朝鮮学校無償化裁判に敗訴した人々が「日本が言葉を奪った」などとして、
日本に圧殺された韓国の歴史を正しく伝えようとする朝鮮学校を
認めないのはおかしい、援助すべきだ、と叫んでいるようだが、
まだこんなことを本気で信じ込んでいる人達、あるいは信じたふりを
している人たちがいることに驚いている。
日帝のあの時代に、言葉は奪われてはいない。
学校における教科書の採択は校長に任されていたが、
ある教科書は日本語とハングルとの併記であり、
それは歴然たる史料として、今も残っている。
当時の授業風景を写した写真には、チマチョゴリの教師が
ハングルを板書している。
「文化を奪った」なら、チマチョゴリじたいがありようもないだろうに。
「名前を奪われた」も定形の文言だが、創氏改名は自由意志であった。
元々、名前すら持っていなかった白丁という奴隷階級の人々を
李氏朝鮮の圧政から解放、命名の権利を与えたのは日本である。
日本軍で高官に上り詰め洪靖国神社に英霊としてお祀りされている思翊(ホン・サイク)氏はじめ二等兵に至るまで、朝鮮名で記録が残っている。
検証可能な、ごく単純な事実を誤認しての主張がどこまで続くか解らないのだが、それはたぶん延々と続くのだろう。
難儀なことだが、こちらも延々と冷静に反論を続けるしかない。
朝鮮学校は学校教育法上は各種学校であり、一条校ではなく、
したがって無償化の対象にはならない、
海外における日本人学校は無償化など一校たりともされてはいない、
という基礎中の基礎さえ、言い続けるしかないのであろう。
*食事会は、満杯になったようです。
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