ニューヨークに本拠地を置く、中国の舞踊団の公演を
見に出かけた。
チケットを予約したのが、昨年の11月頃であったか
それでも良席はもう残っていず、ステージからは遠い席だった。
それでオペラグラスを持参せねばと探したのだが、
これが見当たらない。
普段遣いのメガネさえちょいちょい見失う私だから
まして1年に1回使うか使わないかのオペラグラスなど
あるわけもない。
しかし、オペラグラスを使ってまで見入るほどの
舞台ではなかった。中国の人々の身体能力が
際立っていて、だから舞踊も、と多大の期待を持って
出かけたのだが、なんと言おうかマスゲームみたいなもので、
残念ながらアートではなかった。東洋のエキゾチシズムを
喜ぶ白人圏では喜ばれるのかもしれない。
東洋的な振り付けも単一で、まず当初、
これは期待はずれかなあ、と思ったのが衣装。
化繊じみてヘロヘロしたもので、色彩がチマチョゴリに
よく見られるあのてのけばけばしさで深みがないのだ。
歌舞伎の衣装と比べる気難しい観客もそういないだろうが。
それに化繊っぽい衣装は、回転して踊るときによく
翻りはする。それにしても、日本が古代より持つ色彩に対する
感性が現代にも生きているのかどうか、こころもとない。
フレディ・マーキュリーは日本の着物も愛好していたようだが、
どうぞ本物に巡り合っていて欲しいと思う。
美的感性の卓越した人なので、たぶん大丈夫だろうと思うが・・・
そう言えば歌舞伎の衣装を身にまとった写真を見たような気がする。
息を詰め身を乗り出すたぐいのステージではなかったが、
それでも感心したのは、背景をデジタル画像にして画面の中の
登場人物が、ステージのリアルな踊り手にすり替わる
タイミングが絶妙で、あたかもスクリーンから
抜け出し、またスクリーン内に戻って行くかのようだった。
これはかなりの技術。
なんでだか、また中国の踊りのチケットをまた
予約してある。『覇王別姫』(映画のそれではない)という
中国では習近平氏も心酔しているという女性ダンサーの
振り付けと演出による舞台であり、こちらには芸術性を
期待できそうな気がする。こちらは良席を押さえられたが
それでも端っこである。
帰りにロビーで黒柳徹子さんをお見かけして、『徹子の部屋』で
ある女優さんの回で私を話題に取り上げてくださったことがあり、
御本人にも二度ほどお会いしている。ご挨拶したほうが
いいかなあ、と思いつつ歩行器を使っていらっしゃり
お迎えの車に急いでいらしたようなので、ご遠慮した。
画面で拝見するよりお若く、しかしそれよりも歩行器に
頼りながらこういう公演を観にいらっしゃる好奇心が
素敵である。
公演の間に、白洲迅くんからメールが入っていて
しばらく地方に行っているが帰京したら
ご飯と飲みをやりましょうということになっている。
とりあえずジンジンと2人で日時を決め、それから「明日の君」の
役者さんたちに声をかけ、たまたま来られる人に来てもらおうか、
と思っている。それぞれがもう別の映画やドラマ、舞台に
散り散りになっているので、皆一緒には無理であろう。