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Channel: 井沢満ブログ
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香りを作る

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昔、香水作りに凝った事がつかの間あって、色んなブレンドを試して作っては

人に差し上げていたことがあった。

ふと思い出して、精油を取り寄せまたブレンドして遊んでみた。

世界で一番いい香りとされているのは、サンダルウッドと、イランイラン、ジャスミン(高い)の

混合と言われているが、これを作ってみた。

このブレンドは、マリリン・モンロー愛用シャネルの5番にも使われている。

化粧水も自分で作って遊んでいたことがある。

これは「ハンガリー水」といって、これも知る人ぞ知るだが、

中身は、ローズオットー(高価である)、スイートオレンジ、ペパーミント、レモン、ローズマリーである。

配分は、幾通りかあるようだが・・・・私が教わったのは以下の通り。(基礎講座だが

受けたことがある)

ローズマリー20 ローズオットー16 ペパーミント12 レモン6 スイートオレンジ6

無水エタノールに垂らして、精製水で希釈。1ヶ月寝かせてから使用可能。

自己流だが、たとえばオリーブオイルなどのオイルにこの5種の

精油を垂らしても良いと思う。

ローズマリーはまた、育毛のヘルプになるので、私の育毛剤は手作りである。

肌にいいものは髪にもいいと思うので(どうなのかw)本当に適当であるが、

「ハンガリー水」を実は化粧水として使わず、育毛剤というより‥‥‥‥・薄くないので・・・・

現状維持水として、そこに頭皮の血行を良くするセンブリのエッセンスを垂らして

使っている。思い出した時に使うくらいである。

あんまり凝ると、へたるので、いいかげん。

実験を兼ねた遊び半分、という感じ。

昔からインドのヘナケアをしていることもあるのか、髪はまだ減らない。

ネコ毛で細く、癖毛であるが、薄くならずに済んでいる。

ブラッシングは、昔からまめなんで、それもいいのかもしれない。

湯上がりの濡れた髪に、ほんの一滴椿油か、柚子油を垂らして

マッサージする。頭皮が固くならないよう、もみほぐす。

スカルプケアには、椿油でも何油でもいいが、混じりけのないいい油を

頭皮にすり込み、湯に浸かった後、シャンプーで丹念に洗い落とす。

これは、月に1,2回。

ちなみに、シャンプーを使う洗髪は、3日か4日に1回である。

お湯だけで流す素洗いは毎日、シャワーに打たせながら、頭皮マッサージをかねる。

リンス剤は使わない。酢を用いる。

これで白髪はさほど出ないし、毛髪量も減らずに済んでいる。

男は女性が思うよりもっと、実は髪の量を気にする人が多い。

心配な人が身近にいたら、まずは朝晩のブラッシング30回以上ずつ、と教えてあげて欲しい。

パッティング用ブラシと併用すると、なお可。

薄くなる前に手当て開始、がベストである。

静電気が起こらぬよう、獣毛のブラシが良い。

それと、頭皮も顔の肌の「地続き」であると認識すること。

頭のマッサージをすると、顔がリフトアップするのは

女性なら知っている。

最近は理容室でも頭皮マッサージや、顔のマッサージを取り入れている

ところも多くなった。

視力の低下を防ぐ方法もあるが、それはまた。

美輪明宏さんに教わったのは、寝ている間に顔についた皺は

毎朝伸ばすこと、というのだが、すっかり忘れていて

左にほうれい線がある。左を下に寝るので、寝皺である。

右には(ほぼ)ないので、左のをまだ薄いうちに美輪大明神のお告げに従って

ちゃんと毎朝伸ばしていたら、ほうれい線もまだないはず。

惜しいことをした。左のほうれい線を消す実験をしているが、

これは多分長期にわたる。寝る時どうしても左を下にするし。

まあでもすべて遊びですね。好奇心で面白がってやってるので続いているのであろう。

あ、手と首筋に年齢が出るが・・・・手のケアについては書いたので、首筋。

これ、中国に八段錦法という健康法があるのだが、そのひとつ。

スナップを聞かせた手刀(てがたな)で、首筋を軽くタッピングするのである。

まあ左右20回ずつ。適当でよい。

同じく八段錦法で、両手の指の先で左右の耳の下から、顎にかけて、それから歯茎の

上の皮膚をタッピングする。唾液の出をよくするためと、歯茎の血行をよくする。

朝晩洗面台の前に立った時にでも。

目は説明が難しいが、左右の手を30回ほどこすりあわせ「気」を発生させた手を丸め、

そのあたたまった両手のひらを丸めるように、左右の目をそれぞれ覆い、

眼球を右回り、左回り、それから上下をそれぞれ何回か。これも適当な回数でよい。できれば

30回ほどずつ。

私は忘れがちだが、眼鏡は読書に使用はするが裸眼で読めなくもない。

てきめん、疲れが取れる。白内障も防ぐし、視力回復が期待できる。

やり始めた当初は肩に響く人もいるかと思うが、それは眼精疲労が肩凝りに

つながっているしるしである。

またやり始めて数日間、朝目が覚めると目やにが出る人がいる。眼球が活性化している

証である。心配ない。

眼精疲労には、目を冷やすより、温めること。

蒸しタオルを目に当てる。最近はドラックストアで、目に当てると自動的に

湯気がほんのり出るものも売っている。

悪くならないうちにケアしておくと、健全に長持ちする。

私は歯で失敗したので、他の部位は気をつけている。

 

 

雨の中、弟とその長男、弟の友人ご夫婦との会食に出かけた。

雨用のレーヨン着物は持っているが、

袖を通さぬまま、季節が終わりそうな新しい着物を着た。

着物の裏地が見えるようにたくしあげてみた。

 

でもわかりづらいので、長襦袢を見せながら裏地を表に着てみた。 笑

草履は雨用。そう言えば昔は、先端が覆われたつま下駄というのがあった。

和傘を探しているが、これで不便なのは、預け器に預ける時に把手に
ひっかかりがないので不可能なこと。店に備えられた、ビニール覆いが使えないこと。
やはり実用にはならないかもしれない。

時事ネタひとつ。書くかもしれない本の予行練習も兼ねるので以下は「ですます」調にて。

韓国内での自国民粛清事件(集団殺戮である)に四三事件というのがあり、その時密航で
大勢が日本に逃れて来て、主に大阪に住み着きました。
「無理やり日本に連れて来られた」というのが、在日の方々の
言い分ですが、密航で来て不法滞在、戦後のどさくさにまぎれて
永住権を得た方々も相当多いのです。

そういう中のお一人が、率直に告白された本がこのほど出版されました。

以下、記事の抜粋です。

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20150331-OYT8T50042.html

 


 『猪飼野(いかいの)詩集』などで知られる在日の詩人・金時鐘(キムシジョン)さん(86)=写真=が、回想録『朝鮮と日本に生きる』(岩波新書)を刊行し、韓国・済州島(チェジュド)で1948年に起きた「四・三事件」との関わりをつづった。

 略

 四・三事件は、同年4月3日の反体制派弾圧事件。南北分断の固定化につながる南朝鮮の単独選挙を阻止しようと、民衆が武装蜂起し、軍や警察の鎮圧部隊に数万人が殺された。19歳の金さんは、武装隊を率いた南朝鮮労働党の一員だった。襲撃先の郵便局では、同志が目の前でカービン銃で撃たれ、自らも追われる身となった。翌年5月、日本行きの密航船に乗り込み、大阪・生野のコリアンタウンに行き着いた。

55年に出した第1詩集『地平線』で焦土と化した故郷を悼んだが、自らの関与には触れていない。「軍事政権下の韓国に強制送還されれば、事件の残党ということでまず命はなかったやろうから」。日本に来た理由は「よんどころない事情」としたままだったが、ゆるぎない詩人の言葉で「在日」を生きる意味をとらえてきた。「そうでないと、民族意識に目覚めたことも、事件に関わったことも、自分にとって何のよすがでもないことになる。空虚だよ。知った者が、知らない形は取れないのよ」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

以上ですが、こういう形で事実が少しずつでも明らかになるのはいいことでしょう。

 

戦後まもなく、半島からの密航の多さと犯罪率の高さに音を上げた当時の首相、
吉田茂が占領軍総司令部GHQに彼らの送還願いを出しています。
嘆願が受け入れられたのかどうか調べていませんが、1949年(戦後4年目)に
50万人の不法滞在の朝鮮の人々がいたという事実は知っておきたいし、
韓国の人々にもこれは、伝えるほうがいいですね。

 

被害一辺倒で語られることが多い在日の方々ですが、密航と不法滞在で
日本に住み着いた大勢の人々については語られないし、日本にいる同胞のことは
すぐ韓国で記事になるのに、日本に押し寄せた密航者の群れに関しては、
本国でも口をつぐまれたきり、今回の出版のこともスルーです。

 

人権が微妙にからむので、言う人も余りいませんが、事実は事実として
日本人が心得ておかないと、言われっぱなしです。密航で押し寄せ、
戦後のどさくさにまぎれて永住権を不正に得た人々も多いということを、
心得ておきましょう。その上で、日本国民の税金から生活保護を得ている人もいるという
現実も。掛け金無しの年金受給をという動きもあります。

有名なパチンコメーカー、マルハンの社長もそうだし、ソフトバンクの
孫正義氏の御両親も密航者です。マルハンの社長はご自分で
語られ、孫氏はお父さんが週刊誌に告白しています。

以下は、吉田茂が1949年、連合国最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥宛に、『 在日朝鮮人(在日韓国人)の全員送還を望む 』と題して出された嘆願書の内容一部です。  




◆朝鮮人居住者の問題に関しては、早急に解決をはからなければなりません。彼らは総数100万にちかく、その半数は不法入国であります。

私としては、これらすべての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待するものであります。

その理由は次の通りであります。

(1)現在および将来の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能であります。
米国の好意により、日本は大量の食糧を輸入しており、その一部を在日朝鮮人を養うために使用しております。
このような輸入は、将来の世代に負担を課すことになります。

朝鮮人のために負っている対米負債のこの部分を、将来の世代に負わせることは不公平であると思われます。

(2)大多数の朝鮮人は、日本経済の復興に全く貢献しておりません。

(3)さらに悪いことには、朝鮮人の中で犯罪分子が大きな割合を占めております。
彼らは、日本の経済法令の常習的違反者であります。彼らの多くは共産主義者ならびにそのシンパで、最も悪辣な政治犯罪を犯す傾向が強く、
常時7000名以上が獄中にいるという状態であります。



さて、朝鮮人の本国送還に関する私の見解は次の通りであります。

(1)原則として、すべての朝鮮人を日本政府の費用で本国に送還すべきである。

(2)日本への残留を希望する朝鮮人は、日本政府の許可を受けなければならない。
許可は日本の経済復興の貢献する能力を有すると思われる朝鮮人に与えられる。 

上述のような見解を、原則的に閣下がご承認くださるならば、私は、朝鮮人の本国帰還に関する予算並びに他の具体的措置を提出するものであります。

敬具 吉田 茂◆

 


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