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慰安婦と君が代

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国旗国歌―大学への不当な介入だ?

以下は、国歌斉唱に関する安倍総理の答弁内容の記事。

 

安倍晋三首相は9日の参院予算委員会で、国立大学の卒業式や入学式での国旗掲揚・国歌斉唱に関して「改正教育基本法の方針にのっとり、正しく実施されるべきではないか」との認識を示した。改正教育基本法では「国を愛する態度」を養うことなどが教育目標に掲げられている。次世代の党の松沢成文幹事長に対する答弁。

改正教育基本法では「国を愛する態度」を養うことなどが教育目標に掲げられている。次世代の党の松沢成文幹事長に対する答弁。

 

松沢氏は「国歌斉唱に至ってはほとんどの国立大学が実施していない。税金で賄われている以上、国旗掲揚や国歌斉唱は当たり前だ」と迫った。これに対し、下村博文文部科学相は「大学の自主的な判断に委ねられている」と指摘しつつも、「広く国民の間に定着していることなどを踏まえ、各大学で適切な対応が取られるよう要請していきたい」と応じた。

 

 松沢氏が示した文科省の資料によると、直近の卒業式で国歌斉唱を実施したのは国立86大学のうち14大学にとどまった。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・記事転載ここまで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

国歌国旗への関心の薄さが、慰安婦問題その他で外国に侮辱されても平気な

感性を産んでいるのではないか、と私は思う。

自らの先祖や国歌への貶めを我が事として受け止める感性が鈍麻しているのは、

結局、国旗国歌への帰属性が薄いからではないのだろうか。

しかし朝日新聞の見解は異なり安倍総理の姿勢を、社説で「不当な介入」として述べている。

2015年4月11日(土)付

http://www.asahi.com/paper/editorial.html

 

(以下抜粋)

 「学問の自由」が保障されない社会に未来はない。「大学の自治」はそのための原則の一つである。

 ところが安倍首相は、国立大学の入学式や卒業式での国旗掲揚や国歌斉唱について、参院予算委員会で「正しく実施されるべきではないか」と述べた。

 下村文科相も「各大学で適切な対応がとられるよう要請したい」と語った。

 政府による大学への不当な介入と言うほかない。文科省は要請の方針を撤回すべきである。

 まず安倍首相である。国立大が「税金によって賄われていることに鑑みれば、教育基本法の方針にのっとって」実施されるべきだとの考えを示した。

 「基本法の方針」とは「我が国と郷土を愛する態度を養う」という目標を指したつもりだろう。だが、基本法は大学について「自主性、自律性が尊重されなければならない」と定めている。これを忘れてはいないか。

 

 ー 抜粋はここまで ー 

上記に述べた如く、国民に君が代や日の丸が浸透していたら、朝日新聞発の捏造ネタ、「強制された慰安婦」説を信じる国民は、もっと少なく、世界でこうまで貶められる事態には立ち至ってなかったろうに、とまず皮肉を言いたい。

安倍総理も下村文科相も「要請」であって「強制」ではない。

しかしながら、小中高では「指導要綱」にあることが、大学になると突然消え失せるという根拠は薄く、とりわけ高校という義務教育ではない場でも指導要綱があるわけだから、大学もその延長線上にはあろう。まして国民の税金でまかなわれる国立なら。

初歩で言うも気恥ずかしいが、国家というのは一種の「必要悪」のような側面もあり、一部のスピリチュアルな人たちが主張する如く、そりゃあ国境などなく、お互い相和して譲り合いながら生きられるならそれは理想であろう。

 

しかし、現実はまだそこには程遠い。国家という意識を国民が持たぬと、

侵略され、暮らしが破壊されてしまう危険がある。

では何を持って、国の束ねとし国家意識の涵養とすべきかと言えば、

「天皇制」以外には、国旗国歌でしかないのではないか。

(ある考えがあって、敢えて「制」と呼称している。制度ではないことは

承知の上なので、念のため)

 

私が二十代の初期、豪州に住んでいる頃、映画館に入ると必ず

上映前にゴッドセイブザクィーンが鳴り渡り、現地の人達が

起立する中、私はあちらの友人に叱咤されながらも、頑なに座り続けていた。

幼かったと思う。その国にいさせていただいているのなら、彼らが敬意を

払う対象は尊重すべきである。

比較にもならないが、しかし感性として私は、朝日新聞の社説を書かれた方は

おそらく、良いご年齢であろうが、私の二十代初期の稚気と同レベルではないかと、

思うのだ。

朝日新聞は、

「今回、文科省は国立大86校の卒業式や入学式を調べ、国旗掲揚や国歌斉唱を行ったのはどこかをつかんでいた。実態を調べていたこと自体、驚きだ」

と述べているが、驚くほどのことではなかろう。文科相がそれほどのことも調査、把握していないとしたら、そのほうが私には由々しきことだと思われる。

朝日の社説はこうも述べている。

「政府の意向や社会の価値観など一切に縛られず、自由で多様な研究を深めてこそ学問の価値が保たれる」

国旗国歌への(たとえ形式だけであれ)敬意を政府が求めることが、なぜ「自由で多用な研究」を深めることを邪魔するのであろう? 私にはさっぱり意味が解らない。学問分野への踏み込みは、いっさいなされていないというのに。 

おそらく、日本ほど国旗国歌に対する規制が緩い国はないと思うが、これについてはまだ調べていない。おそらくないと、思うが?

あったら、ご教示願いたい。

アメリカでは確か、小学校の教室にさえ星条旗が掲げられ忠誠を誓っている、と思うが?

他民族で構成される国家が採用していることを、もはや日本も参考にせねばならぬレベルには来ているのではないか?

 

以下は昨年度の動画であるが、慰安婦問題に関してである。

 

【慰安婦問題など】山田宏(次世代)後半【衆議院 国会中継】~平成26年10月6日 予算委員会~

 

慰安婦問題に関して、岸田外相の答弁がちょっと残念レベルである。

回答に言葉の微妙な選択を要求される局面だが、しかしそれにしても

お上手とは言えない。

私が執拗に慰安婦問題を語り続けることを、不審に思う人もいるのだろうか。

強制された性奴隷などいなかったことが、客観的に証明された現在も、

韓国とアメリカが執拗に言い募るから、こちらも言い続けている。

しかし、それにしてもまっとうな姿勢の人が多い次世代の党の議員たちを、なぜ国民は落とすのであろう。


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