習近平主席と会ったかと思うと、今度は中国牽制のために
インドのモディ首相を別荘に招待して
安倍さん、軽業みたいな外交である(拍手している)。
以前、よんどころない事情でインドに渡ったとき、
事の成り行きで首相官邸でお会いしたことのある
当時の首相のお名前を思い出せずにいたのだが、
モディ首相の服装とお名前が起爆剤に
なったのか、パジパイ首相だと、ふいに
思い出した。
なんだか一人で喋っていらして、それが日本の離婚率の
高さであるとか、日本人がゴルフをやるお金でインドの子供たちが
これだけ救われるのに、とか聴かされ続け愉快ではなかったが、
反論する立場に私はなく、黙って床の大理石に視線を
落としていた。
(そんなに自国の子らが大事なら、床に大理石なんか使うんじゃねーよ、
この石1枚で、何人子らが食べられるんだよ。それにこの
絹張りの椅子は何だよ)
と内心で言い返していた。
離婚率の高さがいいこととは思わないが、逆にインドの女性が
家に縛り付けられていて、離婚もできぬのではないかなどとも
内心で呟いていた記憶。
インディラ・ガンジー首相の息子さんで、第9代首相である
ラジブ・ガンジー氏の邸宅にも、何だか流れでうかがった。
祖父はインドの初代首相を務めたジャワハルラール・ネルー氏である。
うかがった時は、暗殺でこの世の人ではなく、イタリア人である
夫人にお会いしたのだが、何だか無愛想な方で、しかし
夫の不幸な死をまだ胸に抱えていらしたのか、とこれは
今日ふと思ったことである。
お会いしたのが、さてもうどのくらい前のことなのか。
日本の政治にさえ興味がない頃で、ましてインドの
政治家のことなど知りもせず、興味もない頃である。
その時私は白い夏着物を着ていた、とつまらないことは
覚えている。
やたら、ボディチェックが厳しく、帰るまで鞄は
没収されたままであったこと、とか周囲の木々でさえずる
小鳥の声があたかも蝉しぐれのように盛んだったことなど
そういうどうでもいい細部は記憶に鮮やかなのに。
いや、ボディチェックは首相官邸であったか?
たぶんそうだ。日本の総理官邸(海部さんの時代だ)にお邪魔した時は
招待状を見せるだけで相当ゆるかった。
ジョージとファーストネームで呼ばれ親しまれているという国防大臣は素敵だった。
ジョージ・フェルナンデス国防大臣であったのだろうか。
関心のない時代はいいかげんである。
庭で開かれたティーパーティも首相主催だった記憶だが、
はてあれはどこの庭園であったのか。
国防大臣の執務室のデスクに広島の原爆写真が置かれているのを
見せて頂いたのたが、あれは国防への戒めであったのだろうか。
パジパイ首相は、核実験をその後強行なさったようだが
比較的高齢でお亡くなりになられたのだと、さっき
調べて知った。
ご冥福をお祈りするほどの間柄ではないけれど、
袖すり合うも多生の縁ではあろう。
「多生」は「多少」の変換ミスではない。多くの生、つまり
輪廻転生の間につかの間触れ合うのも、前世の縁だという
意味であろう。
袖すり合うも、は触り合うとも書く。「多生」は「他生」とも。