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Channel: 井沢満ブログ
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大和言葉を用いたほうが良い言葉

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先の稿で十七条の憲法がもともとは、大和言葉で書かれていて、
憲法が「いつくしき のり」であることを述べ、
和を以て貴しとなす、の「和」は「やわらぎ」であり、
新元号の令和の和も「やわらぎ」と受け止めるのが
日本人の感性には添うのではないかと、書いた。
コメント欄にいただいたのだが、天皇は「すめらみこと」
皇太子は「ひつぎのみこ、日嗣の御子」と呼び習わすのが
そぐわしいのではないかと。
そのとおりだと思われる。
深入りすると、スメラとシュメールとの相関性などと
トンデモ論に突入しかねないが(その物語性を嫌いではなく、
頭ごなしに否定はしないほどの柔軟性は保っていたいが)、
いずれにせよ大和言葉を安易に漢語に変換すると、その言葉の
よって来たる源を見失う。わけても皇室内の言葉がそうであろう。
大和言葉の復権を願うわけではない、と書いたが
残しておきたい大和言葉がある、とそれを付記しておきたい。 わざわざ中国の音を用いずとも、時に訓読みの大和言葉で良いのではないか、

先稿には、浅学による不備もありじゃっかんだが
手を入れておいた。

堅苦しい話が続くので、たまに口走っている怪しげな話を少し。
金粉が時々、私や私と話している相手、時にバッグや衣類などに
降る、あるいは「湧く」。

これは私固有の現象ではなく、気功の教室や瞑想の場で
起きることが稀にある。私はそれがひんぱんで、バッグに
金粉ではなく金箔が張り付くこともある。

だからどうという話ではないが、物理的現象ではない。
何やら五感では感知できない世界と、時として
我々はリンクする、という言い方は出来るだろう。
金粉の現出がある時、精神状態も周囲の状況も
穏やかではあるので、悪いものではないだろう。

金粉が現れる身体の部位はその時々で異なるが
この3日間、続けざまに両の手の甲に微細な金の
粒がおびただしく浮かんでいる。

きっかけは、どうも聖ジャーメインに関する本を
読んで、(あ、そうか)と小さな気づきを
得た時によるようだ。あ、そうかと閃いた
瞬間、両手の甲にキラキラ無数に光っていたので。

と、らちもないことを書きつらねて和「なごみ」に精神を引き戻したところで
しかし韓国。ああ韓国。とんでもない言いがかりには
慣れっこだが、身障者差別は日韓併合時代の
日帝が持ち込んだ、とまであちらの教授に言われては
黙っているわけには行くまい。

そもそも「病身舞」という、ハンディを持つ人々の
動きを侮辱して嗤う踊りは、韓国の伝統芸であろうに。
以前、サンフランシスコの施設を取材したことが
あるので、日本がとりわけその分野に豊かな対応を
しているとは強弁しないが、disableな人々(身障という言葉には
障の文字が入るので避けよという主張に従って
英単語にしてみたのだが)を嘲笑って、それを
踊りに仕立てて、喜んで囃すというごとき心根は
韓国のもので、日本にはそこまで蔑む伝統はない。

韓国の伝統芸「病身舞」の他に、データを現代に拾えば、
過去40年間に海外へ養子に行った子供は13万8486人、
そのうち23%に当たる3万1239人がdisabled childrenだった。
(2006年1月の「中央日報米州版」による)
これを韓国内のdisabled childrenのパーセンテージに置き換えると
驚くべく相当数の子らが海外に養子として出されているらしい。

と、最小限反駁しておく。放ってくと更に虚言をエスカレート
させるのがあの国なので。

・・・・・とこの手の話題に触れる時は、金粉は現れない。
尖ってギザギザになった心をいったん脇に置き、
「やわらぎ」の精神状態にしばし立ち返りたいと思う。

 


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