にいやらしい、
いい人に愛憎は書けぬ)どうしのあれこれに興味を抱いて考えているうち、
夜空を十二単の裾をひるがえして飛び交うそのシーンを私自身が見たくなり
書きたくなったのであった。松竹のプロデューサーにちらっと構想だけ
話したことがある。あれから、茫々と歳月が飛び去った。

物書きの楽屋裏、こんなふう。

ネタを盗られないうちに、これを証拠として保全しておく。・・・・
といって書くかどうか判らない。平安朝の風俗や衣装、宮廷の
決まりごとなど調べが厄介で・・・・そこらはいかに妄想とはいえ
ゆるがせに出来ぬ部分。空海・最長・泰範も同じ理由で
先延ばししている。何しろ密教の儀式次第から、法具に至るまで
調べの煩瑣なこと。

 

 

誤変換他、後ほど。


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