ある方が、十七条の憲法について触れ
「和を以て貴しとなす」の「和」を「やわらぎ」と読んでいらして
目からうろこ。聖徳太子の十七条の憲法が初めて
腑に落ちたのだった。
思えば「憲法」という言葉が、耳にすんなり入って来ないのは
戦勝国による押しつけ憲法であるという以外に、言葉としての体温を帯びず
無機質、生硬であるからかもしれぬ。
「やわらぎ」と読むのに倣い「憲法」を本来の大和言葉に変換するなら
「いつくしき のりと」であり、日本人としての私の胸にすんなり来る。
現憲法の悪文の酷さ。中身もある部分は首肯しかねる。
「いつくしき」は「厳し」「美し」の連体形であるが、私は
十七条の憲法における「いつくしき」には厳かさと美しさの
双方の意味を与えたい。言い切らず曖昧模糊の霞のようにたゆたう
言語が本来の日本語であろう。
一語が指し示す対象を単一化して割り切った気でいるのは
西欧流の黒か白かの流儀ではないか。若者にありがちの
性急な決めつけである。その意味で、日本語は成熟している。
いや、昨今の日本語の貧相化からすれば「いた」、ともはや
過去形にすべきか。
大和言葉では「憲法」は「のりと」であるが、この「のりと」が祝詞を
奏上するというあの祝詞と同種の言葉であるのかどうか、不勉強で
知らぬのだが、「けんぽう」と発声するそれよりも、耳に馴染む。
「いつくしき のりと」には祈りがこもる。
十七条の憲法を本来の大和言葉で読みくだせば、
「一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん」
「忤(さか)ふること」とは「乱す」の謂であり、すなわち調和を宗(むね)となす、と いうことであろうか。偉そうに講釈を垂れているが、私のにわか勉強による 素朴な感想に過ぎない。
「睦(むつ)びて」の「睦(むつ」は、親しくすることであり、
夫婦が睦み合うというように使う。もはや死語に近いが、
夫婦や友人同士が仲良く親しむ、というより睦み合うが
しっくり来るように思われる。ニュアンスを説明するのが
困難だが、仲良く親しむという以上に彼我の隔てなく
両者渾然といつしか一体となっている境地に近い
のではあるまいか。
国を表すに、「国家」として「家」をその言葉に内包する
言葉を日本語の他に知らない。
日本語は分離をよしとせず、融和を好む。言霊の幸う国として
両手から溢れるほどの多彩な言葉を持ちながら、時として
文章が曖昧模糊と霞むのは、未熟な言語だからではなく
成熟の言語だからだ。
大和言葉こそ、本来の大和の民の精神風土への道標ではなかろうか。
と言って、大和言葉の復権をなどと言いはしない。
ただ、大和言葉に託された日本人の心映えを忘れないようにしたい、
と思うものだ。
西欧の基本精神は、対立概念で成り立っている。悪しき意味で
若いのだ。
日本語が時に主語が曖昧なのは、成熟した精神ゆえであると、
私は思う。若者には分かりづらい感性であるかも知れぬが、
しかし日本人の心根を探れば老若に関わりなく通底する感性ではなかろうか。
「目には目を。歯には歯を」という玄武岩に楔形文字で
打ち込まれたハンムラビ法典や旧約新約両聖書にある
言葉を過剰な罰を避けるための知恵として評価する向きもあるがしかし、
「報復律」「同害報復の法」であることに変わりはあるまい。
対立を前提にした法であろう。それと対象的に十七条の憲法が
ふわり、とある。
「やわらぎ」を精神的DNAに持ち続けているがゆえに、韓国や中国に
対してのみならず、対立軸前提の海外の思考と戦法にやられにやられて
来た日本人であるから、外交的戦略の場では、彼らと
同質の精神を持ち対峙せねばならぬのだが、しかし大和の心根は
失うことなく持ち続けていたい。
と言うは易く、時事問題にかまけていると心が
尖りがちな自らを省みる。猛り立った心を
和にそのつど引き戻したい。
世界の三大宗教がもたらしたのは、対立であり、それらは
もはや行き詰まった。ネイティブアメリカンの如き
古代の直き直感で感受した神道は対立軸を想定していない。
世界の精神世界の行き詰まりを打破するキーが、
古来の日本人の精神と感性にありはしないか。
三大宗教とは、仏教、キリスト教、イスラム教であり、これに
ヒンドゥを加えて四大宗教とされることもあるが、仏教の
源流はヒンドゥであると、インドに三回渡って学んだ
結果の、これは私的結論である。またインドでは仏教より
ヒンドゥが主流であるから仏教をヒンドゥに置き換えても
よいが、両者の根っこは同種であり、区分けは学術的な
便宜上の事に他ならず、それ以上の意味はない。
ちなみに私は神道を宗教とは捉えていない。
直感に秀でていた古代日本人の霊的インスピーレーションからなる
「精神」に形を与えたものが神道だと思っている。
「教」ではなく「道」なのだ。
間もなく「令和」となるが、この「和」を「やわらぎ」として
捉えれば、新元号も違う趣で受け取ることが出来る。
「令」は命令の令だなどと謗る人たちがいるが、むろん
令には、善きこと、美しきことという意味もあり、
わざわざネガティブなほうの意味であげつらう人たちは
単に、天皇の存在と不可分である元号使用が気に食わない
だけのことであろう。
万葉集から採ったと説明されれば、いや元は漢籍だ、
とわざわざ講釈したい人達がいる。学者なら
一言言いたいのは解かるが、さして意味あることとも思えぬ。
漢籍をこれまで用いて来たのは、一定の基準がなければ
元号の命名が放恣に広がりすぎ、収拾がつかなくなるからであり、
権威付けと方向性のための漢籍使用であったに過ぎない。
それが万葉集に変わっただけのこと、わざわざ反日国の
古典を典拠に仰ぐことももはやあるまい、という判断が
あったのかどうかは知らないが、大事なのはその元号を
採択する心根であり、命名の学術的由来を説くことではない。
「美しくやわらぐ」と大和の感性で新元号を迎えれば、
悪くもないではないか。「令和」の和はやわらぎと
して受け止めたい。
大事なのは元号それ自体ではなく元号に表象される天皇の
ありようであること、言うまでもない。
新たな御代が 名前負けに終わらぬことを祈りつつ。