冬物を何点かクリーニングに出そうとしていた手が止まった。
紺の太い毛糸をざっくりと編み込んだ、ヨージヤマモトのベストに、ちらりと
白い短い毛がついていたのだ。
一瞬、時間が止まった。
10年前に見送った愛犬の毛だった。
“ふたり”を送り出して、その二人目の子の毛だった。
葬儀を終えたその日に、私はその子にまつわるありとあらゆるもの、食器から
首輪、キャリーバッグ、上着、リード・・・・すべてを処分したのだ。
冷たい、という人もいたが逆である。思い出の品が胸を噛んで痛すぎたので
手放したのだ。
それでも、カーペットや床の思わぬところに毛が残っていて、
最後の1本がなくなるまで半年はかかったような気がする。
共に暮らしていた家も土地も捨てて引っ越した。
毎日散歩した道を歩けば姿が浮かび、見上げた眼の色を思い出し、
胸が張り裂けた。
だから、そこを去った。
でも、むろんそれで思いは消えはしない。
今でもずっと共にある。
そして、10年ぶりにあらわれた一本の毛。
そのベストはクリーニングに出すのを止めた。
一生、洗わず手元に置いておく。
抱きしめた体温がまだそこに陽だまりのように残っている。
彼らにさようならは、まだ言わない。
一生きっと言わない。