ロック嫌いの私がなぜ、クィーンの音楽だけはまっすぐ心に届くのか
考え続けていたのだが、畢竟彼らの教養から来る品のいい佇まいと
知性、美意識の裏打ちがあるからではないか、と思い至った。 いささか偏見の嫌いは認めるが、ロック=粗野=無教養という
思い込みが私にはある。 音楽的完成度で言えば、メンバー4人全てが作詞作曲が
できるだけの才能の集合体であること。 フレディ・マーキュリーの基礎唱法がオペラのそれであり、
野卑ではないこと。加えて4オクターブの声域。 先に述べたように、TEO TORIATTE(手をとりあって)という
日本語の歌詞が入る曲の、ヨナ抜きや津軽三味線の奏法を取り入れた
ギターも日本人である私の琴線に触れる。 教養で言うなら、ギターのブライアン・メイが天文学の博士号取得。 ドラムの金髪ブルーアイの美形、ロジャー・テイラーは読書家で、生物学の専攻。
ベースのジョンディーコンは電子工学科で、大学は首席で卒業。
さながら知識者集団というのは、過褒だろうか。
フレディに上記のごとき、突出した学歴はないが大学には行っていて、
陶芸、デザインなどに秀でグループの美意識領域の担当者だろう。
また語彙も知識も広範で、彼の作詞作曲による「ボヘミアン・ラプソディ」には
スカラムーシュ、セビリアなどのオペラ言語、ゾビスミッラー=「アッラーの名のもとに」というイスラム教の言葉まで使われている。 映画の中で、フレディは「ボヘミアン・ラプソディ」のリリースを渋る
プロデューサーにシェークスピアまで持ち出して迫り、見ているほうは
なぜ突然のシェークスピアかきょとんとするのだが、この天才の
脳裏には、さまざまな世界の言葉が多彩に明滅していたのであろう。
ガリレオ・ガリレイというイタリアの天文学者まで登場する。
そして、きれいな発音で日本語を歌い、聴覚も優れていたのであろう。
「TEO TORRIATTE(手をとりあって)」では、おそらく
多くの日本人が涙ぐむ。聴いていただきたい。 というわけで、いまだフレディ・マーキュリーとメンバーの
音楽が脳裏に住み着き、不意に鳴り響く。どうやら私は
幸せな病気にかかってしまったようである。
考え続けていたのだが、畢竟彼らの教養から来る品のいい佇まいと
知性、美意識の裏打ちがあるからではないか、と思い至った。 いささか偏見の嫌いは認めるが、ロック=粗野=無教養という
思い込みが私にはある。 音楽的完成度で言えば、メンバー4人全てが作詞作曲が
できるだけの才能の集合体であること。 フレディ・マーキュリーの基礎唱法がオペラのそれであり、
野卑ではないこと。加えて4オクターブの声域。 先に述べたように、TEO TORIATTE(手をとりあって)という
日本語の歌詞が入る曲の、ヨナ抜きや津軽三味線の奏法を取り入れた
ギターも日本人である私の琴線に触れる。 教養で言うなら、ギターのブライアン・メイが天文学の博士号取得。 ドラムの金髪ブルーアイの美形、ロジャー・テイラーは読書家で、生物学の専攻。
ベースのジョンディーコンは電子工学科で、大学は首席で卒業。
さながら知識者集団というのは、過褒だろうか。
フレディに上記のごとき、突出した学歴はないが大学には行っていて、
陶芸、デザインなどに秀でグループの美意識領域の担当者だろう。
また語彙も知識も広範で、彼の作詞作曲による「ボヘミアン・ラプソディ」には
スカラムーシュ、セビリアなどのオペラ言語、ゾビスミッラー=「アッラーの名のもとに」というイスラム教の言葉まで使われている。 映画の中で、フレディは「ボヘミアン・ラプソディ」のリリースを渋る
プロデューサーにシェークスピアまで持ち出して迫り、見ているほうは
なぜ突然のシェークスピアかきょとんとするのだが、この天才の
脳裏には、さまざまな世界の言葉が多彩に明滅していたのであろう。
ガリレオ・ガリレイというイタリアの天文学者まで登場する。
そして、きれいな発音で日本語を歌い、聴覚も優れていたのであろう。
「TEO TORRIATTE(手をとりあって)」では、おそらく
多くの日本人が涙ぐむ。聴いていただきたい。 というわけで、いまだフレディ・マーキュリーとメンバーの
音楽が脳裏に住み着き、不意に鳴り響く。どうやら私は
幸せな病気にかかってしまったようである。