昔、鎌倉に住んでいる頃、暮れの「第九」を聴きたくて
時間のない中、東京の会場に出かけたことがある。
ところが、給料のベースアップ闘争とかで指揮者、演奏者が
当夜の公演をボイコット。
指揮者は、険しい顔でタキシードで表の寒風の中、
佇んでいたので、ぎりぎりまで団体交渉していての
決裂で、中止は本当に突然であったのだろう。
遠路というほどでもないが、暮れの押し迫る中時間を
やりくりして馳せ参じた身には、演奏会会場前で
伝えられた「中止」はいささかこたえた。
今でも、その時の情景をくっきり思い出すぐらいだから。
東京へ向かう車中、脳裏にこうもあろうかと
鳴り響いていた交響曲が、ぷつりと途絶えた。
9千人を予定していた観客が7千人だからと、公演を
直前にキャンセルした歌い手さんの報道で
思い出したことだ。
その歌い手さんへの、批判ではない。
大きな星であり続けた人の矜持であろうし、
またファンの多くがもし納得しているのなら、
はたでとやかく言うこともないのだろう。
ただ1枚のチケットに託した一人ひとりの思いは
それぞれで、その1回の公演のために無理を押して遠路かけつけた
人もいるのだろうし、昔の自分の心情と重ね合わせてみると
気落ちしたその心の裡も解るので、余計なことを
書いた。
私個人のことを述べるなら、観客が一人でもやる。
ただ私が、その歌い手さんのように星であったことも
その誇りを抱いたこともないので、むろん同列に
並べるのは筋違いで、あくまでも自分なら
そうするというだけのことである。
拒否するのも心意気なら、やるのもきっと心意気。
暮れの第九は、中止に愕然としてから20年の後に、
別の会場で聴いた。しかし聴かずに終わった第九のほうが
強い思い出として残っている。
今年の年末もどこかで、第九が鳴り響くのだろうか。
第九と日本の年末とにいかなる関係があるのか
解らぬが、調べてはいない。