「徹子の部屋」に里見浩太朗さんが出ていらして、
なつかしく拝見した。
「外科医 有森冴子」シリーズの一話に、ゲストで
お出まし願い、脚本を執筆する前に帝国ホテルの
ラウンジでお会いした。
新たに組むベテランの役者さんと組む場合は、その方の
既成のイメージから僅かでも外に出ることを考える。
私は、里見さんに少し「汚し」をかけたく
職業設定をボイラーマンにしようと目論んでいた。
ボイラーマンを「汚し」というのは不穏当だが、
裏方の仕事で、衣装も作業で汚れがちの、という意味である。
東映時代劇の表舞台で華々しかった方に、油で汚れた
作業服を着て頂きたかったのだ。
それを言ったら「体育の教師がいいです」と即答で、
私がいえ、ボイラーマンでぜひ、と粘らなかったのは
物語の必然としてボイラーマンがあったわけではなく、
里見さんには珍しい現代もので、それも市井に生きる
名もない庶民という役どころで十分、新しかった
からだ。
書く仕事を始めてから会うスターさんには平常心で
接するのだが、書き始める遥か以前から銀幕の
星として仰ぎ見ていた人たちに会うときは、いささかの
緊張が伴い、それは渡哲也さんにお目にかかった
時もそうだった。やはり帝国ホテルのラウンジである。
「今回、渡さんには歌いながら子供と一緒に踊って頂きたいです」
と申し上げたら、渡さんはちょっとびっくりした
顔をなさったが、「はい踊ります」という返事だった。
「夏休みのサンタさん」という作品で、子供絡みの
シーンが多かったのだ。子供の見る夢として
渡さんと子供の、ちょっとしたミュージカルを
脚本中に書き、作曲家に先にメロディーを書いてもらい、
後で、私が童謡的な詞をはめた。
ところが撮影当日、スタジオには振付師が待機していたのだが、
直前になって「踊れない」とおっしゃり、歌だけのシーンに
なった。それまで築き上げて来た渡哲也的イメージに対して
抵抗がおありになったのかもしれない。
それでもドラマそのものが渡さんがこれまで絶えてお演りになった
ことのない役柄で書いたので、渡さんは「新しい面を見せた」として
何かの賞を得られ、こちらとしては新基軸で書いた
甲斐があり視聴率も23%と上々だった。
小説を角川書店から出したのだが、その文章の一節が
高校の入試問題に採用され、これは事前には本人に知らされず、
事後承諾である。入試問題なので、当然のことだろう。
ただ、私が作詞して武満徹さんに曲をつけて頂いた
合唱曲「島へ」が高校の音楽の教科書に載った時も、当時の文科省から
だったか? 事後報告で、ちょっと割り切れなかった。
事前に許諾を求められたとしても、お断りはしないが、
おそらく誰も断ることはしない、ということを前提の
偉そうな(お役所文書を私がそう感じたに過ぎないが)
文面にひっかかったのだった。
NHKからの再放送依頼も、担当者によりけりだが事後承諾めいていて時々
カチンと来ることがある。一回偉そうな調子の電話に「許諾しません」と
言いかけたことがある。私に許可を得る前に放送日が
決まっていたからだ。しかし、ノーと言おうとして止めた。
作品には監督はじめとしたスタッフから音楽家から役者まで
100人もの人たちが関わっている。私の一存で
再び日の目を浴びる作品を埋もれさせることは出来ない。
という意味で、薬物を理由にお蔵入りになる作品に対して
複雑な思いがある。私の考えでは、観客が自らの意思で
お金を払って見る映画は無問題。テレビでオンエアされる
作品は嫌でも目に入って来るので、オンエア中止は
やむを得ず。ただ、事件を起こす以前の過去の作品群封印は
過度に過ぎるのではあるまいか。そう思っている。
DVD化された作品は、買うほうが承知で見るのだし。